一度は擦れてみないと

into-the-sky2009-04-25


4月7日(火曜日)
 いつもより、少しだけ早い朝。イメージ的には、速い朝のほうが合っているかも。天気も気温も、特に気にならない。家の前の桜は、やっと満開になった。葉は、まだ出していない。例の芝生のゲレンデには、昨日と違う形の雑草がボリュームを増している。少なくとも、芝生よりは反応が早く、勢いも強い、と感じられる。
 今日から2日間、この時期特有の宿泊での仕事。僕は、所信表明その2をするくらいで、実質的には、若い人がさらに若い人の面倒を見る、というもの。ここ10年以上も、ずっと群馬の山の方で宿泊していたけれど、今年は始めて、千葉の南房総に行くことに。仕事に関係なく、初めて通る道を、久しぶりに行く街を、ずっと前から楽しみにしていた。
 一旦、いつもの職場に行き、必要な書類などを持ち、さらに都心部へ。観光バスに乗り込み、10時30分過ぎに新宿を出た。30分くらいで、湾岸に出てお台場を通過し、初めてのアクアラインへ。東京湾を横断するというイメージは、非常に特殊なことに思えて、海に浮かぶ人工島も30年前のSF映画みたいで、とにかく、事前にいろいろと想像を膨らませていたわけだが、東京側からだと、海の手前でトンネルに入るし、海ホタルまでは意外に距離が短いし、人工島の全体を見渡さなかったので海辺の観光地と大きな違いはなかったから、それほど横断しているという特殊な印象は受けなかった。海ホタルから木更津までの橋上構造で、海の上を走っている、という気持ちになるくらい。それでも、もう少し視程の良い日に、もう一度来てみたいな、とは思った。
 千葉県に入り少し進んで、東京湾フェリーの発着所で、昼食。横浜や川崎が霞んで見える。当たり前だけれど、家の近くから見る横浜や川崎より、ずっと近くに見える。海の先にあるものは、すべて遠いという錯覚的観念は日本特有のもの、かもしれない。1時間ほどで、再びバスに乗って、南房総を横断。夕方前に、九十九里海岸と鴨川との中間地点の街にあるホテルに着いた。少しだけ休憩をして、所信表明その2を含む研修。1時間くらい話をした。マイクを使ったり、椅子に座ったままで話をするのが好きではないので、やや大声で少々の移動をしながら。この頃は、話をしながら、手振りが多くなっているようだ。AppleのWEBサイトで見る、ビデオチュートリアルのせいかもしれない。
 夜半過ぎに、何人かのスタッフと部屋で静かに会合。深夜の2時過ぎに就寝。



4月8日(水曜日)
 朝5時過ぎに起床。全体的な起床義務時間までは、かなり早い。しばらくは、窓を明けて、外の海辺の風景を独りで見ていた。頭を覚醒させるためでもある。波の音、という効果音が1つ加わるだけで、いつもとは、かなり違う印象。代わりに、自宅の朝では沢山聴こえる鳥の声は、しない。
 部屋の前の廊下からは、海とは反対側の駅前やその市街地が見えるので、部屋にあった椅子を廊下に出して、30分くらい街並と房総の山を眺めた。たまに、都心部では見られなくなった系式の電車が、左右に行き交う。最近では、外側のすべてが塗装されている、というだけで、随分と古い車両だと思うようになってしまった。まだ、全部塗装で新車を導入している鉄道会社もあるから、単に、自分が目にする環境によるものだろう。
 昼食をほとんどとらないと決めていたので、朝食は多め。支度をして、富津市にある、有名な牧場へ。昨年までも、群馬の牧場に行っていたわけだから、そう目新しいことでもない。ただ、途中の山坂道の九十九折りが大きな違い。対向できないような狭い路を、バスが勢い良く進むので、面白いし気持ちが良い。車酔いなんて、僕に関しては、まったく関係ないこと。一般的に乗り物酔いをするような環境ほど、好きなのである。だから、船も大好きで、もちろん酔わない。
 若い人達が、バンジージャンプをしていたので、一応、それを見た。この種のものには、まったく興味がない。勇気は必要だろうが、飛び降りたからといって、度胸がつくわけでもないだろう。まあ、飛び降り慣れる、ということにはなるのかな。一種の肝試しのようなものか。その後は、牧場内を少しだけ歩いた。菜の花と桜が綺麗。黄色とピンクと緑と水色の景色が広がる。海抜が高いためか、日陰と日なたの気温差が大きい。暑いけれど寒い、みたいな。
 昼食のバーベキュウは、やはり謹んで遠慮させていただいた。屋内での焼き肉、というか、その後の衣服や体についた匂いが、とても嫌いなので。ただ、牧場牛乳だけはいただいた。3年ぶりくらいの牛乳だったと思う。味が濃厚で、美味しかった。
 帰路もアクアラインと海ほたるのセット。都心部を通り、夕方に職場へ戻った。仕事はしないで、ほぼ、そのまま帰宅。疲れてはいないが、10時頃にはベッドに入った。



4月9日(木曜日)
 たった、一日あいただけで、窓の外の桜の木々には、かなり緑色のものが増えていた。朝から暖かくて、暖房は必要ない。観葉植物すべてに水をあげた。葉が大きくて、あるいは多いものほど、温度の変化に影響されるから、これから秋までは、なかなか気が抜けない。枯らしてしまったら可哀想だという気持ち半分、自らのテイタラクさを実感したくない気持ち半分、である。
 いつもと変わらぬ時間、いつもと変わらぬ出勤。職場では、午前中は静かに過ごし、午後はまた、1時間くらい話をした。やはり、手振りが多くなっていることに、気がつく。夕方は、雑務と来週からの定常的な仕事の準備。
 こうして、一般的なサラリーマンとは違う仕事を続けていると、自分の職場や自分の仕事について、常に、より客観的な視点を持つ必要がある。主に、仕事の密度と、考え方について。今の環境に擦れたくない、染まりたくないと、常に考えている。それは、ここ10数年、変わらないスタンス。この擦れや染まりが、最大の恐怖だと思うし、そうなったら、もう、その仕事をしている価値がない、とも考える。ただ、現実的には、擦れているなと実感するタイミングもあるわけで、両者の立ち位置は、のこぎり波形のような移動を繰り返していることになるのだろう。
 1つの職場に長くいるほど、さらに擦れないように心がけるというか、その環境からは、できるだけ立ち位置を替えるべきだと思う。逆に、若いうち、その職場に入って2.3年くらいは、思い切り擦れてみたほうが良いと思う。ある一瞬でも擦れないと、その客観的な位置は見つけられないからだ。それが、外に居る単純な傍観者との違い。また、たとえば、中途で入ってきた人が当の職場を見て、「他とは違って、ヘンだ」と短絡的に思ったり、そういう指摘をするのは、以前の職場に擦れ続けてきたせい、ということになる。もし、2.3年経っても、そういう気持ちが変わらなかったら、実利的に、変えるように動いたほうが宜しいし、あるいは、自らが、離職をした方が宜しい。
「擦れてみて 初めて持てる 客観眼」と一句。何だか、年輩者が書く、日記みたいだな。