もう流れなくなった

into-the-sky2009-04-12



3月26日
 木曜日。朝の気温は、3.3℃。埼玉に明確な晴れとの境界線が見えている。東京側は低く厚い雲に覆われていて、小雪がちらついている。暖かさに慣れた体には、寒さが厳しい、木曜日。空気の透明度は、もの凄く高い。
 来年の3月初めに完成させる、職場のあるプロジェクトについて、少しずつ、準備を再スタート。まずは、各方面へ根回し。具体的には、4月の2週目くらいから、動き始める予定。金額は少しコンパクトにまとめて、2.5億円に決定した。それに関係して、来年2月から3月にかけてのスケジュールや、具体的な作戦を思案中。平成21年度は、このプロジェクトが仕事の意識的な中心になり、長期間に渡る、そして大きい懸案事項になる。
 大きな野球大会が終わったと思ったら、今度は随分と小さな野球大会が、職場のテレビに流れている。野球ほど、「他の、あるいは大勢が見るから、自分も見る」というスポーツも、珍しいのではないのだろうか。サッカーも一時期は、物珍しさで盛り上がったように見えるけれど、野球ほどバイタリティに飛んでいないし、勝つ可能性も高くはない。スポーツにおける人気度、というか、テレビの視聴率とは、すなわち、勝つ可能性が大きく左右する。しかし、これは当然だし、善し悪しでもない。春になるとアリが地上に出てくるくらい、極めて自然な摂理なのだろう。断っておくが、これは皮肉でもないし揶揄でもない。
 夕方の職場には、僕の前職のスタッフT氏が、来訪。1時間ほど、話をしたり手続きをしたり。T氏の話は、今後も、T氏が所属するある会社と、僕のいる組織との、一段と強い繋がりというか、その方向性を示唆する意見だった。組織として、どの程度協力できるか、というのは、ある意味、未知数ともいえる部分ではあるけれど、一個人の意見としては、可能な限り、関係を密にして、協力していきたい、と思うしだい。
 明日以降、4月末の大型連休までは、仕事のペースをあげる必要がある。そういった意味では、年間で最も重要な時期ともいえる。傍から見ると、忙しい時期、といえるだろうか。夜9時過ぎに帰宅。最近、映画を見る時間があまりない。



3月27日
 昨日よりさらに冷え込み、今朝の気温は、1.2℃。久しぶりに硬くやや真剣な寒さ。日中の気温も、10℃を少し超える程度。ここ数日、季節が1ヶ月は戻っているような気がする。家の前の桜も、やはりここ数日、ほとんど変化がない。寝ぼけて花をつけているものもあるが、大半は、硬く小ささなつぼみ。来週の後半には、本格的に咲き出すのだろうか。
 出勤して、いろいろと雑務。職場の方々で、少しずつ小さな音が発生して、全体としてザワついているようなイメージ。昼過ぎは、来年度に向けた会議。2時間ほど。お互いが話しやすいチームになると、当然のことながらそれぞれが沢山の発言をするようになるので、打合せの時間は延びる傾向にある。時間の長短によって、結果が変わることはほどんどないし、もちろん、長いことが直接無駄に繋がることでもない。後でも決められる、今でなくとも当座問題ない、ということが、あらかじめ、集中して議論される、ということになるのだろう。そういうふうな見方をすれば、集約されて、むしろ効率的だ、という解釈もできる。
 夕方はメールのリプライをしたり、書類の整理をしたり。来週は、体を束縛される仕事がほとんどなので、いろいろな作業を前倒しして、執行。こうしておくと、ブラインドモードにならなくて済む。
 夜は、職場のスタッフ全員で、歓送迎会。不参加者が1人もいないという会合は、もの凄く久しぶり、というよりか、過去に記憶がない。ただ、個人的には、他に用事があって来られない人や、ポリシーとして参加しない人がいる、という状況の方が、幾分自然だと考えるが。
 夕方6時過ぎに職場を閉めて、全員で東京湾の方面へ移動。いわゆる屋形船を貸し切ってのイベント。予定の時間よりも早く全員が集まり、早めに出航した。話もするし食事もするし外も見る、という忙しい会合。こういう主旨のイベントには不向きなような気がした。僕はどちらかというと、こういう場では静かにワインでも飲みながら、ゆっくり外を眺めていたいと思う。・・・と書くと少しクールな印象があるけれど、要するに、これ、安い費用ではないのでもったいない、と思う気持ちが先行する、ということ。
 今回は、1人のアシスタントの方が退職し、新たに1人が採用。スタッフは、1人が他のセクションへの異動となった。一時期に比べると、いわゆるローテーションが減っているし、出入りの人数が減っている。これに関しては、特に、意見はない。



3月28日
 昨日よりは暖かい朝。晴れに近い曇り。桜の状況は、昨日とまったく変わりないように見える。1/8程度に花をつけている木もあるけれど、ほとんどの木は枝だけが見える。こうして、桜のことを頻繁に書くと、桜好きのように見えるかも知れないが、単純に、Macintoshの横にある窓から、桜の木が見えるから、というもの。休日の土曜日。
 昨夜は、晴海の辺りから浅草に向かい、その後はお台場で停泊。3時間くらいの乗船。屋形船と聞くと、古くて狭い印象だったが、船上で走れるくらいの広さだし、今風で綺麗なトイレの前には自動ドアがある、という、非常に近代的な造りだった。費用は、1人1万円。お酒は飲み放題、食事は、揚げたての天ぷらが美味しかった。ビンゴは4人目に当てて、賞品をいただいた。こうして俗っぽいことを書いて記録しておこう。10時前に下船して、半数弱の人で2次会。2時間くらい。夜中の1時過ぎに帰宅。
 高速道路の割引き料金が話題になっている。渋滞の模様や家族連れのインタビューを見ると、競って高速道路料金を払いに行っているように見えて、微笑ましい。きっと、マスコミの誇張表現が、さらにそれを助長しているのだろう。帰省の渋滞ほどでもないのだから、実際には、ごく一部の人達が利用しただけの筈。

 およそ37年前からテーマ曲「北風吹」を使用してきた、NHK東京第二放送の、「ラジオ 中国語講座入門編・応用編」の放送が終了となった。今後は、昨年の4月から開始された「毎日中国語」という語学講座に集約される。
「北風吹(北風吹いて)」は、ここでも何度か書いてきたとおり、好きな音楽の1つ。元々は、中国河北省の民謡であったものを、バレエ(中国京劇)「白毛女(白髪の娘)」の中の1曲として使ったもの。原曲は、歌唱がある歌詞つきのものを、NHKが楽曲のみの構成に編曲し、オリジナルのNHK音源を作ったのだ。途中、アレンジを替えることなく、およそ37年も続けて使用されてきた曲は、他にない。もう今後、この版の曲を聴くことはないだろう。「テレビ中国語講座」でも使用されていた時期に録音した、音質の良いものがあって、それを繰り返し聴いているので、残念には思わないけれど、長く使用されてきた曲だけあって、やはり「大きな終わり」とは感じる。

たとえば早くくること

into-the-sky2009-04-01


3月23日
 6時前に起床。今年度のラストスパート的な週の始まり、月曜日。昨日、ほぼ終日に渡って吹いていた強い南風から、今朝は、やや静かな北よりの風に変わっている。風向きの履歴を調べたら、昨夜の11時頃に前線が通過したことが解った。7時前、親の家に行って朝食を食べていたら、風に煽られて着陸を失敗した航空機の映像が、テレビのニュースから流れた。
 特に、放送業界において、技術が進歩し機材の質が高水準になっていくにつれて、物事のメカニズムが見やすく解りやすくなった。それまでの、文字ばかりだったニュースには、映像がつくようになったし、中継の技術が進歩したら、リアルタイムで事の顛末を見られるようになった。フィルムからVTRへと変化したら、記録してから放送されるまでのタイムラグが縮まったし、それが小型化すると、些細なものも含むあらゆるソースが、ニュース映像として流されるようになった。カメラが高性能高精細になると、事態の詳細を伝えやすくなったし、映像の圧縮技術が高まると、長時間記録や記録し続けることが可能になった。さらに機材がコンパクトになり相対的に安価になると、捉えるレンズの眼が増えた。
 こららの恩恵を最大に享受したのは、報道系の番組であることは間違いないけれど、人の真意や事の真実が、それに比例して、伝えやすく伝わりやすく変化してきたわけではない。むしろ、非常なまでに解りやすくなったことと言えば、物理や力学といった、その瞬間を捉えないと解明しづらく解りづらい領域の諸事である。
 今回の映像がそれを象徴としているものであって、風に煽られ着陸して逆さになるメカニズムと、大破し炎上したという事実は解るけれど、どうしてそこに至ったのかという操縦者の真意は解らず、それはせいぜい、垣間見られる程度でしかない、ということ。

 出勤して、この時期特有の雑事などを幾つかこなした。作業が多岐に渡れば、そのボリュームに関係なく、分単位で仕事を並べる必要が生じる。こうなると、もの凄く沢山の仕事をしているように錯覚してしまいそうで、あまり宜しくない。



3月24日
 気団もすっかり入れ替わって、寒い朝。聞こえないし見えない程度の、弱い風が吹いている、火曜日。
 この時期のスーツ着用3回のうちの2回目の日。肩が凝らないようにと、いつもの80パーセントくらいのライトなセーフモードになる。たまにスーツを着ると、身軽にバリバリと仕事をこなせる気持ちになれる人もいるようだけれど、僕は、その逆。この動きづらいユニフォームを、社会人男性の定常としたのは、どこの誰なのか、と、子供のように真剣に考えてみたり・・・。無駄なことをしているな、と感じてしまうのだが。
 ここ最近は、日記へのアウトプットとブログへの投稿とのタイムラグを、縮める作戦を遂行中。一時は、16日間の差があったが、今日の段階で、10日間あまりとなった。しかし、タイムラグがある限り、今日のこの文章が投稿される頃には、どの程度の差になっているかどうかは、解らない。

 あまりにも、奇抜な番組だったので、すっかり書くのを忘れていたけれど、この前の土曜日の夜に、ある番組が放送されていた。「何を今さら・・・」という内容であって、しかも最初の10分くらいで、番組の方向性というか顛末が解ったが、仕事と相通じることでもあったので、最後まで仕方なく見た。相対する立場の人達と、ほぼ中立にいる人達との議論が内容のほとんどだった。思ったことをすべて書くと、ここの20日分くらいの字数になってしまうので、ここにはそれを書かない。まあ、今後、徐々に小出ししていくことにはなるのかもしれない。今日、ここに一言だけ書くと、「議論が成立していない」である。

 夕方前からは、やはり、この時期特有の仕事。ありていにいえば、接待のようなもの。初めは事務的に、次に少し中に入り込み、やがて腹を割って話そう、みたいな感じ。今日は、最終的に、いつもの焼き鳥屋での会合になった。いろいろな方が参加し、とても有意義な時間。夜、10時過ぎに帰宅。会合のわりには、比較的速い帰宅だった。その中の1人は、もう何年も同じ職場で仕事を依頼していた方だったけれど、話をしているうちに、実は、僕の自宅から、歩いて5分くらいの所に住んでいる、ということが解った。散歩のコース近くに住まいがあり、何度も家の前を通っていた、というわけである。


3月25日
 時折り、薄日が差すが、全体的には曇り。先週のような暖かさはない。予報では、昼頃から雨。朝、窓の外の桜の木を見ると、全体としては、まだ小さく硬そうなつぼみだが、所々に数厘、花を咲かせている。今週末には、開花した、と言えるくらいの数になるだろうか。どうやら、今年は、土筆のあたり年のようで、方々で、土筆の群生地を目にする。電車の窓からも見つけられるくらいだし、職場の近くの空き地にも、やはり群生地があった。
 いつも通りの出勤。僕が職場に着く頃は、まだ、出勤時間の40分前なので、まだ全スタッフの1/9くらいの人しかいない。5分くらい経つと、2名前後がそこに加わり、その後は、出勤時間の10分前まで、ほとんど変化がない。それを過ぎると、一斉に出勤してくる。就業規則には、「ギリギリの出勤をしてはいけない」とは記されていないわけだから、問題ない。けれど、その一方では、「できるだけ早く出勤したほうが宜しい」なんて言っていて、そこには解りやすい少々の矛盾がある。これもしかし、「矛盾があってはいけない」という就業規則もないわけだから、それも問題ないのである。

 改行して、ここからは一般論。
 たとえば、間際に来る人は、他人に対してはやや厳しく、礼儀を他人に細かく主張する、そういうふうな傾向にあるようだ。「あの人は挨拶してくれない」という人に限って、その本人が実はあまり挨拶をしていなかったり、先陣きって「誰々が陰口をたたいている」という人が、実は、もっとも陰口をたたく人だったりするのと同じであって、自覚していることだからこそ、目立つし気になる、ということなのだろうか。自分にできないことは他人に強制しない、他人に求めることがあるのならば、まずは自分から、というスタンスでいる方が、結局、自分自身が楽できることになると思うが、いかがだろうか。
 業種や仕事の形態にもよるが、早く来ることが決して偉くもないし、それが真面目であることの象徴にもならないし、仕事熱心かどうかを決める、直接的な要素にはならない。単純な精神論のように、「新人は早く来るべきだ」と主張することも、今の時代としは明らかに古い考え方である。ただ、環境に慣れない人は、できるだけ長く多く、いろいろなことを観察したほうが良いのであって、この観点いえば、結果として、早く来たほうが得をすることにはなるだろう。

春の寒さ、春の風、春の雨

into-the-sky2009-03-28


3月20日
 祝日の金曜日。3連休の初日。月曜日が含まれない連休は、ちょっとレア。だから、少し違和感があるし、新鮮でもある。朝から南よりの風が強くて、気温はすでに16℃以上もある。寒冷前線が近くまで南下していて、雲の動きが速い。あと1,2時間すると、風向きが変わって、冷えるだろう。
 いつものように朝食をとった後は、映画鑑賞。見終わってからは、トイレと洗面所の掃除をした。作業的にはやや大変だけれど、頭はほとんど使わない。つまり無心になってできるので、それなりに面白い。明確な目的を持たなくとも、頭をたいして使わずとも、見た目は綺麗に変わっていく、というところか。9時前に、北よりの風に変わり、3℃ほど気温が下がった。
 昼過ぎには、散歩。今日はいつもの散歩道ではなく、ちょっと変わったコース。道路を行く車の量は多い。ガソリンの値段も低く安定しているし、ETCで、高速道路の通行量は安くなっているし。けれど、地球に優しくないぞ(皮肉)。
 途中、大きな公園沿いの桜並木では、早咲きの桜がすでに開花していた。よく見ると、野鳥が枝にとまって、花びらをついばんでいる。人より、明らかに開花を望んでいたのだろう。リードに繋がれた犬が、飼い主と一緒に、緑と戯れている。乳母車の子供は、熟睡し、大きな子供達は、方々駆け回っている。親水公園に行くと、白い大きな野鳥が、静かに何かを眺めている。獲物と探しているのか、あるいは、季節を見よう、季節を聴こうとしているのか。家に戻ると、隣家のバセット犬は、相変わらず、横倒しで寝ていた。こちらは、季節を感じているのではなく、きっと夢をみているのだろう。
 夜は、Macintoshのバージョンアップをして、リスタート。購入時に比べれば、全体的に動作は緩慢になっている印象。OS以外の、バージョンアップされる傍ら系のアプリケーションが、メモリを沢山消費する方向へとシフトしているためだろう。こうして、徐々にハードウエアを更新したいと思わせる方向に動かしているわけである。


3月21日
 連休2日目の土曜日。昨日より、13℃も気温が低い朝。昨夜、比較的早くベッドに入ったため、目覚ましのアラームをかけなくとも、6時前には目が覚めた。日中は、昨日より少しだけ風が冷たいけれど、寒さは感じない。
 朝食の後は、映画を1本。アメリカのラブストーリー。微妙にハッピーエンドではないのかもしれない。まあ、観ている人の、受取り方によるだろうか。断言できるほど、明確でないことこそがリアルである、というふうに解釈できる。
 その後は、iTunesで、久しぶりに、楽曲のダウンロードをした。Glenn Millerといえば、普段ジャズを聴かない人でも、聞いたことがあるアーティストかと思う。iTunesでradioioで聴いたのがきっかけ。1940年頃の作品で、綺麗な音質というより、当時らしさが強くでている音質で、そのような雰囲気が伝わってくる。もちろん、楽曲によっては、モノラルのものもある。つまり、その雰囲気が良くて購入したわけである。全部で50曲。
 やはり久しぶりに、表示させたiTunesのビジュアライザをずっと眺めながら、すべてを聴いた。ビジュアライザも初期のものに比べれば随分進歩していて、一段と曲に合ったリアルな動きをする。ずっと見ていても飽きない。今後は、一度、曲をiTunesでかけると、リズムとメロディラインと小節を記憶して、2回目からは、さらにリアルに動く、なんていう仕掛けになっても面白いだろう。技術的には、すでに可能になっている筈だけれど。
 昼過ぎは、ちょっとした掃除をして、散歩。途中に、土筆の群生地が沢山あって、遠くから眺めると、とても土筆には見えない。子供の頃に住んでいた街では、田畑のあぜ道をゆっくり歩きながら探すと、ようやくたまに見つかるという程度だったが、今の自宅の周辺では、簡単に群生地が観られる。まとめで何本かをデジカメで撮影しても、やはり一見では、土筆に見えないので、その中でもひっそりと静かに伸びているものを探して撮影。こういうのを、映像上の演出というのだろうか。つまりは、「それらしく見せる」ための、一種のヤラセみたいなこと、と言ったら大げさかもしれない。


3月22日
 起きた時は、静かにやや冷えた空気だったが、8時頃から、南よりの風が強まりだした。台風並みな強い風。冷えては暖まり強い南風、前線が通過して冷えては、暖かくなり強い南風、このパターンが最近多い。明日以降は、また冷えるのだろうなと想像。都心部で開花した桜の花も、今年は比較的長く観られることになるだろう。
 午前中は、AppleiPhone関係のWEBサイトを見た。いわゆるマニュアル本は、載っているものがメジャ過ぎてあまり役に立たないので、いろいろと調べものをしていた。まだ、知らない機能や設定がある。使いこなしていない証拠だと思う。iPhoneで無料で使用できる無線LANの設定をした。アクセスポイントが、マクドナルドの店舗とJR駅だから、あまり利用価値はないだろが、一応、念のため。
 ちなみに、先々週くらいに、データ送受信の頻度を必要な程度に下げる設定に変えたら、以前の3倍くらいは長持ちするようになった。良い意味でも悪い意味でも、日本のケータイに近づきつつあるから、もう1つのドコモのケータイは、来年の夏で止めようかなと、考えていたり。キャリアとしては比較してドコモの方が、あらゆる点で有利かとは思っているのだが。
 その後は、今週の「刑事コロンボ」を観た。先日も、ここに書いたように、ここ数回は、比較的最近の作品を放送しているが、古い作品と比べると、より、人間が描かれている、というか、描かれている時間が長い、と感じる。僕は、いわゆるミステリー的な内容には、人間模様みたいなものを、それほど描写する必要がないと思っている質なので、良い悪いではなく、単純な観察事項ではある。けれども、強引に人間を描き、その方面でも視聴者を引きつけようという構成にすると、日本の2時間ものの下品なサスペンスドラマに仕上がるのだろうな、とは思う。これもしかし、良悪ではない。好みの問題だろう。僕は絶対に見ないけれど。
 風が強く雨も飛んでいるので、午後も家を出ず。いろいろと家の中の雑務をこなした。

まるくなってかたくなる

into-the-sky2009-03-26


3月17日
 都心部との気温差は、およそ6℃。昨日より、さらに差が増している、火曜日の朝。桜の木の枝には、明確に「つぼみ」だと解る固まりがついている。この辺りは、10日後くらいには開花するだろう。黄砂の影響で、空が汚い。
 今日も、仕事は、昨日の引き続き。夕方過ぎにそれを終えた後は、他の残務をこなした。4月以降のいろいろな仕事の準備も。概ね、8月終わりまでのスケジュールは、すでに埋まりつつある。今年は、重なっている日程もあって、昨年ほど、綺麗に並んでいない。昨年よりも仕事自体が増えることも、すでに確定的。まあ、いずれにしても、なるようにしかならない。
 昨夜の、職場近くから自宅までのタクシーは、トヨタのハイブリット車だった。乗った瞬間に新しい臭いがしたので、走行距離を見た。まだ、600キロメートルくらいだった。タクシーの600キロメートルといえば、まだ、使い始めて1週間も経っていないだろう。運転手の方と雑談を少々。やはり、まだ納車になって間もないらしく、操作に慣れないとおっしゃっていた。
 エンジンかモーターか蓄電中なのかを表示システムがあって、それを見ていると、どのようなメカニズムで、それぞれが切り替わっているのかが、解る。家までの20分くらいの道中、音と振動を感じながら、ずっとそのモニターを見ていた。もう少し、単純なシステムかと予想していたのだが、一連の加速にも、それぞれが匠に切り替わっていて、モーター〜エンジン〜モーター〜蓄電〜エンジン・・・というふうに、複雑に頻繁に動作を繰り返している。かなり振動に集中しないと、切り替わっていることには気がつかない。シリンダを沢山持つ高級車のエンジンのように静かだ。非常に完成されたメカニズムだし、もっと、爆発的に普及しても不思議ではないと感じた。今後、乗用車の主流になっていくことは、間違いないだろう。僕も、トヨタでなく、ヨーロッパの車だったら、すぐにでも買うことになると思う。
 夕食は、職場で購入した、おにぎりとサンドイッチ。9時過ぎに帰宅。


3月18日
 北西の風が弱く吹き、少しだけ寒い朝。大手町との気温差は、3℃。日中は、かなり暖かくなるという予想。けれど、今日も日中はずっと地下の人なので、ほとんど関係ない。空気の透明度さえ高ければ、年間で一番素敵な日、になるだろう。
 平日は、定常的に3分前後は遅れているいつもの朝の電車も、この頃は、ほとんどダイヤ通り。けれど、客が少ないとはあまり感じないのは、僕がいつも乗車している時間のせいか。だとすれば、ピーク時の客が減っているのだろうな、ということは、時間的に通学客が少ないから、つまり大学が休みになっている影響だろうな・・・、と考えたり。至極、当然なことを反芻しているわけである。
 以前から僕の職場と、仕事として関係のあった人が転職し、保険の営業マンになったらしい。もちろん、僕はまったく面識がない人。最近、しょっちゅう、職場に来ていろいろなスタッフと話をしているな、と思っていたら、要するに営業活動をしていたのだ。そのことを、僕はやはり最近になって知った。他のスタッフに紹介されたので、仕方なく名刺交換したら、ケータイに電話をしてくるし、職場のアドレスにメールをしてきた。もの凄く無礼だと思う。はっきりいって、手抜きの営業だと思うし、それまでの互いの信用もなにもかも、思い切り捨てられるような行為だと感じる。僕は、そんな人のために、1秒でも時間を預ける気持ちはない。僕は今後何があっても、その営業マンの前職の会社とは一切やりとりしないし、その保険会社とも契約をしない。
 仕事上の関係とは、人同士ではなく、組織や会社とのことだ。当然だと思う。だから、僕は、そういう不躾なスタッフの存在を許している会社は、相手にしない。結果的に、当人の行動は、逆効果だったわけだ。こう考える人間が居ることを、彼はどれほど想像しただろうか。嫌がれても、結果的に1人でもプラスになれは良い、きっとそう考えているのか。しかし、そういう旧態依然とした手法でも存続し業績を伸ばしていけるような企業は、今の時代、もうないだろう。安定的な需要がない以上、プラスに作用しない動作は、直接的に、リスクと同義になる、そういう時代だからだ。


3月19日
 昨日の暖かさが、まだ残っている。今年に入って、初めて暖房をいれないで済んでいる、木曜日の朝。桜のつぼみの存在が、大きくなっている。
 仕事は、昨日に引き続き。僕はほとんど見ているだけ、である。昨日、職場のある若い人から、「怒らないんですね」と言われた。「これはそういう主旨でやっていないから」とだけ答えておいた。「そうか、日頃、そういうふうに思われているのだな」と心の中で、微笑んだ。いずれにしても、仕事としてやっていることだし、仕事としてのスタンスなのだから、人の性格とか好みとかは関係ないわけで、機嫌が悪くて怒っているわけでもないのだけれど、まあ、少なくとも、短絡的に「優しい人だ」と思われるより、イメージ的には100倍宜しい。ちなみに、僕にとっては、怒らず優しく居るほうが、簡単だし便利だ。他人が僕をどう思おうと、ほとんど気にならないし。
 一般的に、「歳をとると、人は丸くなる」とは言うけれど、人が内面的に変わる、ということはほとんどない。ただ、長く生きていくと、次第に周囲からの目線を気にしなくなる。つまり、どう思われようと、あまり関係ないと思うように変化する、ということ。そうなると、自分の考えや信念というものを、周囲に対して表現する必要性が乏しくなる。そもそも、怒る、という動作は、「怒っている」ということをアピールする目的が多く含まれていて、アピールしようと思わなくなると、怒ることも減る、というメカニズムによるものだろう。結果、周囲は「丸くなる」というふうに観察することになるのだ。
 ただ、自分が周囲に対して表現をあまりしなくなると、自分に対しての刺激も減る。すると、自分自身の考え方のようなものは、古く硬く固まりやすくなる。こうして頑固にもなっていくのだ。すなわち、丸くなるということは、頑固になることと、ほぼ同義である。だから、自分の中で刺激を与え、沈着していかないように努力する必要がでてくる。
 夕方は、ある業者と、夏の大きなイベントに関しての、打合せ。その後は、職場のスタッフ3名と会合。深夜2時頃に帰宅。

あ、見ていたんだ、くらい・・・

into-the-sky2009-03-24


3月14日
 もの凄い風の音で、4時頃に一度、目が冷めた。音を気にしながらも寝ていたけれど、長時間の執拗さに、いい加減我慢しきれずに起きた。
 何度か書いているけれど、北西と南西の方向に遮蔽物がほとんどない高台なので、冬の季節風と季節の変わり目に吹く南よりの風の影響を、もろに受ける。一応、外気温度をチェックしたりMacをスリープから立ち上げたりして、いろいろとデータをひろった。越える事を我慢していた高強度の雨雲も、平野に入ってきつつあった。これくらいの強い風雨だと、普段の雨では大丈夫な家でも、雨漏りするだろうなと想像。
 たとえば、大雨によるオーバーフローは、そうなることもその箇所も、あらかじめ十分に解ることなので、大抵の家は対策済みなので問題ない。だが、高い風圧よって、普通入らない所に水が入ったり雨があたったりすると、そこではむしろ浸透しやすい。人が傘をさすのと同じで、強い雨でも大きめの傘で本人が動かないぶんには、ほとんど濡れない。けれど、弱い雨でも風があると、傘をさす意味すらなくなるほど濡れる。当然ながら、家も、やはり、雨よりは風に弱い、ということ。あまり覚醒させないように、静かに体を動かして、20分くらいで、再びベッドに入った。

 いつもの時間の起床。風に加えて雨も強まっている。いつもあたらない場所に風や雨があたると、ある程度は綺麗になるだろうな、と期待しつつ・・・。木々の枝も、大きく揺さぶられている。完全に目を覚まして、着々と活動中の植物達には、いい迷惑だろう。
 体調は、胃腸を中心に以前として悪い。食事が採れないことはないけれど、いつもの半分程度。けれど、この量が、きっと適切な量なのだろうなとは思う。ついつい沢山食べてしまうのが常であって、平均的に体に無理なことをしている筈である。人間は、運動量も体格も年齢も、すべての面において、食べ過ぎなのだ。人間が食事を与える飼い犬も、人と同様、肥満になるわけである。従って、野生の動物達に肥満はない。
 朝食後は、映画鑑賞を2本連続。日本の作品。有名な脚本家が、脚本と監督を担当したもの。バックについている某テレビ局は嫌いだけれど、その本人は面白いと感じていて、たまにエッセイを読むこともある。その後は、観葉植物たちに水をあげて、Macで風と雨のデータをひろって、ベッドに入った。夕方から夜にかけては、再び映画を2本観た。夕食はいつもの1/3。



3月15日
 朝から快晴の日曜日。ベッドから見える空の色は濃く、それだけで、いろいろと行動したくなるような感じ。体調は80パーセントくらいまで回復、したような気がする。実際は、完治しているのかもしれない。
 朝食後は、「刑事コロンボ」を視聴。このところ、1989年に製作された第8シーズンが順位に放送されている。第1シーズンと比べると18年の差がある。ピータフォークは、当然ながら18歳は年老いているわけだが、新旧の映像を見比べても、いずれも違和感はない。元々のキャラクター設定にもよるが、年齢差とよりも本人が持つ、強い個性が勝っている、ということなのだろう。

 掃除を途中で終え、図書館へ。専門書を4冊借りた。20分くらい、閲覧スペースにある、窓側に向いているソファに座り、雑誌を眺めた。この図書館も、やや高台にあって、眺望が良い。多摩川に掛かる大きな橋の先に、東京競馬場が見える。夕方前には散歩に行く予定なので、いつものカフェに寄らず、比較的早めに帰宅。掃除の続きをして、その後は散歩。家の近くの散歩道を、ややゆっくりと歩いた。既に、方々の木々に若葉がついていて、陽が当たっているところは、黄緑色に光り輝いて見えた。強風雨上がりの翌日にしては、西部山地はやや霞んでいる。大陸からの黄砂の影響だろうか。
 散歩道沿いにある、大学の敷地を過ぎた棚田に降りたら、ウグイスの声が聞こえた。このシーズン初。デジカメの動画で、記録した。実はこのデジカメ、先月に続き、先週新たに購入したキャノンの製品。比較して、レンズの口径やマニュアル設定の機能は劣るが、ケータイ並みに小さくHDMI端子がついている。動画専用機だから、と、立て続けに2台も買ってしまった自分に言い聞かせているわけである。およそ1時間30分歩き、帰宅。朝よりも体調は良い。
夕食後は映画を観た。内容はおろか、タイトルもロクに見ないで、適当に予約録画した邦画。「地方の山村」「高校生」「青春」「恋」という、テーマとしては非常に頻度の高いものが題材。しなやかな作品だとは感じたけれど、それ以上のものはなし。


3月16日
 大手町との気温差、およそ4℃。勝手に流れているニュースのレポーターのコメントほど、暖かくはない朝。しっかりと霜もおりている。多摩地方は、弱い西風だと山地からの冷気を降ろすので、冷える。暖かい都心部は、概ね北よりの風だった。空気は白濁していて、山地はほとんど見えない、週明け月曜日。
 いつも通り出勤して、すぐに地下の人になった。今日から4日間は、体を拘束されるような仕事が続く。他に懸案事項を4つほど抱えていて、どういう順位にするか、どう組み入れていくかが、少々の課題。
今日、職場の一角に、無人のコンビニが設置された。おにぎりやサンドイッチ、菓子パンが自動販売機に入って売られている。喜ばしいことに、アイスの自動販売機もある。随分と便利になってしまった。自重しよう。夜は職場に居る若い人数名と会合。夜11時過ぎに帰宅。
 
 世間では、野球の話題で盛り上がっているようだ。これだけ話題になっているということは、何年かに一度の大会なのだろうか。日頃、野球に関心がない人も、気にかけてたり応援したりしているのを見ると、なぜ、そんなに盛り上がれるのか、不思議に思う。日本が勝っても、誰も得をしないし。あ、そうだ、マスコミは得をするのか。得をするために、盛り上げているのだろうな、きっと。これだけ盛り上げているし盛り上がっているのだから、話題の中心になって当然だ、と言わんばかりであるように散見される。若干の失礼というか、強引な十把一絡げである。
 選手は、当然ながら、まずは自分達のために頑張っている。「日本のために」とか「ファンのために」と、いわゆるリップサービスをする。それも完全な嘘ではないとは思うけれど、実際はそういう程、積極的には考えていない筈だ。選手自身が居て、周囲にチームメイトが居る。たまに遠くに居る観客が、ほんの僅かだけ視界に入るというくらいなのでは。テレビの視聴者なんて、ほとんど気にしていないだろう。後になって「あ、見てたんだ」みたいな・・・。

花粉症じゃなくて

into-the-sky2009-03-22


3月11日
 数日ぶりに霜が降りて、寒い朝三寒四温も文字通りの水曜日。起床する時間も、やや暗い、という程度になり、季節がすすみ、朝が早くなったことを実感。いつもより少し喉から鼻にかけて、何か引っかかっている感じ。嫌な予感である。
 2年の総まとめの日。珍しくスーツを着て一度職場へ行き、準備をして神田方面へ出発。その儀式的な事は、順調に終わり、再び職場へ戻った。昨日に引き続き、今日も花粉が多く飛んでいるみたいで、クシャミ連発の午前中だった。午後も、総まとめに関わることで、いろいろと仕事をこなした。夜は、新宿のある場所で、大勢でのパーティ。空気が悪いのか乾燥しているせいか、途中でかなり喉が痛くなった。まるで、風邪をひいたときのよう。もしかしたら、花粉症ではなく、風邪なのかもしれない。パーティの後は、比較的頻繁に行動を共にする職場の上司達との会合。喉が痛くて鼻が詰まっているせいか、いつもの3/5くらいの意識しかなかったような感じだった。深夜2時過ぎに帰宅。
 家に入ると、部屋の中は月明かりで、いろいろな影ができていた。照明をまったく点けなくても、柔らかい明るさを感じる深夜だった。デジカメを出して、何枚か撮影をして、ベッドに入った。体調が良くなく、日記もここで終わり。



3月12日
 深酒をした翌日は、それが理由で絶対に休まないという、ヘンなポリシーがある。たとえば、朝5時まで飲酒していても、7時前には朝食をとる、という徹底ぶりである(大げさ)。しかし、今朝は、ほぼ全身にだるさとちょっとした痛みがあって、ベッドを出られなかった。もちろん、朝食もとらず。どうやら、風邪だったらしい。午後に、はずせない仕事があったため、昼前に出勤。
 幸い、指示を出す仕事で、頭しか使わなくてもできる業務だった。室温を上げてもらって、ダウンジャケットを着込み、静かに仕事をした。作業は順調。熱いのか寒いのかが解らない寒さ。胃腸の調子も悪く、食欲もない。夜8時頃に作業を終えて、職場の前からタクシーで帰宅。ここのおよそ300字だけを書いて、就寝。



3月13日
 外の天候に目がいかず。それなりに冷えた朝だったと思う。クシャミと喉の痛みは収まったけれど、体は少し重く、やや腹痛。
 出勤して、薬と強壮剤のドリンクを飲んだ。今日も、昨日の作業の続き。
周期的な腹痛が繰り返された。あまり経験したことのない痛さ。次第に我慢できないくらいな痛さになり、目の前の視界が1/4程度になり、身動きがとれなくなった。7年くらい前に、意識を失って倒れた時の状態に近い。周囲に人が居たので、そういうふうなことを見られたくなかった。大きく深呼吸をして、何とか、正露丸を白湯を用意して飲み、上の作業部屋へ戻った。ちょうど昼休憩の時間だったので、そのまま20分くらい休んだ。嘘のように、腹痛が収まった。まるで、薬の宣伝みたいだな。腹部の違和感は残っているけれど、概ね順調。先月から続いて二度も風邪をひいたのは、珍しいし不思議。きっと、何か変なことというか今までとは違う何かがあるのだろうなと想像。無様な話である。
 作業は予定通りに終えて、夕方。約束していた業者が来訪し、対応。ほぼ同じタイミングで、僕の前職の人も来訪。途中退座して、そちらの相手をし、15分くらい話をして戻った。その後は、来訪した3名と職場のスタッフ3名で会合。いつもと同じ店。およそ3時間、短めに終わった。ある上司と一緒に帰るため、遠回りになる違う鉄道線で帰宅。いろいろと話をした。自宅の周囲も、南風が入っていて、この時期いつもの夜らしい冷たさはまったくない。

テレビ的でないテレビ的時間

into-the-sky2009-03-21


3月8日
 日曜日。陽射しが少ない割には、暖かい朝。そのかわり、日中はあまり気温が上がらず、肌寒い。
 朝食後は、やはり映画鑑賞。2編のシリーズものの1編目。恐らくアメリカとフランスの合作だと思う。見始めてから5分くらいまでは、画質が良いこともあって最近の作品だと思っていたが、カメラワークやストーリーの荒削りさ、のようなものが目立ってきたので、リモコンの作品詳細のボタンを押して見たら、38年前に製作されたものだった。まあ、何となく淡々と見られる映画だった。
 掃除と洗濯は昨日済ませたので、映画を観た後は、Macintoshに向かって、iPhoto09の顔認識や撮影場所機能(正式名解らず)をいろいろと試していた。前にも書いたけれど、顔認識は、非常に賢い。Macが首を傾げながらも、「この人は違います?」とか「この人もそうでしょ?」みたいに聞いていくるから、健気に感じるし、やる気ももの凄く伝わってくるのだ。しかし、僕は、友達も極めて少ないし、その人の顔写真なんて言ったら、皆無に等しい。加えて、結婚もしていないし子供も居ないので、家族ぐるみでのそのような写真もないから、機能はほとんど生かせないわけである。まあ、宜しい。
 午後は、職場の中のある部屋で、ある大御所2人が出演する番組のロケがあった。今日の内容を投稿する頃には、放送を終えているので珍しく具体的に書くが、TBSのかつての音楽番組といえばこの2人、というある男女の対談番組である。どのような経緯で、僕が居る職場でのロケになったのかは知らない。結局、あまり具体的に書いてないかもしれない。
 ということで、休日だったけれど、そのロケに顔を出すために、昼過ぎに家を出て職場へと向かった。この話を知り、ぜひ見たい、という母も同行。撮影の内容が解ると、おのずと大体の規模も解るので、車3台くらいかな、と予想していたら、職場の前には、少なくともバンが4台、マイクロが1台、ショートボディの観光バスが1台、と随分と大掛かりだった。当たり前のようだけれど、この世界、車の台数で撮影の規模が、どんな車がいるかでドラマなのか映画なのか、が解る。
 僕は、以前の職場で何度も一緒に仕事をしたり顔を合わせていた2人なので、久しぶりの再会となった。1時間ほど収録テープが回り、終了。実際に放送されるのは、長くても収録時間の1/3弱だろう。夕方4時過ぎに帰宅。



3月9日
 暖かい朝。冷え込みはまったくない。日中は、ずっと曇り。朝の予報通り、夜には雨が降り出した。
 昨日、対談をしていた女性が司会をするトーク番組は、実は以前、僕も携わっていたもの。その番組は今でも続いている。昨日の対談でもその話題が出てきて、10数年前のその頃を思い出しながら、懐かしく話を聞いていた。当時、その番組に初めてついた時は、少し驚いた。それまでの予想に反して、収録内容のいっさいを編集をしない、という製作手法だったからだ。
 いわゆるトーク番組というと、大抵は、放送時間の2倍から3倍以上は、テープを回す。沢山の収録内容の中から、より面白いもの、番組の主旨に合うものを、抽出するためだ。番組によっては、用意した収録テープがなくなる、という理由で、収録を切り上げることが何度もあったほどだ。話の内容は、ノンフィクションだけれど、番組としては、いわばフィクションとなる。もちろん、これが単純に悪いとは思わない。ある部分では、テレビの宿命ともいえる。
 しかし、その番組は、30年以上も前から、編集をしない完パケ収録が続いている。これは、女性司会者本人の意向が繁栄されている。理由は、本人の口からも聞いたことがあるし、間々、番組中でも話されることだが、ここでは書かない。ただ、もの凄く当たり前な理由である。この当たり前さが、テレビ番組には極めて少ない。当たり前でいることが謙虚なのか、そうであるべきなのか、これもやはり単純には語られるべきではない。けれどもしかし、その当たり前は意識する必要があるし、番組作りのベースには欠かせない要素である筈だ。
 テレビのあるべき姿やその普遍性といったものに対して、特定の拘りのようなものは、僕にはない。しかし、今の地上波の番組は嫌いなので、ほとんど見ない。嫌だったら見なければ良い。強制加入でも有料放送でもないのだから、嫌であるならば、見なければ良い、という話だ。ただ、視聴者の大半が、そのような製作手法を知っている現在では、むしろ、その当たり前さを追求したほうが、結果的に視聴率がとれるとは考えるているが、いかがだろうか。
雑務を数多くこなす日。夜9時頃に帰宅。



3月10日
 暖かい朝。風が強く、空気が乾燥していないわりには、その透明度は高い。所々に雪があり、一層輪郭を際立たせている山々の稜線も、はっきりと見えた。日中は、さらに暖かくなった。15℃以上にはなっているだろう。もの凄い量の花粉が飛んでいるらしく、花粉症でない僕も、クシャミが沢山でてきた。目のかゆみはない。
 11時からは、やや多人数に対しての仕事。その後は、職場にいる若い人と話。いろいろと相談を持ちかけられたため。もう1人、若い人に対応し、その後は、スタッフ数名と、ある有名タレントにコメントをもらうために、四谷にある芸能プロダクションへ。4月のあるイベントで流すVTR収録。今回の撮影で、僕の職場の窓口になった人との待ち合わせの時間が、タレント本人が入る時間とほとんど変わらなかったため、僕は待ち合わせを待たすに、先に撮影場所に入って準備。手前の準備で本人を待たせる、ということは、あってはならないことだからだ。準備を終えた頃に本人が到着し、撮影開始。3分で終了。職場へ戻る途中でも、クシャミが止まらない。今日だけ、だったら良いのだが。
 夕方前に職場に着き、職場に居る若い人数名と、いろいろと手続き上の話を1時間半。その後、別の若い人に、あるイベントに関する指示をいろいろと出して、1時間弱。さらにその後には、職場に居る若い人4人に対して、沢山の話をしたり相談をしたり、これがおよそ2時間。結局、11時から19時過ぎまでは、間の30分くらいを除いて、誰かと、あるいは、誰かに対して、ずっと話をしていた。そのせいか、帰宅したら、喉が少し痛くなった。クシャミも相変わらず。
 夜9時前に帰宅して、ゆっくりと独りで考え事。少し早めにベッドに入った。