何を書いてきたのか

into-the-sky2009-04-29


4月13日(月曜日)
 6時の気温は、11.2℃。やわらなか西よりの風。晴れ。昼過ぎは、夏日なのだろうな、と感じられる暑さ。25℃以上の熱帯夜となるけれど、蒸し暑いし寝苦しいと感じるわけだが、それに比べたら、湿度も低いし、陽射しはあるし、明らかに清々しい。
 先週から、平日朝の電車遅延が、本格的にスタート。平均すると、毎日5分は確実に遅れている。駅の改札を出ると、なぜが、駅と目と鼻の先にある大学構内には進まず、友達と待ち合わせをしている学生達が沢山居る。鬱陶しいが、仕方ない。きっと、初めのうちだけだろう。その行動も、その友人関係も。
 さて、今日から、比較的定常的な勤務。夕方前まではウォーミングアップ、その後に本格。夕方過ぎからは、イレギュラな仕事。機材に関わる作業。頭を使う、というよりかは、ホコリまみれか。3時間くらい続けて、今日のところは終了。10時過ぎに帰宅。
 勝手に電源が入っているテレビのニュースでは、この時期、新入社員研修の模様を何度か目にする。やや広い会議室のような所で、情報系の業種の社員が講師となり、ビジネスマナーの勉強をしたり、ディスカッション演習をしたりしている、という様子である。しかし、そのような研修を遠巻きに観る限り、たいした有利性はあまり感じられない。紙に書いて配れば良いものを、わざわざ時間をかけて口で説明しているようにしか、見えないからだ。意味を説明するかと思えば、つまらない能書きが先行して、真意がぼやけてしまう。さらに、新人としての緊張感がそれらを一層覆い隠すので、意味を反芻したり理解したりすることまで至らない。それに拍車をかけるように、一種のセレモニーだ、という意識も持っているので、一層、実に入らないわけである。つまらないマニュアルのように受け止められ、応用も効かない。結果、すぐ隣に座る上司の的を射た一言の方が、説得力があるし意味がある、ということになる。
 そうした研修は、むしろ、いわゆる中堅社員に施したほうが意味がある。なぜならば、形骸化した、自分や周囲の現象を、反芻するように再認識できるからだ。



4月14日(火曜日)
 気温はあまり低くないけれど、やや厚い雲に覆われて、外は寒そうに見える。南岸を進む低気圧が近づいていが、雲の厚さの割には、比較的暖か。予想の通り、夕方前から雨が降り出した。
 職場に近い最寄り駅から2つ手前の駅で読書を止めて、音楽を聴きながら考えごとをするという動作が、ほぼレギュラー化しつつある。そういえば、昨年の4月までの1年間は、毎日のように、駅から職場までの道も、読書をしながら歩いていたのだ。よくやっていたな、と遠望。そのうちどこかにブツかるのではないか、という心配よりも、日当りでの紙の眩しさが気になって、大変だった、という淡い記憶も。こうして今振り返ると、つまりは、競って読書をしていたのだな、と感じる。競っていた相手は、もちろん自分であるけれど。
 読書というインプットの作業が、直接的なきっかけになってすぐにアウトプットされる、というわけではないと思っていたし、考えさせられるような内容の本を読んだ後では、あえてそれについては書かないようにしたきた。そして、当時の1/4くらいになった今も、引き続き駄文ながらも、こうしてアウトプットは続いている。そのように言い続けてきたことを、結果的に実証した形になっている。
 書き続けてきた今、最も強く考えることは、「いったい、この長きに渡って、こんなに沢山、何を、書いてきたのだろうか」という、大きな不思議、である。

 夜に入って、他の部署の先輩2人と会合。この3人が揃うのは、およそ半年ぶり。実は、うち1人は、前職でも上司だった人。その人が先に前職を辞め、その2年後に僕が辞職した。偶然にも、同じ職場に入ったわけである。もちろん、これには何ら必然性はなく、単純なる偶然。今の職に就任する直前の採用面接で、初めてその事を知って驚いた記憶がある。途中、少々のブランクがあるけれど、仕事上でこれだけ付き合いが長い人は、他には居ない。そして、いろいろな意味で、僕にとって影響力がある人であることには、当時も今も、変わりない。
 7時間くらい、いろいろと話をして、深夜の2時前に帰宅。外は、やや強い風を伴った、積極的な雨。


4月15日(水曜日)
 早朝に通過した低気圧が、濁った空気を吸い取っていった。透明度が高い空気。鮮やかな青空、白く眩しい光、消極的ではあっても彩度が高い緑、緊張感がある、柔らかい気温。まさに一年間で最高の日。ここ1週間くらいでは、最も近くに見える富士山は、依然として、白く膨らんでいる。電車内から観える、多摩川の河川敷が、羨ましい。こういう日ほど、休まず仕事をしていることに、後悔する日はない。
 夕方前までの仕事の内容は、昨日とほとんど変わらず。その後は、月曜日の夜と同じ仕事。絶対的な時間はかかるけれど、内容は大したことがない。自分なりに、いろいろと緻密な作戦がたてられるので、その点は面白い。9時過ぎに終えて帰宅。

 職場内のある部屋に、僕が発案と予算取りをして、40型の液晶テレビとブルーレイプレーヤを導入した。4月の初めに、専門の業者が設置。当然、動作チェックをしていったものだと思いながら、自分でも確認しておこうと電源を入れて、テスト用のブルーレイディスクを再生してみたが、1080(有効走査線数)のHDTV画質だと、1台のテレビ以外には、映像が流れなかった。480のSDTVの画質だと問題ない。どうも、HDMIケーブルの実効長とデータ量の関係によって、データが多過ぎると遠くの数台のテレビモニターには、信号が完全に届かない、とう現象のようだった。業者の確認は、480の設定で行ったので、不完全を見落としたのだ。
 これは、その業者に対しての呆れでも疑念でもない。最終的に注文した人間が確認すれば済む、単純なことだ。ただ、問題なのは、従来にはない設備なので、それに対して僕の知識がない、ということ。理解していれば、あらかじめ配慮するように指示しておけば良い話だし、自分での確認も、ごく僅かな時間で終わるわけである。機器やメカニズムが不完全であっても、それは同じ。いずれにしても、過渡期というか、創設期というか、それが起因しているということだろうか。そうはいっても、過渡期でない時代ってあるのか、という疑問も同時にもつわけだが。