たとえば避難と非難とか

into-the-sky2009-06-07


5月10日(日曜日)
 昨日より空気が濁っているが、風も適度、気温も適度、湿度も適度の、気持ちの良い天候。
 朝食後は、「刑事コロンボ」。ちょっと変わった構成、というか演出になっていて、面白かった。いつものより増して、「やっぱりな」という終盤。ネタバレになるので、具体的には一切書かない。その後は、読書。BGMもなし。ソファで読んだりMacintoshの前で読んだりベッドに寝転がって読んだり。ある有名な建築家にまつわるノンフィクション。
 昼前には、親からのリクエストで、南大沢へ。まずはいつもの園芸ショップへ。またカゴ一杯の花を買っていた。その後Francfrancへ。2年前くらいから買おうかと迷っていた物を購入。買うかどうかをもの凄く迷う物と、衝動的にすぐに買うことを決める物との落差が激しい。20万円以上する物を即決する場合もあれば、5000円程度の物に何年もかける場合も。買った後の実利性を想像してのことかと思えば、思い切り実利的な衣服は買わないことも多いから、自分でもよく解っていない。分析もしていないけれど。
 帰り道は、たこ焼きを二粒たべて昼食。紀ノ国屋グループのスーパーマーケットで買ったものだから、それだけで美味しい気がする。
 帰宅して、午前中と同じスタイルで、読書のつづき。夕食後は映画を1本観た。就寝前には、観葉植物の手入れや育て方が書かれているようなwebサイトをいくつか閲覧した。コンスタントに毎月8日以上休みがあったら、僕の性格的に、間違いなくハマるだろうと思う。まあしかし、実際にはその前にやりたいことが列を作って並んでいるから、当面はやらないだろう。いわゆる老後になるか。
 夕方は、今年初めてのクーラー。暑い日中は強い陽射しがあって、開き直りの心境で我慢できるが、夕方は昼間の暑さだけが残ることになって、それに慣れていないこの時期は、我慢できない。


5月11日(月曜日)
 生温い朝。窓を開けても、朝らしい空気と感じない。湿度も高いみたいだ。空も濁っていて、晴れだか曇りだか、よく解らない。嫌な季節が近づいている。
 上は、「なまぬるい」と書いたつもり。「生暖かい」とは少しニュアンスが違う。どちらも「なまあたたかい」とは読める。これが日本語の、とりわけ漢字の難しいところか。「暑い」と「熱い」も、使い方としての意味はあまり違わないけれど、やはりこちらもニュアンスは違う。天候に関しては、「暑い」の方が適切かもしれないけれど、度を超えた「あつさ」の場合、「熱い」と書いたほうが、似合っているだろう。そもそも「熱帯」と書くわけだし。
「例え」と「喩え」も、同じ。「譬え」とも書く。どれも同じ意味として使われる。僕は、物事を対象としている場合「例え」、表現を対象としている場合は「喩え」、叙情的な想いを記す場合は「譬え」と使い分けている。ちなみにこれは独自のルールであって、漢字に対する個人的なイメージによるもの。
 どちらでも構わない漢字だったらまだ良いが、「避難」と「非難」になると、この違いは危険なゾーンに入る。「非常口」と書くから「非難口」と書かれていても、意味は通じなくはない。しかし、この言葉を使った文にすると、例えば、「嫌な人間を非難する」「嫌な人間から避難する」というように、助詞が変わるだけで、意味が大きく換わってしまう。さて、上のルールでいえば、直前の「例えば、」は、適切だろうか。もう、他人には、解らないだろう。いずれにしても、海外の国の方が日本の漢字を勉強するとき、その難しさをどう克服しているのか、興味深い。
 さて、17日間続いた連休期間も終わり、今日から普通の5月。結局、この期間に出勤したのは、わずか4回だけ。日記を書いたり、いろいろと考え事をしていたから、アウトプットはしていたわけだけれど、考えていることが、すぐに言葉にならない。両親との少々の会話くらいで、口数が少なかったからだ。まあ、明日には慣れるだろう。そうすると、やや多言になるか。



5月12日(火曜日)
 朝から暖かくて19℃。緑はだいぶ陽に焼けてきていて、日増しに濃い色になってきている。家からもっとも近い木々は、すべて桜なので、剪定されていない。年次、膨張して体積を増している。しかも、街路の両脇にあるので、部分的に木々の中を車が進むような感じ。この街路を北から南へと向かうと、桜の木の手前から弱い上り坂になって、ちょうど桜の木々のあたりでちょっとした峠になって、それを越えると弱い下り坂になって左にカーブしているから、北側のやや離れた場所から見ると、街路が森の中に吸い込まれるように感じる。
 定常的な仕事を終えた後は、その仕事に関わるスタッフ10数名と会合。二次会は7名、三次会は3名。店を出たのは深夜2時過ぎ。高速で走るタクシーの窓からの空気が、乾燥していて気持ちが良い。
 観葉植物のエバーフレッシュについていた葉ダニは、駆除剤の効果で見事に一掃されたけれど、コナカイガラムシは相変わらず。気がつくと枝に付いている、というふうに、移動しているような様子もなく、その場で湧き出るように見える。とりあえずは、観察しやすい場所に移して、見つける度に退治。その鉢から生えて来た綺麗な雑草(名前を知らない)も、綺麗に健気。鉢を買って移してあげる予定。
 アジサイの葉を小さくしたような形の葉に、触ると細かく小さな毛が生えている感覚がある。花を咲かせそうな雰囲気もあって、ささやかな楽しみである。


5月13日(水曜日)
 朝から色が濃い青空が広がっていて、日陰の色温度が高い。声だけで姿が見えなかった野鳥も、今年の環境に慣れたのか、少しだけ姿を現すようになった。木も葉も生い茂り、すぐに隠れる所が増えたからだろうなと想像。朝の気温は、ほぼ20℃。
 日本付近を覆う高気圧の中心が、日本からは西の太平洋にあって、気圧配置は、真夏のようになっている。風の噴射口が南にある、ということと同じであって、その分、暖かい風が入ってくる。この気圧配置が長続きして、強い陽射しによって一段と空気が暖まると、真夏のような天候になる。早くも、夏の練習が始まったようだ。この調子で進むと、今年の夏は、少し早く訪れるのだろうか。
 先日Franc francで購入した、アロマミストを使っている。アロマオイルを水に数摘たらして、その水を超音波の振動で変わった細かな霧によって、香りが部屋全体に広がる、というもの。今まで、単純な芳香剤やお香、オイルをロウソクで発散させるものなどを使ってきたが、そのどれよりも、簡単で使いやすい。加熱して暖めるわけでもないので、電源を入れた途端に霧が出てくる。短時間で、家の中の香りを変えたい、というときに、威力を発揮している。香りが違うアロマオイルをいくつか併せて買ってきたので、いろいろと試しているところ。そのなかで、都内のあるホテルで使っているボディオイルに近い香りのものがあって、それがメイン。何というタイトルのオイルかは、知らない。
 ちなみに、体につける香水も、引き続き6種類のものを代わる代わるつけたり、それらを少しずつ一緒につけたりして、毎日違う香りを楽しんでいる。比較的頻繁にどんな香水を使っているかを訪ねられるけれど、答えようがない。しかも、その香水たちのブランド名や名前も、やはり知らないし。結構、有名なメーカーの製品らしいが。
 今夜は、職場にいる若い人達と会合。11時過ぎに帰宅。

みずからみちびく

into-the-sky2009-05-23


5月7日(木曜日)
 予報が変わるだろうな、と思っていたら、案の定、ほぼ一日雨へと変わった。昨日から引き続き、真剣な雨。
 久しぶりの出勤。しかし、明日から3日間は、再び連休。ただし、明日は出勤するかもしれない。天気も悪いみたいだし。
 先日、職場の同僚何人かとの話。テレビは番組単位で視聴料を払うという時代になる、という意見が多数だった。僕も、その方向に進んでいるとは思うけれど、現在、受信料を払って視聴するかたちになっている公共放送とのすみ分けをどうするか、番組の挟間に流しているスポットCMはどうするか、などの問題があって、すぐには実現しないだろうとは思う。ただ、これは、従来や今後の良悪ではなく、あくまでも、どう変えていくか、という話。いずれにしても、メディアが細分化され、今までのように、大きなどれか1つで広告収入を得ることは難しくなっているわけだから、個々に細かく利用料を徴収していくシステムでしか、生き残れないのは、明確な事実である。
 やはり、これも良悪ではないけれど、少なからず、マスコミが世間のいろいろなシステムを変わるきっかけを作っている、ということは、間違いない。それによって、体制が変わる方向に動き出す、というもの。マスコミによって流される情報は常識的なもの、マスコミの意見というものは一般論、というふうに認識されている傾向にあるからだ。数年前に、ネット系企業によるテレビ局の買収が騒がれた時も、マスコミ自身がそれを「良くないこと、常識的でないこと」と、積極的に導いた。これによって、テレビ局側への同情論が、態勢をしめたわけである。僕は、傍らにいる人間として、その問題の結果に対しては特に意見を持たないけれど、変わるべきことやその方向性の1つを封印したのだろうな、と解釈している。
 何を言いたいのかというと、マスコミ自身が当事者である場合、客観的な視点と自制自助的なメカニズムを強く動作させないと、自らが影響している「世間」から取り残されていくことは必至である、ということ。

 定常的な仕事の後は、いろいろと雑務をこなし、夜10時過ぎに帰宅。結局、明日は休むことに。


5月8日(金曜日)
 昨夜から、ほとんど気温の変化はなくて、ずっと14℃と少し。雨は、よく観察しないと見えないくらいの小さな粒。風もほとんどない。天気の回復というよりかは、一休み、という感じ。今日も、朝になって、「一日雨」という予報に変わった。
 朝食を食べる終わる7時頃からは、激しい雨になった。年間に3度経験するかどうか、というくらいの強さ。15分に一度くらいの頻度で、雷もなった。自宅の周辺は、反時計回りの渦の左側に位置しているようで、南南東の方向から強度の高い雨雲が動いてきている。この調子だと、止み間はあっても、低気圧と寒気塊が通り過ぎるまでは、雨が続くだろう。今日やるつもりでいた、新しい大きな鉢への植え替えは明日に。
 ネットで資料請求をした警備保障会社2つから、資料が届いた。S社からは請求をした翌日、A社からは昨日届いた。このスピートの違いは気にならない。送ってもらった資料を見ても、この2社のサービスや仕組みの違いは解らない。費用は、少々の違いがあるのだが、これも今までの経験からすると、表記の仕方が違うだけで、結果的にはたいした違いにならないような気もする。
結局、ネットを見ても紙の資料を見ても、解らないことがある。調べている対象によっては、解ることはごく僅かである。インターネットの仕組みができて、便利な世の中になったとはいっても、対象までの距離が多少縮まった、あるいは、ほぼ同時に見られるものの数や種類が増した、くらいだろうと、改めて実感することになる。いずれにしても、閲覧できる情報の量は、すでに頭打ちになっていて、今以上に増える、ということはなさそうだ。
 昼過ぎまでは、本を読んだり映画を観たり。夕方前は、母親を誘って、国立にある洋菓子舗「ウエスト」へ。この場所の店は初めて。隣接して配送センターがあって、隣に小さな売店がある。6つを購入。もう少し高くても良いのではないかという、相変わらず上品な味。次回は、クリームチーズケーキを予約して買いに来よう・・。併せてクッキーも買って、車の中で食べながら自宅の近くへ戻った。


5月9日(土曜日)
 昨日とは180度は向きが違うな、と思う天候。朝から、緑を一挙に濃くするような強い陽射しがある。少し残っていた冷たく湿った空気も、朝を過ぎると一掃された。
 朝食後は、映画を1本。その後は、懸案のパキラの鉢 植え替え計画に。2階のベランダに出して開始。しかし、従来の小さな鉢から出そうにも、出ない。よく観察すると、育った根がプラスチックの鉢を外側に押し出すようになっていた。鉢が所々変形していて、土をどかしても、出てくるような状態でないことが解った。親を呼ぼうかと思ったけれど、作業を大げさにしたくなかったので、なんとか自分独りでの作戦を考えた。従来の鉢は安価で長年使っていたので、裁断して中身を出すことに。キリで点々と穴をあけて、間をペンチで切り裂くという方法。この作戦が功を奏し、20分くらいで、パキラのかぶが出てきた。それまで使っていた大きめなバークチップを新しい鉢の底に敷き、新しい土を少し盛ってパキラを置き、古い根を切りながら新しい土を入れていった。8分目くらいで土がなくなったので、作業を中断した。エバーフレッシュも外にだしてあげて、霧吹きをしながら、2時間くらい外の風にあてた。
 副音声に、監督自らの解説が入っている映画の作品2本を観た。ストーリーの進行やシーン・出演者に併せて、それに関わるエピソードを語るというもの。美術監督も同様に語っている。本編を製作してからおよそ5年くらいは経っているらしく、ザックバランな本音に近いものが聞かれる。その後は、特殊効果の担当者が語りながらのメイキング映像の作品も観た。当然ながら苦労や裏話のようなことも語られているわけだが、それよりも、製作に携わったスタッフが、どこに面白さをおき、何を目的としていたか、何に対して配慮をしていたのかが解るし、それに興味がある。
 夕方は散歩に出た。1時間30分くらい。今日はあえて、車の通行が多い街道沿いを歩いた。ニュータウンの中のバイパス道路ができるまでは、交通の要所だったのだろう。どの建物も街道の際まで出ていたが、それでも最近は、少しずつセットバックをしたり、建物自体が無くなったりしている箇所が増えた。拡幅の計画があるようだ。

ミズをサシてコシをオル

into-the-sky2009-05-10


5月4日(月曜日)
 連休の晴れもそろそろ・・、という天候。だいぶ疲れた晴れのように見える、というのは、気のせいだろう。朝の気温は、16℃と少し。疲れてくると、気温を積極的に下げることも上げることもしなくなる、というのも気のせいだろうか。具合が悪い時は、あまり活動しないでじっと静かに過ごす、頭も体もその抑揚をつけないようになる、というのは気のせいではないだろう。
 昨日は、朝食後は映画を観て、観葉植物の手入れ。葉ダニが増えてきていたので、水を霧吹きしてから、専用の殺虫剤をかけた。成長する時期に、特に面倒をみてあげる必要がある。これは人と同じか。パキラは、この春は今の時点で10組の葉のセットを作った。1組が5枚だから、今年は少なくとも50枚以上の新しい葉が出てくる。背丈は僕の身長を完全に越している。親の家から来た時は1メートルもなかったから、倍の身長になった。鉢が小さいので、もの凄くアンバランス。この連休期間中に大きな鉢を買うかどうか、というところ。とにかく、どの観葉植物もかなり伸びているのだが、僕は枝を落として見た目のバランスを整えることがあまり好きでないので、好きにさせてきた。しかし限界もあるわけで、どうするか、いろいろと懸案である。何だか、比喩ばかり書いているような気がするな。
 引き続きの昨日、昼前には図書館へ。さずかに連休の真っただ中だけあって、数年前の開館当時並みに空いている。勉強机も閲覧ソファも半分くらいしか使われていなかった。専門書・随筆に、久しぶりに小説も借りた。計4冊。最近は、建築デザイン関係の専門書が多いのが傾向。趣味はたいしてないけれど、興味のあるものは、自分でも数えきれないほど。
 夕方前は、2時間くらいの長い散歩。森の中を通り高台に出て、下に降りて田畑を通り、また、森に登り木々の間を通って・・・という、いつものコース。8キロくらいは歩いたが、この間、信号は1つもなし。間近に見ることさえ、ない。つがいだと思われる野鳥の鴨が、水が入る前の田んぼを、ゆっくりと歩いていた。健気でもの凄く可愛い。
 夕食後は映画を観た。やはり、今日も今日のことが書けなかった。



5月5日(火曜日)
 昨日の天候マイナス陽射し。気温は、その分、少しだけ低い。予想では昼過ぎから雨。久しぶりの雨が、やや楽しみ。
 昨日の月曜日は、音楽を聞きながら、積極的な家の掃除。まずはワイパーモップで拭って、その後は、あまり積極的に活躍しない掃除機で、2階と3階を。特に3階は家具を僅かにしか置いてないので、ほぼすべてに渡って掃除機をかけることになる。2階はすべてフローリングなのに対し、3階はすべてカーベット。掃除機が非力なのかノズルが悪いのか、吸っているというよりか、滑らせているような印象。たいしたやりがいは感じない。10年くらい前に、日本メーカーのかなり安いものを買った。そろそろ買い替え時かな、と思ったり・・。2階は、ウエットタイプのワイパーモップに替えて、もう一度拭った。エスプレッソマシーンも、同時に掃除。
 昼過ぎは、映画を観て、その後は、散歩へ。帰宅して、夕食までの間、警備保障会社のWEBサイトをいくつか閲覧。現金を家に保管しているわけでもないし、高価な貴金属がある筈もないのだけれど、火災警報器も取り付けが義務化されるし、周囲の住宅街はかなり高い割合で、セキュリティシステムを導入しているようなので、昨年くらいから、いろいろと調べたり考えたりしている。マンションタイプだと低価格で、一軒家・独立二世帯の順で、高額になる。どちらかというと、母屋の方が必要なのだけれど、二世帯契約をして、僕が多めに月ごとの支払いを負担しよう、という目論み。支払いはたいした負担にはならないが、何か少しは節約をしないとな、と遠望中である。代表的な2社に、資料請求をした。

 たまに眺め見るテレビのニュースでは、連休渋滞とインフルエンザの話題が多い。ETC割引きを宣伝のように話題に取り入れても、量の増加や渋滞が環境に悪いと、積極的に表現することはしない。きっと、そんな「ミズをサス」「ハナシのコシをオル」ようなことは言わないのだろうな、と想像。さあ、何に対してサスのか、何に対してオルのか。解りやす過ぎる疑問である。
 インフルエンザに関しても、日本での初めての感染者にマスコミが花束を送る勢い、を感じるのは、気のせい?



5月6日(水曜日)
昨日の昼過ぎから降り出した雨が、まだ続いている。「明け方までに止む」という昨日までの予報は変わり、ほぼ一日雨。朝の気温はおよそ14℃、日中はおよそ15℃。気温を上下させるエネルギィは、雨に替わっているようだ。
 投稿が何日も遅れていて、内容も一日遅れになっていて、自分で読み返していても、いつの話なのか、直感的には解らない。書くのも投稿するのもそれを見るのも自分なだけに、投稿した内容を反芻してこの日記に書くと、それがいつになるのか、いつの自分なのか、と若干不思議に思う、・・・ということを書いているのも、数日後の過去完了である。「笑っていいとも増刊号」で、再放送の中の出演者が、いきなり増刊号用のトークを始める時、くらいの不思議さ、みたいな・・・。
 さて、昨日の火曜日は、親や姉家族のリクエストもあって、二子玉川の「ガーデンアイランド」へ。10時過ぎに迎えの車が来た。運転しないドライブは、やはり楽しい。多摩川沿いを40分くらい走り、目的の場所へ到着して、すぐに昼食。ある有名なレストランチェーンが運営している「ブッフェザ・ヴィラ」。ビュッフェ(バイキング)方式の店。ちなみに、「バイキング」の語源は、テレビや舞台でいう「イントレ」と同じく、元々、映画のタイトル。
 2時間弱で昼食を終えて、同じ建物の中にある園芸ショップへ。懸案だった大きな植木鉢と観葉植物用の土を購入。プラスティックの質感が嫌で、テレコッタだと重くて持てないほどだったので、グラスファイバ製の鉢に。詳しく知らないだけに、衝動的に高価な買い物をした気がする。ということで、その後の「Franc franc」では自制した。「無印良品」では、10分間くらいで、10点ほどをカゴに。「なんでもいろいろと買っていていいな」との甥っ子に対して、「こういうものはたまにしか買わないからいいのよ」という僕の親。ブラボー。さすが、よく観察されている。最後にペットショップ「joker」へ。やはり、犬を飼いたいのだが・・・・・。
 夕方前に一旦帰宅し、その後は、雨が強かったので、母親と2人で、買い物。夜は、映画鑑賞。以上、固有名詞をしっかりと提示した、火曜日の記録。

タカネとミドリダイと6330

into-the-sky2009-05-09


5月1日(金曜日)
 日一日、徐々に気温が高くなっていくような感じ。陽射しの強さは変わりない。朝からの、鮮やかな青空も、新緑だらけの木々も、やはり変わりない。そして、やはり、親の家に行っての朝食も、変わりない。
 そのとき、「今日は昔住んでいた街に行こう」と親がおっしゃったので、賛成して行くことに。10:30過ぎに車で家を出て向かった。10分くらい街路を走ってからは、中央高速。首都高速でお台場を通るルートを、ひたひたと走った。ほとんどが制限速度と少しくらいのスピードだから、本当にひたひた、である。
 そのまま東へと進み、途中のインターチェンジで降りて、8年ぶりの市内に入った。渋滞は承知の上で、あえて、JR駅近くの市街地を通った。以前は、踏切があって、一日中滞っていた駅前の道路も、線路が高架に上がってスムーズになっていた。昔からの宿場町の中心地は、およそその半分が、高層ビルや高層マンションなどに変わっている。駅前にある大きな2つの百貨店だけが、周囲から取り残されるように、当時の面影を色濃く残している。それ以外に何かが変わったような印象があった。よく見たら、駅前にプールされているタクシーの色が変わったからだ、と解った。
 駅を過ぎてからは、当時使っていた路線バスのルートを進んだ。駐車場だったり倉庫だったりした場所は、大きなマンションになったり大型家電店になったりしている。全体としての大きな変化は8年の経過くらいではないわけだが、個々の小さな変更で、街の雰囲気は変わって見えた。市街地を少し過ぎて一挙に広がる田園風景は変わらず。当時から「いつ店じまいしてもおかしくない」と思っていた、ある洋食屋も、健在だった。むしろ、フランチャイズファミリーレストランが、短期間で店をしめてしまっていた。まあ、何となく、世の中の図式を、象徴としているようだ。・・と書いたら大げさだろうか。主要道は、以前より交通量が多め。信号の手前を中心に混雑していたその道は、信号と信号のわずかな区間を除いて、ほぼ例外なく詰まっていた。
 自宅を出て約2時間で、以前住んでいた街に到着した。



5月2日(土曜日)
 小さなハチ見ないな虫が、同じような位置をホバリングしている。一瞬、どこかに急いで移動しているが、すぐに元の位置に戻り、またホバリング。この動作をもう、1時間くらい繰り返している。場所は、花の近くでも家の軒先の近くでも地面近くでもない。どこの近くでもないのだ。

 昨日の続き。
 8年ぶりの光景を目にしても、自分でも驚くことに、懐かしさはまったくと言って良いほど、ない。一週間ぶり、くらいの気分。以前住んでいた家には別の人が住んでいて、表札ももちろんその人の名前になっているのだが、これも不思議な気持ちになる。明らかに、かつて自分が住んでいた街、かつて自分が住んでいた家なのに、「今」との境界がない。だから、今日、その見えている家に帰ることができないのが不思議になってしまう。おそらく、当時と変わらなさ過ぎているからだと思う。記憶している過去の映像と、今の映像とが完全にオーバーラップして、重ならなかったりはみ出ているようなものが、何一つない。過去と現実が、一緒になっている、この初めての状況を、自分で解釈できないでいたわけである。大げさに書いていると自分でも感じるけれど、いや、実際はもっと心中穏やかでなくて、そのすべてを書けていない。
 30分くらい、ゆっくりとかつての街を観察した後は、自分が通っていた中学校と高等学校と、順に足を運んだ。しかし、ここではちゃんと懐かし気分に浸れる。そこに見ているものは、「過去」であることを、明確に認識できる。きっと、それぞれの学校生活というものは、過去の一時点でのことであって、終わりを実感しているからだろう。「今」との明確な境界がある。つまり、「生活する・住まう、という永続的なこと」と、「学校生活、という過去の一時点」との違い、ということだろう。
 1時間くらい市内の郊外を走り、再び、住んでいた街の近くの小学校まで戻ってきた。違う場所で昼食をとる予定だったが、その小学校の近くに、面白い雰囲気のレストランを見つけたので、そこに入ることに。「蔵 6330」という店。今の自宅の近くにもあって欲しい店、として、名前を掲げておこう。
 その後は、JR駅近くの市街地に戻り、国道14号を通って都心部へ。本籍がある日本橋を通過し銀座に抜けて、引き続き一般道を自宅に向かって走った。夜7時過ぎに帰宅。過去を振り返る一日。
今日のことは、明日に。


5月3日(日曜日)
 14℃の朝。もうちっともヒンヤリしていない。風はあるけれど、空気の透明度は今イチ。この一連の連休は、今日で何日目だろうか。もちろん、忙しく何かをしているということはではなく、まあ、それなりに活動的な日々。
 昨日の土曜日、朝食後は、ブログへ日記を投稿。緩慢なアップで、半月以上のタイムラグがあった。この連休中で5日違いまで間を埋めるべく、投稿に勤しんでいる。まあ、実際には勤しまないわけだが。書くことに比べれば、アップするのはほぼ一瞬なのだけれど、僕にとっては、このほうが面倒だと感じる、その結果、である。
 その後は映画を見て、本を読んだ。コーヒー豆や本2冊をネットで注文。コーヒー豆は、メジャなコーヒーショップより、安く帰る。併せて、デロンギエスプレッソマシーン用の石灰除去剤も注文した。必要なものはネットのこの店ですべて揃うので、便利。
 夕方前には、2つ隣の駅にある大きなホールで、クラシックのコンサートへ。NHK交響楽団による「ドヴォルザークのチェロ協奏曲」と「ベルリオーズ幻想交響曲」。サントリーホールとの音の違いは感じるけれど、元々、デフォルトの音質や環境なんてないわけだから、比較するまでもなく、良い音である。やはり、緻密さというか、丁寧さ、というものは、N響ならでは。半年に一度くらいしかクラシックのコンサートには行けないが、実際に聴くと、せめて一ヶ月に一度は聴きに来たくなる。
 特に、ベルリオーズでの「ハープ」の音を聴くと、体全体がシビレる感じ。バイオリンやピアノのようなメジャな楽器の音は、どんな環境でも比較的生音に近い音を聴くことができるが、ハープ音は、家に置くようなスピーカシステムでは聴けないだろう、というのが、持論。CD音源のせいか、環境のせいか、自分の耳のせいか、は、解らないけれど。しばらくは、この影響で、家でもクラシックを聴くことが多くなるだろう。
 アンコールを含めておよそ2時間くらいで終わり、自宅近くの駅へ。両親と3人で、外食。こちらも2時間ほど。その後、隣にある書店に寄って、Macintoshの雑誌と小説を購入して帰宅。

排自と江ノ島とラジオ

into-the-sky2009-05-06


4月27日(月曜日)
 朝、起きた時の気温は、7.6℃。弱い西よりの風が吹いて、寒い。西部の山脈から、冷たい風がゆっくりと運ばれてきているみたい。強い光が、外のいろいろなものの色を一層鮮やかにしている。
 先週の24日から連休週間が始まっていて、二日間休んで二日間出勤して、二日間休んで一日出勤、そのあとは、六日間休んで一日間出勤して、また、三日間休み。結局、4月24日から5月10日までの17日間、3回しか出勤しない、という状況。遠出する計画も特になし。自分のしたいことだけを集中してやる、という期間になるだろう。最近、量を減らしている読書に充てるか散歩に充てるか、という感じ。
 ということで、今日は出勤したが、休みの狭間的思考。その影響はないとは思うけれど、何かの1つに振り回され続けたという一日になって、帰宅してやや機嫌が悪いことに気がつく。
 そういう材料や要因は、できるだけ排除していきたいと、常に考えているわけではあるが、仕事を続けている限り、完全には排除できない。ただあくまでも、その要因に対して自分が何かをする、ということではなくて、そのような環境に自分が近づかないようにしよう、というもの。「排他」ではなく「排自」である。その形はいろいろあるが、受動的なな意志だけに留まることはない。ただ、いずれにしても、最終的に、そして完全に自分から取り除くには、今の仕事を辞めることにはなるのだろう。文句を言ったり、無用なことにエネルギーを注ぎ込むのだったら、そのほうが効率的だ、ということ。だから、今、辞めたいと思っているとか、あと1年で辞めるとか、そういう話ではない。いずれにしても、誰にも相談することもないだろう。自分一人で決めることだ。もちろん、先の決心をしても、ここに書くことはしない。辞めてから、1年くらいして、「実は辞めていました」と、こっそり書くかもしれないが。
 そういう意味では、これまでのここに、本音をどれだけ書いてきたか、というと、実はほとんど書いていない。どちらかといえば、傍らにあって、自分からは少し離れたところで思ったり考えたりしていることが大部分であって、確固たる信念を書いたつもりもない。仕事におけることであってもそれは同様である。
 夕方は、「2月のプロジェクト」の打合せ。その後は、ほぼ同じメンバーで会合。夜11時過ぎに帰宅。



4月28日(火曜日)
 昨日よりさらに低い気温。5.5℃。もし、2月頃でこの温度だったら、タイマーで暖房を作動させ、暖かい部屋の朝になっていた筈。電子音時計を見てから、寒さに驚くことになる。こうした油断で、体調を崩すのだろう。
 両親の家に行っての朝食。そこで、2ヶ月くらい前からの懸案事項である、「湘南あたりで海を見たい」という母親の希望をかなえるべく、「今日、行こう」ということになった。中途半端な時間だったので映画は見ないことにして、観葉植物の手入れをしながら、のんびりと支度。10時30分過ぎに、車で家を出た。
 日付の赤い日ではなかったので、道路は空いていて、比較的順調。鶴川や緑山スタジオの前を通り、成瀬を抜けて246号。大和の辺りから、藤沢街道をほぼ真南に。小田急江の島線と並走している道なので、駅に近づくと、そこの交差点でつまり、通り過ぎるとスムーズになって、近づくと少し滞って、の繰り返しだった。町田の近くを過ぎてからは、多摩丘陵の起伏もなくなり、2本の川の間の台地を進む感じになる神奈川県内は、ほぼ平坦な道。絶え間なく続く街道沿いのやや大きな建築物は、遮音版に囲まれた高速道路と同じよう。周囲が連続的に見えないので、あまり面白くないし、やや圧迫感もある。最後のT字路の交差点で、目前に海が広がった。あたかも、長いトンネルを抜け出たときの光景のよう。およそ2時間で到着。
 適度に発展した市街地が、海の目前まで広がっているのがいわゆる湘南の特徴。それまでに続く、広大な田園風景も防風林もないし、絶壁もないし高低差もない。これが、海と人を近づけた要因となるだろう。周辺の街全体が、海を中心に活動しているように見える。これに、近くの葉山や鎌倉の別荘地のイメージが重畳され、かつ、温泉地でもないというロケーションが、比較的若い世代にもてはやされることになるわけである。もちろん、「サザン」が作った特有のイメージも影響しているだろう。確かに、湘南に足を運ぶ度に、ここに別荘があっても良いな、と思う。



4月29日(水曜日)
 昨日ほどではないが、今朝も10℃をかなり割り込んでいて、冷えた朝。風がほとんどなくて、窓の外の光景は、絵に描いた新緑、である。
昨日の続き。
 江ノ島に着いて、すぐに昼食。3度目の「キャンティ」でイタリア料理。海側のベランダのような席に座り、食事。風は冷たいけれど、透明度の高い空気の影響もあって、陽射しがもの凄く強い。硬く強い光、積極的な風、それに、時折、トンビの声が聞こえる。めったにないシチュエーションなので、面白い。この店、特にサラダのドレッシングが美味しいと思う。同じ系列の店が、都内にも何カ所、山中湖にもある。と、たまには、店の宣伝をしておこう。
 その後は、歩いて江ノ島へ。ここは、僕は2回目。連休の狭間だったこともあって、それほど人は多くない。自分のペースで歩ける。エスカーに乗って昇った。途中にいくつかある神社で、両親はお参りをしていたが、僕はせず。 年に一回は、「決心」という意味を込めてやってはいるけれど、もともと儀式というものにまったく興味がない。「結婚に繋がるような人と出会えるように・・・」なんていう祈りは、もうここ何年も達成されていないし。と、たまには、俗っぽいことも書いておこう。
 展望台にも上がって、陸地側を眺め見た。近くに丘陵地がないので、あまり高くない位置からでも遠くを見ることができる。都境の高台までは、一望できる。確証を得ないが、自宅周囲の丘陵も見えているようだ。その後は、ゆっくりと下り、江ノ島から平塚・伊勢原・厚木と、丹沢の麓近くを北上して相模原を通り、町田を抜けて19時過ぎに帰宅。

 連休二日目の今日は、朝食後映画を観て、掃除をして音楽を聴いて、のいつもの休日作業。少し涼しくなった夕方には散歩に出た。1時間30分くらい。 一瞬見る、テレビのニュースでは、インフルエンザの話題が凄い。あえて単純に比較すると、「では、国内の毎年冬のインフルエンザ大流行はどうなのか」という感じ。まあ、これは、また数日後に書くだろう。



4月30日(木曜日)
 朝の外の気温は、ほぼ10℃。まあまあ。特にこの頃の気持ち良さといえば、緑の色と空気の乾燥によるものだと思う。最高ともいえる日が幾日も。もう少し経つと、蒸し暑い季節がやってくる。誰か何とかして欲しい、と、願う。いや、自分がそういう気候の場所に移動すれば良いだけだが。
 17日間の、連休期間の挟間の出勤。一日だけ。電車の中では依然として、iPod nanoで音楽を聴きながら途中駅までは読書、その後は、聴きながら考えごと。ただ、最近は、iPod nanoでFMラジオを聞いている。意外に知名度が低いようだけれど、AppleからiPod nano(1つ前のタイプ)用の純正ワイヤードリモコンが売られていて、それを使うとFMラジオが聞ける。本体にはチューナを持っていない筈だから、電源を本体から供給してもらい、リモコン内のチューナが機能する、という仕組みなのだろう(詳細は知らず)。もちろん、本体の画面に「ラジオ」という項目が加わり、周波数もちゃんと表示される、というもの。車内では受信感度が悪く、モノラルでの受信になるが、音楽目的ではなくて、ニュースを小耳にはさむくらいだから、ちょうど良い。わざわざネットでニュースを眺める手間が省けるし。
 ところで、実は、小学生から中学生にかけて、テレビもそれなりに見ていたけれど、自分の意志で楽しんでたのは、テレビではなく、AMラジオだった。たまたまついていたラジオ番組で、ラジオドラマを聞いたのがきっかけだったと思う。効果音が途中で少しだけ入ること以外は、台詞とト書きだけが、静かにスピーカーから流れてくる。聞いた時間も夜だったし、電器を消したくらい中だったから、ちょっとした恐怖があった反面、妙に耳が引き寄せられる、そういう初めての経験をした。「興味が沸いていくと、その対象がなくなる」という僕のジンクスのようなもの同様、やはり、そのラジオドラマもその番組自体も、数ヶ月で終わってしまった。それでも、ラジオの面白さのようなものは引き継がれ、そのまま夜9時以降のラジオ番組を聞くことになったわけである。このつづきはいつか書くだろう。

日本映画ざんまい

into-the-sky2009-05-05


4月24日(金曜日)
 昨日の朝の気温より、僅かに低いだけだが、風は冷たく硬く感じる。薄い雲だが、その奥にある筈の青空の気配は、まったく、感じない。春、一休みの日。仕事も、やはり、休みの日。
 日中は、映画を観たり、ここの日記を書いたり、エスプレッソマシーンの掃除をしたり、という家の中の雑務。夕方からは、予約していた美容室へ。白髪が目立ってきているので考えたが、今回もカラーはせず。カットと、最近までサービスだと思って頼んでいたトリートメント(詳細解らず)。最初は独りで雑誌を読んでいたが、担当の美容師の方から話しかけられたので、雑誌を置いて受け答え。動物は好きですか?という問いかけに対して、「犬が好きで、特にシェルティです」と即答したら、一挙にいろいろと話が盛り上がった。僕の前の客まで静かにしていたのか、口火を切ったように、その後も、熱心に話をされていた。適度に話しかけられるのは、眠さに我慢しなくて済むので、心地よい。店は、かなり郊外にあるのだが、「この後、8時過ぎから都心部の本店での会議に呼ばれている」とおっしゃっていた。移動に1時間以上はかかる。社のいろいろな事情はあるだろうけれど、随分と無駄なことをしているな、と思った。
 会計の時に、「ディナークルーズが当たります」とくじ引きの箱を渡された。「こういうの、当たったためしがないんですよう」と言いながら、適当に引いて美容師の方に差し出したら、なんと、当たりだった。ペアの招待券を「行く機会はなさそうですね」と言いながら。期限が年末までだから、それまでに一緒に行く人ができたら、行くことになる・・・か・・。まあ、恐らく、12月頃に、両親に進呈することになるだろう。
 駅の書店で文庫や雑誌を眺め見して、小雨のなか、8時前に帰宅。映画を観ながら独りで夕食。高尾山から帰宅した両親からインターフォンで呼び出されたので、親の家へ。デザートをいただいて、再び自宅へ。11時前に就寝。


4月25日(土曜日)
 朝から、雨。天気予報の「雨」だけの大きなマークに相応しい、勢いのある降り方。気温も低くて、窓を開けると息は白い。
 連休2日目。今朝も食事の後は、映画を観た。日本の作品。タイトルもストーリーも知らなかったし、出演者に興味があったわけでもないが、監督とカメラマンが、よく知る人だったため。
 今回も、「女子高生」「屋上」「自殺願望」「恋愛」「友情」といった、邦画にありがちなものが内容のキーワード。話題になった小説を原作とすると、必然的にこのようになるのだろうか。見方を変えれば、そのような内容の小説ほど売れる傾向にあるし、さらにもう少し言い方を変えれば、小説を好んで読む人に、そういうテーマを求める傾向があるのだろう。全体を観察すると、最も人気のあるミステリーはテレビドラマが担当し、恋愛に的を絞った明るめのものもテレビドラマが担当し、ごった煮的なストーリーと、あるいは、極端で深刻で、比較的暗いテイストのものを映画が担当する、という分担が散見される。これに、興行収入や話題性を加味すると、似たような映画ばかりがテレビで再放映される、ということになるのだろう。自分の好み云々ではなくて、まあ、自然な状況だとは思う。
 映画を見終わった昼前、外は依然として雨が降り続いている。強さは増している感じ。ここの日記を書いて掃除を少しだけして、音楽鑑賞。夕方前には再び映画を観た。「クローズドノート」と、たまにタイトルを記しておく。3年前、ちょうど、もの凄い勢いで読書を始めた頃に、単行本で原作を読んだ。それまで本を読まない人生を歩んできた僕にとっては、斬新なアイデアだな、と思った作品。今回観た映画版も、比較的原作に忠実で、原作を読んだ時の自分の想像というか映像とほぼ一致したものだった。主役を演じていた女性は、有名なタレントだったらしいが、やはり興味もないし知らない。そもそも、男性のほうが主役だと僕は感じて、観ていたのだが。実は、この映画の監督も、よく知る人だった。と、いうことで、今日は日本映画の一日。


4月26日(日曜日)
 朝方はまだ曇っていたけれど、日中に向かって、もの凄い晴れ。雨量も多かったし風も強いので、空気の透明度がもの凄く高い。日中はほとんど地下の人だったので、それをあまり観察できないのが残念。
 まだ明るいうちに職場を出て電車に乗って帰宅。こういう日だけあって、車窓からの横に流れる風景も、やはり面白い。電車の速度に関係なく、いつもより激しく強く沢山動いているように見える。こういう環境だと、3時間でも4時間でも、ずっと乗っていたいと思う。観ていて飽きない。
 夕食後は、「刑事コロンボ」を観た。コロンボに登場する悲劇の惨状や犯人の家も、ほとんどが豪邸。今までに観た30本近い作品の中で、例外はない。 ほとんどが、ハリウッドやマリブにある高級住宅街にある、非常に豪華で非常に大きな屋敷のような家々が、舞台となっている。どの家にも、大きくて長い玄関までのアプローチがあるしプールも広大な芝生もある。リビングには必ずミニバーがあるし、ホテルのロビーのような大きなガラスが部屋を覆っている。
 アメリカでは、そんな家々が数えきれないほど連なっている。航空写真を見ても、敷地の広さが、日本とは比べものにならない。その広さに関わらず、日本で同じような場所はないし、そんな個々の家もない。スケールが違うのである。「奥さまは魔女」の1960年代のキッチンにある食洗機や大きなオーブンレンジと同様、日本にはない住居や周囲の環境への憧れが、日本でのヒットの要因になったとも言える。
 また、コロンボの場合、殺人者も被害者も、我がままな富豪だったり著名人だったりするし、残虐なシーンを見せないような工夫が必ずされていて、残酷な悲劇を見たくなくても見なければならない、という印象がない。それに対し、同年代の日本の作品だと、大抵、貧しさが原因での悲劇やその惨状が前面に出るものが多かった。あえて残虐なカットを、まるで強調するように入れる作品も少なくない。やや乱暴に分析すると、前者は視聴者への配慮、後者は作り手の強い主張、が感じられる。ここに、必然的で大きな境界条件が存在する。

一致団結ってあるのか

into-the-sky2009-05-03


4月20日(月曜日)
 外の気温は、昨日とほとんど変わらず。ただ、やや厚い雲に覆われている。5時半過ぎの、いつもより少しだけ早い時間に目が覚めた。近くの外から、綺麗な鳥の声が聞こえたため。残念ながら、鳥の名前は解らず。いかにも仲間の誰かと話をしているような声。しかも、一所懸命さも伝わってくる。やや遠くには、ウグイスの声も聴こえた。いくつかの窓を少しずつ開けて、その積極的な声を楽しんだ。ここに住んでいて良かった、と、思う瞬間である。
 ついでに、「聞く」と「聴く」は、前者は後天的な動作で、特に主体的でなくても音が耳に入ってきたときに使っていて、たとえば、目覚まし時計の音が聞こえてきたというふうに。後者は主体的な動作で、楽しむために聞きにいく、というときに使っていて、たとえば、聞きたい音楽を聴くというふうに。 今朝の場合、最初は聞こえてきただけなので、「鳥の声が聞こえた」。ウグイスの声は聴こうとして聞いたので、「ウグイスの声も聴こえた」と書いた。誤字やゆらぎではないし、辞書にどのような違いが載っているかは知らない。こうして、自分の中だけのルールをたまに記録しておく。ちなみに、今までに何回か書いている、「時」と「とき」、「物」と「もの」、「事」と「こと」「行く」と「いく」、「来る」と「くる」も、実際の動作や、実際に見える形であるかないか等で、使い分けているつもりではあるけれど、今ひとつ、明確でない部分もある。

 いつものように出勤。いつもと同じ電車内の位置、周囲にいる他の客もだいたい同じ人、していることも同じ、着く時間もいつも通り6分前後の遅延。職場に着いてからも、自分のデスクに行き、まずはPCを立ち上げて、ほぼ例外なく先に出勤している上司に挨拶をして、上着を脱いでトイレに行き、うがいをして席に戻り、PCにログインして給湯室に行き、コーヒーを二口分入れて、席に戻って・・・というパターン。これらの動作も順番も、変えることはない。変えないことの単純さと容易さのため。つまり、頭を使わなくて済むからである。これが、組織全体になると、それは「形骸化」というふうに、もっぱら悪い意味で使われることになる。


4月21日(火曜日)
 弱い南よりの風が吹く朝。横も上も白濁していて、面白くない。それでも、野鳥はいつものように、早朝からいろいろとお喋りをしているようだ。仲間同士、天候に関して話をすることはあるのだろうか。大勢の鳥達が、一度に喋りあうというよりかは、大勢の中の1羽か2羽くらいの鳥が、ずっと繰り返し喋り続けているように感じられる。人間の世界と同じ光景のような気がするが・・・。
 今朝は少し早く出勤して、早出の当番。2ヶ月に1度くらい、シフトでまわってくる。コーヒーをおとしたり、新聞を整理したり、麦茶を作ったり、というたいした事のない雑務。過去にも書いているが、年齢も履歴も関係なく、単純に当番制になっているこの職場は、とても健全である。仕事としては当然である、とは思いながらも、たとえば、僕よりも年輩である50歳近いスタッフが早く出勤して淹れたコーヒーを、時間の間際に出勤した二十歳過ぎの若いスタッフが飲む、という状況は、いささか不自然とは思う。
 それより、この時代になって、客用ならともかく、手前のスタッフが無料で飲むためのコーヒーを、誰かが準備する、ということ自体が、可笑しいと感じる。自動販売機が22台もある職場なのだから、飲みたい人は自分で買って飲めば良いのでは。そのほうが、経費削減に効果的なのは明確である。
 定常的な仕事を終えた後は、ある作品の編集作業。一応、ディレクターを担当しているので、映像にスーパーインポーズする文字情報の原稿を作った。もちろん、それほどたいした作業ではない。編集室にノートPCを持ち込み、WiFiでネットに繋げてリサーチをしたり、あらかじめ取材しておいたメモを参照したり、という、便利な世の中を闊歩するような作業。こうして、物質的に豊かな時代になったことを実感するわけである。
 ここからは一般論だけれど、「物質的に豊かになった反面、精神的な豊かさは欠乏の傾向にある」みたいな話をたまに目にし耳にするが、僕は、この両者の境界条件がよく解らない。前者は手段であって後者は目的や結果だと思うからだ。物質的に便利になって作業の効率も上がり、その分、自分の時間が増えてより有意義な生活を送ることができる、という解釈が成立するわけで、手段が豊かになって精神的にも豊かになっているわけである。そう感じることばかりであって、精神的に貧しくなったと思うことがほとんどない、のである。


4月22日(水曜日)
 今日も南よりの風。しかし、昨日より陽射しが強く、暖かさのボリュームが増している。暖かさの体積も増えて、体全体を包容する空気。
 今朝は、およそ20日ぶりにMacintoshをリスタート。概ね、2週間から3週間の間隔でリスタートしている。通常は、スリープにするだけ。眠りから起こしても、10秒間以下で立ち上がってすぐに使えるようになるので、テレビとほぼ同じ感覚で使用できる。いわゆる「カタマった」ことは、2年5ヶ月前に購入して以来、今までに一度もない。ちなみに、1つ前のWindowsPCでHDDがクラッシュして、数千枚の写真画像が一瞬にして消失した経験から、デジカメで撮影した画像は、外付けのHDDにバックアップしている。Mac用のブルーレイディスクドライブがもう少し安価になったら、それにもバックアップをする予定。
 定常的な仕事を終えた後は、懸案事項についていろいろと。基本的に、同じことを何人かで進めていくスタイルを採らない、というか、1人や2人でしか進めていくことができない仕事が多い。これは、僕が居る職場の特性の1つ。 経験のため、とか、体裁のため、というふうに、無用な人員が投入されるわけではないので、集中して仕事をすすめていくには、適した環境である。物理的な要件を満たしていれば、結局は、このほうが合理的。一般企業だと、たとえば10人くらいの会議だと、3人くらいが積極的にそれを進めて、2人くらいが足を引っ張ったり紛糾させたりして、あとの半分は、参加してもしなくとも、たいした影響のない人達、という構図だろうか。この状況が間違っている、というよりかは、まあ、そうなるだろうな、という程度の印象。ほとんどの場合、代表者1人の思惑が達成されれば十分であり、つまりは、その代表者を誰にするか、という判断のほうが大事。「ゼロの状態から一致団結して事を起こしていく」なんて、ドラマやアニメの世界の話である。
 4月から新たな段階に入ったこのプロジェクトだが、この段階での進捗率はおよそ5パーセント。5月終わりには、15パーセント、7月終わりには50パーセントが目標。来年の2月くらいまで、これに関わる打合せが、断続的に多数入る。