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into-the-sky2009-05-01


4月16日(木曜日)
 すでに空気は白濁している。気温は、昨日より少しだけ低い。桜の木々には、先週まで花をつけていた面影がない。面積を広げた明るい葉が、生い茂っている。すぐ近くの木からは、ウグイスの声が聞こえる。
 出勤して、今日もやはり、所信表明の日。大切だし意味があると感じるから、そうしている、という部分も確かにあるけれど、それよりかは、なるべく初めのうちに、まとめて所信を伝えておいたほうがラクだし合理的だと考えている、というほうが近い。しかも、相手にとってどうか、ということよりも、自分にとって、ということ。自分勝手に言いたいことを言っているだけ? そう、確かに、その通りかもしれない。
 昨日のテレビの話で、今日新たに、どのテレビからも映像が出ない、という報告を受けた。480の出力設定にしているにも関わらずである。確認してみたら、指摘の通り、テレビがブルーレイプレーヤからの信号を受けていないことが解った。いろいろと試しているうちに、4台すべてのテレビモニターから映像が出てきた。原因を推測して試してみたら、4台のテレビモニターすべての電源を入れてから映像を再生しないと信号が通らない、ということが判明。推測通りだったわけである。
 従来のアナログコンポジットの信号では、同じ信号を分岐する場合、VDAという信号を分配して増幅するという、単純な装置でそれを行っていたのだが、デジタルの信号になると、その機器は、PCで使用するルーターと同じ装置になる。つまり、そのルーターが信号を出す際、受信側の機器と交信するので、その電源が入っていないと、正常に信号を出力しない、ということらしい。併せて、1対1の、テレビマルチリモコンが、電源OFFの操作だけ、他の数台のテレビに効くことも解った。電源を入れたりチャンネルを操作したり、という機能は、テレビ固有のリモコンでないと駄目なのだが、電源をOFFだけは、1つのリモコンで、数台の操作ができる、というもの。このことにも、多少、振り回された。電源をおとすという、もっとも安全側の操作だけは、手段を選ばずにできるようにした、ということか。ノウハウの蓄積を実感する、今日この頃、である。



4月17日(金曜日)
 日中に向けて気温が少々上がったけれど、正午過ぎには下降に転じ、夕方4時以降は、10℃を少し超えるくらい。やや久しぶりの寒さ。
 昨夜は、退勤時間が遅くなったので、職場からタクシーで帰宅。室内の様子から、以前にも一度乗ったことがあるタクシーだと解った。途中、自宅近くのコンビニに寄ってもらい買い物を済ませた。再び乗ってからすぐに、運転手の方が、何か言って、急ブレーキがかかった。「はい?」と聞き返したら、「あれ、タヌキですよね」と言われたので見たら、やっぱりタヌキだった。しかも、15秒くらい、道路の真ん中で何かを口にくわえてモソモソしていた。カワイイ。カワイイけれど、タヌキ自身のためにも、もう少し緊張感をもってもらいたいものである。比較的頻繁に見るから、自宅の近くの森などに、随分と生息しているようだ。
 今日は、職場の若い人がお休みだったので、僕がピンチヒッターように機材室の担当になった。10数年前の就任当時は、研修的な意味があって1年間担当していたので、久しぶり。その頃、発展途上にあった機材室は、今と比較して半分以下の機材しかなかった。同時に使用頻度も高くなかったので、台帳管理が必要ないという状況。けれど、今後の機材増加などが予見できたので、台帳を使いやすいものに作り替えた。その数年後には、同じ機材が40台あっても、借用まわしが効かない時代になった。特に自慢ではなく、当時の誰もが予見できただろう。他にやろうという人が居なかったので、僕がそうした、というだけの話である。
 その仕事の合間をぬって、1年前に購入したSONYVAIOのバージョンアップ作業。今までネットに繋げていなかったため、1年分のダウンロードとインストール。自動診断し、「これらを新しくせよ」という指示通りに進めて、再起動。すると、「今のバージョンだと、これらも新しくせよ」という指示がでた。再びダウンロードして再起動。するとまた、「じゃあ、今度は、これをしなさい」という指示。アプリケーションのバージョンアップだけで、4回再起動した。これで終わりかと思ったら、「次はビスタOSとMSオフィスのバージョンアップもせよ」という指示が出たので、仰せの通りにした。結局、すべてが終わったのは、開始して7時間後。



4月18日(土曜日)
 静かで柔らかな朝。春らしい強い陽射しは、薄い雲でかなりマイルドになっている。陰影の弱い新しい緑は、水彩絵の具で描かれたように、互いに、混じり合っている。休日の土曜日。
 午前中にイギリスの映画を1本、夕方から1本、夕食後に1本を観た。こちらはアメリカの作品。そして、就寝前にも邦画を途中まで観た。あらすじを知っていたわけでもないし、出演者に興味があったわけでもない。電子番組表を見ていて、その映画のタイトルが気になって、予約録画していたもの。最初の20分くらいは、やや斜め見をしていたけれど、そのうち、真剣に見始めた。ストーリより、見せ方、というか作り方が面白いと思った。良い意味で、日本の映画らしさがでていた。レビュを書くつもりはないので、例によってタイトルは載せず。最後のスタッフロールを見ていたら、僕の職場のグループ内の他の職場の名前が出てきた。製作に携わっていたらしい。知らなかった。
 映画を観た後は、散歩に。土筆だけでなく、今年は、植物の当たり年のように観察される。この時期の花も、この時期の雑草も、例年よりボリュームが増しているし、新緑も葉も、かなり密度が高いようだ。もちろん、何ら根拠はない。そういうに僕は見える、ということ。いずれにしても、いろいろな植物が目立って見えるし、デジカメを向けても面白い季節。今日は、歩いて5分程の所にある武道館の裏側にも足を運んだ。今の場所に住み始めて8年くらいが経つと思うが、初めての場所。周囲の半分を木々で覆われているから見晴らしが良いわけではないけれど、人通りもほとんどないし、ベンチもあって芝生もあって、独りでのんびりと読書をしたりするのには最適な場所。 自宅の周囲にはそのような環境ばかりがある割には、実際にそういうふうにしたことは一度もない。どういうメカニズムによるものか、と一瞬考えたが・・・。
 まあ、人生、何かがいつでもできるとなると、実際にはやらないことが大半なわけである(大げさ)。他の動物にはない、人間らしい道理かもしれない。途中買い物をして、2時間後に帰宅。



4月19日(日曜日)
 起きた時の気温は、10.6℃。都心部との温度差は4℃くらいはあるようだ。昨日より随分と積極的な陽射しで、日中はかなり暖かい。
 朝食後は、日曜日朝恒例の「刑事コロンボ」。その後はブルーレイのハードドライブからディスクにダビングの作業。コピーワンスだから、移動というほうが正しい。今日だけでおよそ90GBのデータを移した。ちなみに昨年の8月から観た映画は、約270本くらいか。実際はもう少し多いかも。今年の8月には、CSデジタルを一旦解約予定なので、それまでは今のペースで続いくだろう。映画鑑賞マニアでも、映画を撮りためていく趣味もないので。読書しまくりや書きまくりと同様の道理のようだ。自分でも深い分析はせず。
 久しぶりにiTunesでジャズを聞きながら掃除。その後は映画を観て、図書館へ。夕方だったこともあって、空いていた。専門書を4冊借りて帰宅。先週、洗車されたばかりの車は、既に汚い。テレビでは、初日にしか報道しないけれど、やはり黄砂は来続けている。夕食後も再び映画。
 昨年の終わりくらいから、制作費が切り詰められ大変だ、という話を頻繁に聞くようになった。今までは、他人事のように「大変らしいよ」というふうに伝聞的な言い方だったものが、もはや、そういう状態ではない。つまり、以前は、「会社の景気は良くないけれど言うほどではない」や「思われているほど大変ではない」という言葉の比喩だったわけだが、もはや、「大変です」と直接的な主張になった、ということ。テレビ局から、非常に解りやすい制作費減と、一層のコストダウンを命じられているようだ。まさに、昨年からの不況は、テレビ業界にとっては大打撃なようである。この4月期の番組改編は、それを明確に象徴したもの。収録ものよりは制作費がかからない生放送、しかも長時間のリハーサルが必要ない、VTRが多めの情報系の番組が、さらにコストダウンになる。そもそも、情報番組の大半が、取材相手先の宣伝的な内容になっているから、一層、都合が良いわけである。まあ、あえて深く考えていないが、仕方ないな、と思うくらい。今の状況は必然であって、善し悪しでもないし・・・。

何を書いてきたのか

into-the-sky2009-04-29


4月13日(月曜日)
 6時の気温は、11.2℃。やわらなか西よりの風。晴れ。昼過ぎは、夏日なのだろうな、と感じられる暑さ。25℃以上の熱帯夜となるけれど、蒸し暑いし寝苦しいと感じるわけだが、それに比べたら、湿度も低いし、陽射しはあるし、明らかに清々しい。
 先週から、平日朝の電車遅延が、本格的にスタート。平均すると、毎日5分は確実に遅れている。駅の改札を出ると、なぜが、駅と目と鼻の先にある大学構内には進まず、友達と待ち合わせをしている学生達が沢山居る。鬱陶しいが、仕方ない。きっと、初めのうちだけだろう。その行動も、その友人関係も。
 さて、今日から、比較的定常的な勤務。夕方前まではウォーミングアップ、その後に本格。夕方過ぎからは、イレギュラな仕事。機材に関わる作業。頭を使う、というよりかは、ホコリまみれか。3時間くらい続けて、今日のところは終了。10時過ぎに帰宅。
 勝手に電源が入っているテレビのニュースでは、この時期、新入社員研修の模様を何度か目にする。やや広い会議室のような所で、情報系の業種の社員が講師となり、ビジネスマナーの勉強をしたり、ディスカッション演習をしたりしている、という様子である。しかし、そのような研修を遠巻きに観る限り、たいした有利性はあまり感じられない。紙に書いて配れば良いものを、わざわざ時間をかけて口で説明しているようにしか、見えないからだ。意味を説明するかと思えば、つまらない能書きが先行して、真意がぼやけてしまう。さらに、新人としての緊張感がそれらを一層覆い隠すので、意味を反芻したり理解したりすることまで至らない。それに拍車をかけるように、一種のセレモニーだ、という意識も持っているので、一層、実に入らないわけである。つまらないマニュアルのように受け止められ、応用も効かない。結果、すぐ隣に座る上司の的を射た一言の方が、説得力があるし意味がある、ということになる。
 そうした研修は、むしろ、いわゆる中堅社員に施したほうが意味がある。なぜならば、形骸化した、自分や周囲の現象を、反芻するように再認識できるからだ。



4月14日(火曜日)
 気温はあまり低くないけれど、やや厚い雲に覆われて、外は寒そうに見える。南岸を進む低気圧が近づいていが、雲の厚さの割には、比較的暖か。予想の通り、夕方前から雨が降り出した。
 職場に近い最寄り駅から2つ手前の駅で読書を止めて、音楽を聴きながら考えごとをするという動作が、ほぼレギュラー化しつつある。そういえば、昨年の4月までの1年間は、毎日のように、駅から職場までの道も、読書をしながら歩いていたのだ。よくやっていたな、と遠望。そのうちどこかにブツかるのではないか、という心配よりも、日当りでの紙の眩しさが気になって、大変だった、という淡い記憶も。こうして今振り返ると、つまりは、競って読書をしていたのだな、と感じる。競っていた相手は、もちろん自分であるけれど。
 読書というインプットの作業が、直接的なきっかけになってすぐにアウトプットされる、というわけではないと思っていたし、考えさせられるような内容の本を読んだ後では、あえてそれについては書かないようにしたきた。そして、当時の1/4くらいになった今も、引き続き駄文ながらも、こうしてアウトプットは続いている。そのように言い続けてきたことを、結果的に実証した形になっている。
 書き続けてきた今、最も強く考えることは、「いったい、この長きに渡って、こんなに沢山、何を、書いてきたのだろうか」という、大きな不思議、である。

 夜に入って、他の部署の先輩2人と会合。この3人が揃うのは、およそ半年ぶり。実は、うち1人は、前職でも上司だった人。その人が先に前職を辞め、その2年後に僕が辞職した。偶然にも、同じ職場に入ったわけである。もちろん、これには何ら必然性はなく、単純なる偶然。今の職に就任する直前の採用面接で、初めてその事を知って驚いた記憶がある。途中、少々のブランクがあるけれど、仕事上でこれだけ付き合いが長い人は、他には居ない。そして、いろいろな意味で、僕にとって影響力がある人であることには、当時も今も、変わりない。
 7時間くらい、いろいろと話をして、深夜の2時前に帰宅。外は、やや強い風を伴った、積極的な雨。


4月15日(水曜日)
 早朝に通過した低気圧が、濁った空気を吸い取っていった。透明度が高い空気。鮮やかな青空、白く眩しい光、消極的ではあっても彩度が高い緑、緊張感がある、柔らかい気温。まさに一年間で最高の日。ここ1週間くらいでは、最も近くに見える富士山は、依然として、白く膨らんでいる。電車内から観える、多摩川の河川敷が、羨ましい。こういう日ほど、休まず仕事をしていることに、後悔する日はない。
 夕方前までの仕事の内容は、昨日とほとんど変わらず。その後は、月曜日の夜と同じ仕事。絶対的な時間はかかるけれど、内容は大したことがない。自分なりに、いろいろと緻密な作戦がたてられるので、その点は面白い。9時過ぎに終えて帰宅。

 職場内のある部屋に、僕が発案と予算取りをして、40型の液晶テレビとブルーレイプレーヤを導入した。4月の初めに、専門の業者が設置。当然、動作チェックをしていったものだと思いながら、自分でも確認しておこうと電源を入れて、テスト用のブルーレイディスクを再生してみたが、1080(有効走査線数)のHDTV画質だと、1台のテレビ以外には、映像が流れなかった。480のSDTVの画質だと問題ない。どうも、HDMIケーブルの実効長とデータ量の関係によって、データが多過ぎると遠くの数台のテレビモニターには、信号が完全に届かない、とう現象のようだった。業者の確認は、480の設定で行ったので、不完全を見落としたのだ。
 これは、その業者に対しての呆れでも疑念でもない。最終的に注文した人間が確認すれば済む、単純なことだ。ただ、問題なのは、従来にはない設備なので、それに対して僕の知識がない、ということ。理解していれば、あらかじめ配慮するように指示しておけば良い話だし、自分での確認も、ごく僅かな時間で終わるわけである。機器やメカニズムが不完全であっても、それは同じ。いずれにしても、過渡期というか、創設期というか、それが起因しているということだろうか。そうはいっても、過渡期でない時代ってあるのか、という疑問も同時にもつわけだが。

春の連続

into-the-sky2009-04-27


4月10日(金曜日)
 気持ちの良い朝。これで空気の透明度が高ければ、最高である。天気は、晴ればかり。黄砂は少しずつも断続的に来ているようで、車は汚い。桜の花びらが、ゆっくりと下に降りてくる。日中、風が強くなれば、雪のように沢山舞うだろう。
 夕方前までは、いろいろと種々雑多な仕事。その後は、ある業者に依頼した作業で、不完全な、というか不具合が見つかったため、来訪してもらい、現象を確認してもらった。具体的には、480だと問題ないが、1080にすると駄目になる、というもの。これだけで何の話かが解った方は、明日から、その業者の一員になっていただきたい。
 その作業とややオーバーラップするように、来年2月頃からの、大きな作業に関しての打合せ。具体的に機材の型番を提示して、やや細かい仕様をオーダーした。発注は、今年の7月頃になる見込み。同じような打合せが、これから3ヶ月間は続く。突き詰めれば、機器の中の基板1枚まで、考えて指定しなければならなくなる。すべてを確実に理解し記録しておくために、どのような作戦で行こうかを検討中。ノートに書き込むのが確実だろうが、もう少し、イマフウな要素も取り入れたいと、考えてのこと。併せて、1000万円くらいする、ある機材を分解してもらう、というか、カットしてもらう、という懸案事項についても、少々。打合せは、2時間弱で終わり。
 夜、帰宅時のタクシーからは、丸い月が見えた。昼間の光が黄色く見えるわりには、月灯りは、白くて硬くて、勢いがあるように感じられる。空気が乾燥しているせいだろうか。今夜もハーゲンダッツが夕食。最近、アイスクリームの補給が滞りがち。しかし、職場にアイスクリームの自動販売機が置かれているから、自重しなければ。まさに自重のための自重。昨日に続き、書かなきゃよかった・・・。



4月11日(土曜日)
 今朝も、昨日と同じ天候。起床した時から、すでに10℃以上ある。朝食は親の家に行ってとっているが、今日は、小学生が2人居た。甥と姪である。確か、この4月から、小学6年と5年になった筈。沢山食べなさい、という僕の両親の言葉に対して、2人の食はすすまない。「いつもこんなに沢山食べない」とのこと。なんでも、甥と姪の家では、朝食がパンとジュースくらいなのだそうだ。さて、どちらが多くて、どちらが少ないのか。朝から、ご飯とみそ汁の他に、3皿くらい並ぶ、僕の両親の家が多過ぎて、甥と姪の家が少なく過ぎるのか。これでは、話は、平行線である、・・・と考えながら、朝食をとった。
 出勤して、細かい仕事をいくつか。僕は、土曜日のペースみたいなものがあって、仕事の密度を低くしている。土曜日くらいは、曜日を感じよう、という思惑からくるものなのかもしれない。

 今週から、日付の横に、曜日も書くことにした。そのほうが、後で読み返すときに、自分が解りやすくなるため。今までは、数日に一度、文頭のあたりに、曜日を突っ込んでいたが。
 この日記を書き始めて何日経ったかのかは、もうすぐには解らなくなった。ここ1年くらいで、ケータイから見にくる人が増えた。閲覧者のブラウザの記録を見ると、上位3つが、ドコモを初めとする携帯電話の各キャリアという日も、珍しくなくなった。インターネットエクスプローラが、最下位ということも多い。液晶画面の解像度が上がって、駄文長文が読みやすくなった、ということか。ちなみに僕は、ケータイで誰かのブログを見たことは一度もないし、自分のページを、見たこともない。ケータイではどのように表示されているのだろうか。今度、一度、見てみよう。
 投稿する度に、毎回見に来る人も大勢いるようで、その数は、大きく増えてもいないが、減ってもいない。日記を書く事は、ずっと続けても良いとは思いつつ、投稿するのはやめようか、としばしば考えている。けれど、投稿する人は減り続けているように散見され、そうなると、天の邪鬼な僕は、投稿し続けよう、なんて、誰のためにもならないことを、考えるのである。



4月12日(日曜日)
 昨日の朝と変わらない天候。相変わらず、雨は降らない。これだけ好天が続く4月の初めも、珍しいと思う。日記を振り返ると、今日から2週間と数日前の3月26日には、小雪が散らついていたのだ。今日の日中も、動くと汗ばむ陽気。休日。
 朝食後は、アマゾンで、ブルーレイディスク20枚セットを注文。そして、刑事コロンボを見た。第9シーズンにあたり、1990年頃に製作されたもの。比較的新しい作品で色鮮やか。しかも高精細なHDテレシネだから、昔のものと比べると、一風変わった刑事コロンボとなっている。このままの順番ですすむと、8月頃から、一挙に古い刑事コロンボへ戻ることになる。その後は掃除をして、3月26日から3日間分の日記を投稿した。4月1日以来の、久しぶりの投稿となった。日記は毎日書いているが、投稿するまでに至らない。書く事と投稿する事の順位が隣なっていないためである。まあ、こうして書くほど、たいしたことではないけれど。
 午後は、家の中の雑事をいくつか。少し気温が下がった夕方には、散歩に出た。やや、久しぶりの都立桜ヶ丘公園へ。自宅に最も近いゲートへは歩いて10分程。入ってからは、公園内を縦断して、聖蹟桜ヶ丘駅に近い場所まで歩き、引き返した。園内だけでも40分くらいは歩いたことになるだろう。桜は、遅咲きものを残して半分以上は散っているが、随分と沢山の人が来ていた。書くまでもなく、どこを観ても新しい鮮やかな緑がある。ちなみに、自宅から都立公園までの間にも、やや大きな公園が2つあり、それらは遊歩道で結ばれているので、自宅を出てすぐに公園の中をずっと歩くようなことになる。 こういう話をすると、羨ましがられることも稀にあるけれど、夜は暗く寂しいので、女性の一人歩きはできない。自宅からは、どの方向に歩いても、民家が途切れる。高台で見晴らしが良いといっても、そもそも丘の上に家があるわけだから、一日のうちに、何度も家を出て、ということもできない。家の下方にある、歩いて5分くらいの巨大なコープに行くのにも、少々の決心が必要だ。自宅の3階から見える、小田急線も京王線も、遥か下に見える。とにかく、帰りが大変な自宅、である。
 帰宅して、掃除の続き。夕食後は、映画を2本観た。その後はジャズを聴きながら日記を書いて、就寝。

一度は擦れてみないと

into-the-sky2009-04-25


4月7日(火曜日)
 いつもより、少しだけ早い朝。イメージ的には、速い朝のほうが合っているかも。天気も気温も、特に気にならない。家の前の桜は、やっと満開になった。葉は、まだ出していない。例の芝生のゲレンデには、昨日と違う形の雑草がボリュームを増している。少なくとも、芝生よりは反応が早く、勢いも強い、と感じられる。
 今日から2日間、この時期特有の宿泊での仕事。僕は、所信表明その2をするくらいで、実質的には、若い人がさらに若い人の面倒を見る、というもの。ここ10年以上も、ずっと群馬の山の方で宿泊していたけれど、今年は始めて、千葉の南房総に行くことに。仕事に関係なく、初めて通る道を、久しぶりに行く街を、ずっと前から楽しみにしていた。
 一旦、いつもの職場に行き、必要な書類などを持ち、さらに都心部へ。観光バスに乗り込み、10時30分過ぎに新宿を出た。30分くらいで、湾岸に出てお台場を通過し、初めてのアクアラインへ。東京湾を横断するというイメージは、非常に特殊なことに思えて、海に浮かぶ人工島も30年前のSF映画みたいで、とにかく、事前にいろいろと想像を膨らませていたわけだが、東京側からだと、海の手前でトンネルに入るし、海ホタルまでは意外に距離が短いし、人工島の全体を見渡さなかったので海辺の観光地と大きな違いはなかったから、それほど横断しているという特殊な印象は受けなかった。海ホタルから木更津までの橋上構造で、海の上を走っている、という気持ちになるくらい。それでも、もう少し視程の良い日に、もう一度来てみたいな、とは思った。
 千葉県に入り少し進んで、東京湾フェリーの発着所で、昼食。横浜や川崎が霞んで見える。当たり前だけれど、家の近くから見る横浜や川崎より、ずっと近くに見える。海の先にあるものは、すべて遠いという錯覚的観念は日本特有のもの、かもしれない。1時間ほどで、再びバスに乗って、南房総を横断。夕方前に、九十九里海岸と鴨川との中間地点の街にあるホテルに着いた。少しだけ休憩をして、所信表明その2を含む研修。1時間くらい話をした。マイクを使ったり、椅子に座ったままで話をするのが好きではないので、やや大声で少々の移動をしながら。この頃は、話をしながら、手振りが多くなっているようだ。AppleのWEBサイトで見る、ビデオチュートリアルのせいかもしれない。
 夜半過ぎに、何人かのスタッフと部屋で静かに会合。深夜の2時過ぎに就寝。



4月8日(水曜日)
 朝5時過ぎに起床。全体的な起床義務時間までは、かなり早い。しばらくは、窓を明けて、外の海辺の風景を独りで見ていた。頭を覚醒させるためでもある。波の音、という効果音が1つ加わるだけで、いつもとは、かなり違う印象。代わりに、自宅の朝では沢山聴こえる鳥の声は、しない。
 部屋の前の廊下からは、海とは反対側の駅前やその市街地が見えるので、部屋にあった椅子を廊下に出して、30分くらい街並と房総の山を眺めた。たまに、都心部では見られなくなった系式の電車が、左右に行き交う。最近では、外側のすべてが塗装されている、というだけで、随分と古い車両だと思うようになってしまった。まだ、全部塗装で新車を導入している鉄道会社もあるから、単に、自分が目にする環境によるものだろう。
 昼食をほとんどとらないと決めていたので、朝食は多め。支度をして、富津市にある、有名な牧場へ。昨年までも、群馬の牧場に行っていたわけだから、そう目新しいことでもない。ただ、途中の山坂道の九十九折りが大きな違い。対向できないような狭い路を、バスが勢い良く進むので、面白いし気持ちが良い。車酔いなんて、僕に関しては、まったく関係ないこと。一般的に乗り物酔いをするような環境ほど、好きなのである。だから、船も大好きで、もちろん酔わない。
 若い人達が、バンジージャンプをしていたので、一応、それを見た。この種のものには、まったく興味がない。勇気は必要だろうが、飛び降りたからといって、度胸がつくわけでもないだろう。まあ、飛び降り慣れる、ということにはなるのかな。一種の肝試しのようなものか。その後は、牧場内を少しだけ歩いた。菜の花と桜が綺麗。黄色とピンクと緑と水色の景色が広がる。海抜が高いためか、日陰と日なたの気温差が大きい。暑いけれど寒い、みたいな。
 昼食のバーベキュウは、やはり謹んで遠慮させていただいた。屋内での焼き肉、というか、その後の衣服や体についた匂いが、とても嫌いなので。ただ、牧場牛乳だけはいただいた。3年ぶりくらいの牛乳だったと思う。味が濃厚で、美味しかった。
 帰路もアクアラインと海ほたるのセット。都心部を通り、夕方に職場へ戻った。仕事はしないで、ほぼ、そのまま帰宅。疲れてはいないが、10時頃にはベッドに入った。



4月9日(木曜日)
 たった、一日あいただけで、窓の外の桜の木々には、かなり緑色のものが増えていた。朝から暖かくて、暖房は必要ない。観葉植物すべてに水をあげた。葉が大きくて、あるいは多いものほど、温度の変化に影響されるから、これから秋までは、なかなか気が抜けない。枯らしてしまったら可哀想だという気持ち半分、自らのテイタラクさを実感したくない気持ち半分、である。
 いつもと変わらぬ時間、いつもと変わらぬ出勤。職場では、午前中は静かに過ごし、午後はまた、1時間くらい話をした。やはり、手振りが多くなっていることに、気がつく。夕方は、雑務と来週からの定常的な仕事の準備。
 こうして、一般的なサラリーマンとは違う仕事を続けていると、自分の職場や自分の仕事について、常に、より客観的な視点を持つ必要がある。主に、仕事の密度と、考え方について。今の環境に擦れたくない、染まりたくないと、常に考えている。それは、ここ10数年、変わらないスタンス。この擦れや染まりが、最大の恐怖だと思うし、そうなったら、もう、その仕事をしている価値がない、とも考える。ただ、現実的には、擦れているなと実感するタイミングもあるわけで、両者の立ち位置は、のこぎり波形のような移動を繰り返していることになるのだろう。
 1つの職場に長くいるほど、さらに擦れないように心がけるというか、その環境からは、できるだけ立ち位置を替えるべきだと思う。逆に、若いうち、その職場に入って2.3年くらいは、思い切り擦れてみたほうが良いと思う。ある一瞬でも擦れないと、その客観的な位置は見つけられないからだ。それが、外に居る単純な傍観者との違い。また、たとえば、中途で入ってきた人が当の職場を見て、「他とは違って、ヘンだ」と短絡的に思ったり、そういう指摘をするのは、以前の職場に擦れ続けてきたせい、ということになる。もし、2.3年経っても、そういう気持ちが変わらなかったら、実利的に、変えるように動いたほうが宜しいし、あるいは、自らが、離職をした方が宜しい。
「擦れてみて 初めて持てる 客観眼」と一句。何だか、年輩者が書く、日記みたいだな。

不自然な進化

into-the-sky2009-04-20


4月4日
 朝から7℃もあって、寒さを感じない。今日も、野鳥を気にしながらの出勤。珍しく、木の上の方で声をだしている鳥を見つけたけれど、逆行で見づらいし小さくて一段と見づらい。見づらいからこそ、今まで生き延びて来たのだ、とは思うけれど。
 少なくとも、人間よりも動物の方が、常に環境に最適化している。だからこそ、常に生きのびる能力に長けていて、無理をしていない。知恵を持ち、脳が発達した人間だけが、動物的な「生」というものに不器用になり、無理をして生きている、ように見える。そもそも、長く生きようとする本能に対して、体が対応していない。このままの状態が続き、相対的に体が不器用になっていくと、そのうち、子孫を残そうという本能も、さらに退化していくだろう。他の動物と比べて圧倒的優位だ、と認識している人間こそが、もしからしたら、一番劣勢で不自然な進化をしてきたのかも知れない。これは、警鐘でも諦めでもなく、単純な現実認識である。
 今日は、職場に来る新しい若い人達に対して、僕が所信表明をする日の1回目。ただし、どちらかというと、所信表明というよりかは、自分が考えていることを好き勝手に言う日、というほうが、ニュアンス的には近いだろう。ちなみに、こうしてはっきりと冒頭に所信を述べるのは、4年前から始めたこと。最初に明言するほうが効果的だと感じているからだ。最初だからこそ、完全には理解できないとは推測されるけれど、それも認識したうえで、あえてそうしている部分もある。理解できないならできないなりの解釈がある筈だし、解るような最小公約数的な内容では、所信を語る意味すらないだろう、と思ってのこと。つまりは、「子供じゃないんだから」である。
 昼過ぎに一段落。細かい仕事をいくつかこなして、夕方過ぎに帰宅。夕食後は、久しぶりに映画を観た。12時前に就寝。



4月5日
 朝の暖かさの上に、そのまま日中の気温がのっているようなものか。午前中に窓を開けていても、寒さは感じない程度の暖かさ。桜は八部咲きになっている、日曜日。
 町内会では、今日、隣の見晴らしの良い公園で花見パーティをするようだ。しかし僕は参加せず、両親が参加。独立二世帯住宅だから、本当は僕も参加するべきなのかもしれないが、町内会費を払わなくても良いという許可を町内会からいただいているので、僕には会費を使う権利がない。だから、むしろ、参加する資格がないのだ、と、都合良く考えているわけである。というわけで、窓の外に見える宴と楽しそうな声々を、たまに聞きながら、家の掃除をしたり洗濯をしたり。例の、生き返った小さな観葉植物は、葉の数が簡単には数えられないほど、増殖した。まるでシムシティの最高速並みに膨らんだから、使用した栄養剤のCMに使えるだろう。
 シムシティといえば、Macintoshを購入した時に併せて最新のバージョンを手に入れたけれど、ここ2年以上も、1回もやっていない。買った後、4日間くらいはほとんど寝ずにゲームをして、その惰性で何となく1週間くらいは続けるけれど、それを過ぎたら、まったくゲームをしない、というのが、僕のだいたいのパターン。恋愛以外は、熱しやすく冷めやすい質(たち)のようだ。そしてもの凄く極端なことも、デフォルトの志向といえる。仕事に関わることには、特に短気だし、まるで瞬間湯沸かし器のようだ(死語か)。いったい、何の話をしているのだろうか。
 夕方には、3週間ぶりの図書館へ。専門書を4冊、随筆を2冊の計6冊を借りた。行く頻度が低くなったこともあって、見る度に、置いてある本の場所が変わる。全体として、蔵書が増えつつあるようだ。遅い時間だったので、カフェには寄らず。同行した母親が、桜が見たいと言うので、少し遠回りして、桜の木がありそうな所を想像しながら、車を走らせた。特に探すこともなく、簡単に沢山のほぼ満開の桜を見て、帰宅。夜は外食をして、帰宅後はやはり、映画鑑賞。



4月6日(月曜日)
 朝の気温は、7.2℃。そして、ほぼ快晴。芝生は、急速に緑色になってきた。寒くもないし熱くもない。余計なことに神経を使わなくて済む、年間で一番気持ちの良い季節の到来。これだけ天候が良いと、つい無用なことをして体調を崩しがちだから、自制する必要があるだろう。
 こうして、日記自体は毎日書いているけれど、投稿するのは、ずっと先になる。6日間程度に縮まった、書いた日と投稿日の差は、再び半月弱程度に広がるだろうな、と想像。今日の内容が投稿されるのは、4月の中旬以降になる筈。昨年の4月からは、平均するとおよそ870字を毎日書くことにした。計算では、1年間で約30万字以上になる。単行本にすると、2冊と少しにはなるのだろうか。よく続いたものだな、と思う。書かない方がはるかにラクなことは、言うまでもない。読んでもらうためでも、書く訓練をするためでもなく、こうして駄文を毎日書き続けるのは、どうかしているのかも知れないと考えたり・・・。
 ミクシー以外で、他人のいわゆるブログを読むことは、年間に2回、あるかどうか、というところ。基本的に、面識がない、あるいは知らない人の文章には、興味がない。ミクシーは、ほとんどが知人なので、読んでいる、というだけのこと。しかし、そうした周囲の人達も含めて、全体的に投稿する頻度は文字数は減る傾向にあるようだ。べつに書かなくてよい。一時期、盛り上がるようにして書いていた人が書かなくなる、これは、ごく必然的なことだろう。インターネットやブログというツールができる前から書いていた人と、若干のいわゆる新参者が書き続けるくらいで、大半の人は書かなくなる傾向にある。いずれにしても、不自然は状況は長続きしないわけである。
 出勤して、若干の雑務をこなし、明日からの宿泊での仕事に対する準備。夕方は、職場の定期検診。クスグられることに弱い僕は、心電図の検査が苦手。正常な結果がでているようには、とても思えない。採血も、痛いことではなく、血を見ることができないので、非常に憂鬱である。夜は、若い人達との会合。11時前に帰宅。

真剣に冗談をしている

into-the-sky2009-04-19


4月1日
 水曜日。日一日と、少しずつ暖まっているような感じ。朝6時の気温は、7℃。朝から、近所である出来事があった。詳しいことは解らない。僕や両親が関わることではないけれど、ちょっと考えさせられることではある。いつか、少しだけ、ここに書くかもしれない。
 今日は、グループ全体のスタッフが集まる日。僕が居る職場で開催することだから、出勤時間も場所も変わらない。もちろん、気持ちも特に変化はない。今の職場に就いてこれだけ時間が経ったのか、とか、一度も人事異動したことがないな、と思うくらい。そういえば、随分と知らないスタッフが増えたようだ。1つの組織として、交流することが大事、という考えが主流のように散見されるけれど、そういう人達と意見を交わすつもりも、情報を共有するつもりもないし、増してや、一致団結なんて考えも、まったくない。そもそも、そういう人達に関心もないし。率直な話、「君は何年続くのか」と、ほんの少し思うくらいだ。
 午後は、職場での定例の会議があって、その後は、昨日の作業の続き。朝から始めたほうが効率的なのだが、昼過ぎまで、意味のないことに時間を取られた、とは、ごく僅かだけオトナになった今の僕は、決して考えないわけである。
 帰宅した夜9時には、8℃以上あった気温が、10時頃には5.2℃まで下がった。強い北風に変わり、雷が1回だけ鳴った。

 昨日の続きのような話になるが、今日は一般論。経営者には、頻繁に部下の話を聞き、そして主張するタイプと、ほとんど聞かず主張しないタイプと二分されると思う。ただ、人のタイプを大別するというよりかは、1人の人でも、両方の時期がある、としたほうが正しい。
 僕は、経営者でもないし、関わる機会もほとんどないので、経営者たる所以は想像の域を出ないけれど、どちらが相応しいか、なんて考えていないし、いずれも、良悪でも相応不相応でもないと思う。しかし、どちらのスタンスが、ラクか、どちらが仕事がやりやすいか、といえば、前者の方では、とは考える。もちろん、したからと言って、すべてを知ることになるわけではないが、話をして解る程度のことであるからこそ、そうした方が効率的だろう。それをしない場合、ほとんどを自らの想像に頼るしかないからだ。



4月2日
 冷え込みはないが、強い風が吹いている。やはり、今年の春は、風の強い日が多いようだ。自宅から徒歩で行く最寄りの駅までは、ほとんどが風下の方向だから、後ろから押されて、面白い。
 出勤して、今日も明日行われるあるイベントのスタンバイ。これはいつもどおりのペース。けれどそれ以外の職場は、全体的に騒がしく、速いスピードで各々の仕事が進行しているようだ。日頃のペースがゆるやか過ぎるからではないか、と思わなくもない。デフォルトの状態が速ければ、全員が同じペースであれば、相対速度はゼロに限りなく等しい漸近線である。夕方には現地に移動しての直接的な準備。夜9時に作業を終えて、一旦職場へ戻り、残務をこなして帰宅。
 そういえば、昨日の両親との朝食時に、「最近、エイプリールフールと言わないね」と母が発言。すると父が「商業とか売り上げに関係ないからでしょ」と返していた。つまり、企業がそれに載せて販売促進させることがないし、結果、マスコミにも話題として登場しない、ということである。
 このような意見は、一昔前までは、どちらかといえば、メタな見方によるもので一般的なものではなかった筈だが、今は、そのような見方、というか、その先の真実が、かなり一般化している。たとえば、相変わらずチョコレートが売れたり、ケーキが売れたりしていて、表面的な現象としては、以前と変わらないわけだが、昔のように、戦略を知らずにノセられているのではなく、今は、ほとんどの人がそれを自覚して、商業主義先行の単なるセレモニーだと解って、あえてノッテいるということであり、背景には大きな違いがある。
 全体が同じ1つのセレモニーに参加するということは、次第に減る傾向にあるわけだから、今までのような盛り上がりのようなものは、今後は徐々に減っていくだろう。毎日チョコレートをあげたりケーキを食べたり、あるいは、見え過ぎたウソをついても、特段、問題ないわけである。




4月3日
 朝6時の気温は、2℃台まで下がった。7℃以上あった都心部の大手町と比べて、5℃程度の差がある。この時期の温度差とは、単位時間だけでも定点的だけもなく、奥行きをもって存在している。実際にはこれに標高も加わるから、まさに3次元的。
 6時前に自宅を車で出た。久しぶりに、途中朝マックによって、一旦職場へ。1人でのんびりとした時間を過ごした。その後は現地に移動。ハイペースな環境への強引的参加が余儀なくされる。もちろん、仕方のないことではある。
 同じ催しを午前と午後に繰り返した。今年は、かなり有名なゲストも登場。夕方前に終了し、夜になって職場に戻った。職場は依然としてハイペース。慌ただしく帰って来たのに、それを感じるということは、やはり、いつもよりかなり速いということだろうか。昨日の続き的、思考。

 近くの国がやろうとしていることに対して、焦って応じている姿勢が伺い知れる。どうも、さまざまな機関が得ている情報が、そのまま公開されていないようだけれど、いずれにしても、やや過剰に反応しているように感じないこともない。もし危険な状況に陥ったら、迎撃ミサイルで撃ち落とす、という報道もあって、そういう装備が整っているのではあれば、静かに撃ち落とせば良いような気がするが。 
 ちなみに、韓国や中国は、巡航ミサイルを既に保有しているのだけれど、それは気にしないのだろうか。真剣に奇妙で不可解な行動をとる国に、真剣に当たり前な対応をしている。この不可解と当たり前の境界条件が、このような事態を生じさせているといっても、間違いではないだろう。観察する限り、もの凄く真面目で真剣な国が冗談半分で飛ばしてみよう、ということに対して、たいして真面目でもない国がそれに真剣に対応し過ぎている、ように見える。珍しく政治の話、してみました。

 この時期特有の雑務をこなして、夜9時過ぎに帰宅。夜は、Macintoshをリスタートしたり、やや久しぶりにブルーレイHDDの中身を整理したり。このところ、映画鑑賞の機会が減っている。まあ、仕方がないことか。11時過ぎにベッドに入った。気がつけば、今日は金曜日。

営業的非例外的思考

into-the-sky2009-04-17


3月29日
 出勤の日曜日。朝の寒さが日中も持続している。やや本格的な寒の戻り。週間予報によると、あと3日間くらいは続くようだ。しかもここ数日、天候が安定的でない。東京都内だけの風向きを見ても、東よりの風の地域と北西の風の地域がある。特に午後になると流入する海風の影響か、風向きのばらつきが目立つ。それに合わせるように雲に覆われ、日中の気温も上がらない。
 7時過ぎに家を出て、いつものように、駅までの道をひたひたと歩いた。寒の戻りが続く中、草木や芝生には、だいぶ緑色の面積が増えてきた。やはり、土筆の量が多い、と感じる。芝生と歩道の境界には、すでにアリが巣から土を運び出している様子も見られる。ただ、それらのスピードは、例年より静かに穏やかなようだ。年度内最後の営業活動の一日。
「営業」という言葉は、部署の名前や、いわゆる「営業活動」というタイトルのように、メジャーでしかも具体的な印象を持つけれど、実際には非常に抽象的な表現として使われていることが多い。これは、言葉の持つ本来の意味と、使っている人の意識とのずれから生じる、いわばギャップのようなものだろう。しかし、むしろ後者の印象のほうが自然だ。どんな仕事でも、基本的に、人が人に対してすることだからだ。仕事の中の第一義的な要素として、営業的視点や営業的活動が問われる、ということであって、営業だけをこなしていれば成立する仕事もないし、営業的感覚を抜きにしてできる仕事もないわけである。
 モノの売り込みには、以前から営業という言葉が、なかば代名詞のように使われてきた。ホテルなどの接客業も、それは同様であって、新入社員はまずは営業から、というスタンスに代表されるように、いわゆる営業的スタンスが重んじられている。それに対し、同じ接客業でも、昔の鉄道やバス・タクシー会社では、そのスタンスが軽んじられていた。「乗せてあげている」という考え方が勝っていたのだろうか。それでも10年くらい前からは、乗務員とは言わないで、「営業係り」と呼ぶ会社が増えてきた。これには、本来必要だったスタンスが欠落していた、という、いわば自省の念からくる、意識の変化だったのだろう。


3月30日
 桜の花は、ようやく少し増えてきた。けれど、寒の戻りは相変わらず。この時期にしては寒い朝が続いている、月曜日。
 いつものように家を出て、森と芝生の歩道を歩く。今日も、5種類の野鳥が、いろいろな声を発しながら、いろいろな動きをしている。朝は、駅までひたすら続く下り坂をやや早歩きなので、声だけ聞いて、あるいは、植栽の中を動く音だけを聞いて、という、日常の環境を進むだけになるが、少し歩くスピードを下げるだけでも、日頃、見えていないものや、いつもとは違った環境を観ることができる。これからは、もう少しゆっくり歩くことにしようかな、と考えてみたり・・・。こう書くと、自分が一挙に歳をとったように感じる。まあ、事実、歳をとった、ということか。「歩む速さ」なんて書くと、さらに、一層、情緒的で、ノスタルジーで、老い、になる。
 今日からは、今週末の、やや大きめな仕事のスタンバイ。実際には、一日と半分程度ですることを、ゆっくりと時間をかけて四日間くらいかけての作業となる。これは、僕のしている仕事の宿命、と書くと大げさだけれど、合理や短絡といった言葉が似合わない仕事もあるわけである。何度も書いているけれど、僕は、基本的に観ているだけである。

 郊外あるスタジオで観桜会があるため、夕方前に職場を出た。電車で40分くらい、そしてバスで10分くらいの、丘陵地の森の中にある。実は、自宅からは車で15分ほどの近さで、その広大な敷地の前の街路を走ることが多いけれど、季節によっては、タヌキがでる、という場所。
自 宅の前と同様、やはり郊外はまだ、二部咲き。知人の照明会社のスタッフが、桜の木にライトアップしていたけれど、ほんのり、木の幹が浮かび上がる、という程度。例年、咲いていなかったり、雨が降っていたり、ということが多いらしい。ほぼ満開で晴天だった昨年が、非常にレアケースだったらしい。
 およそ2時間弱、大勢の人と挨拶をして、少しずついろいろな話をした。何しろ、同行した上司が、もの凄くメジャーな人なので、共に行動をするだけで、大勢の方々と挨拶をすることになる。
 このような会合への参加を重ねるにつれて、知人は増えるし、話すことも増えていく。さすがに、この歳の、この履歴の組織人としては、必然的なことだけれど、むしろ、随分と当たりまえのことをしているな、という思いがあって、表面的な有意義感ほど、真にそう考えられない、という今日この頃である。
 2次会のお開きまで参加して、夜12時頃に帰宅。


3月31日
 6時前に起床。顔を洗ってコーヒーを淹れて・・・、というスタイルは依然として変わらない、と時折書いて、記録しておこう。昨日よりは、やや暖かい朝。窓の外にある桜の木を観ると、花をいくつかつけている木の隣に、ほとんど咲かせていない木がある。よく見ると、紅くて小さな葉のようなものが沢山あるのが解る。今年は咲かない木なのかもしれない。
 出勤して、仕事の大半は、昨日の続き。合間に、他のスタッフは業者にメールをしたり、雑務をこなしたり、という日。職場のテレビには、また、野球が流れていた。どうやら高校野球らしい。「野球なんてやらないで勉強したり社会奉仕すれば」というテレビのコメンテータっていないな、と思ったり・・。こう書くと、「いや、子供がやる気を持ってやっているから」「何をやろうと個人の自由だ」と思われるとは推測されるけれど、まったく、その通りで、同感である。
 ただ、いわゆる野球少年を、あるいはその行動を美化する価値観というのは、どこからくるものなのか、と疑問に思うし、「精神が鍛えられる」という常套句に対して、その精神って何なのか、僕にはよく解らない。増して、たとえば、それに丸刈りの強制が関係あるとは思えないし、生徒のプライベートの素行が影響するとも思えない。プロの選手は良くて、なぜ、高校球児は駄目なのか、その説明は、いつ誰がしているのか。連盟?マスコミ?親?先生? いわずもがな、まあ、好きにしてください。
 いずれにしても、職場のテレビの野球中継の音は、控えめに・・・。

 夕方過ぎからは、3月中旬頃にあったある仕事の打ち上げ。珍しく、経営者のトップも参加。経営者が居る、いわゆる本部は、4駅くらい離れた所にある。わざわざ足を運んでいただいたわけで、非常に、レアである。一次会は、2時間ほど。その後は、ほとんど同じメンバーで2次会へ。各人、それぞれといろいろな話を沢山していたようだ。僕は、こういう場では、比較的あまり話をしない。主体的な理由は特になし。3時間ほど居て、深夜の1時頃に帰宅。