日本映画ざんまい

into-the-sky2009-05-05


4月24日(金曜日)
 昨日の朝の気温より、僅かに低いだけだが、風は冷たく硬く感じる。薄い雲だが、その奥にある筈の青空の気配は、まったく、感じない。春、一休みの日。仕事も、やはり、休みの日。
 日中は、映画を観たり、ここの日記を書いたり、エスプレッソマシーンの掃除をしたり、という家の中の雑務。夕方からは、予約していた美容室へ。白髪が目立ってきているので考えたが、今回もカラーはせず。カットと、最近までサービスだと思って頼んでいたトリートメント(詳細解らず)。最初は独りで雑誌を読んでいたが、担当の美容師の方から話しかけられたので、雑誌を置いて受け答え。動物は好きですか?という問いかけに対して、「犬が好きで、特にシェルティです」と即答したら、一挙にいろいろと話が盛り上がった。僕の前の客まで静かにしていたのか、口火を切ったように、その後も、熱心に話をされていた。適度に話しかけられるのは、眠さに我慢しなくて済むので、心地よい。店は、かなり郊外にあるのだが、「この後、8時過ぎから都心部の本店での会議に呼ばれている」とおっしゃっていた。移動に1時間以上はかかる。社のいろいろな事情はあるだろうけれど、随分と無駄なことをしているな、と思った。
 会計の時に、「ディナークルーズが当たります」とくじ引きの箱を渡された。「こういうの、当たったためしがないんですよう」と言いながら、適当に引いて美容師の方に差し出したら、なんと、当たりだった。ペアの招待券を「行く機会はなさそうですね」と言いながら。期限が年末までだから、それまでに一緒に行く人ができたら、行くことになる・・・か・・。まあ、恐らく、12月頃に、両親に進呈することになるだろう。
 駅の書店で文庫や雑誌を眺め見して、小雨のなか、8時前に帰宅。映画を観ながら独りで夕食。高尾山から帰宅した両親からインターフォンで呼び出されたので、親の家へ。デザートをいただいて、再び自宅へ。11時前に就寝。


4月25日(土曜日)
 朝から、雨。天気予報の「雨」だけの大きなマークに相応しい、勢いのある降り方。気温も低くて、窓を開けると息は白い。
 連休2日目。今朝も食事の後は、映画を観た。日本の作品。タイトルもストーリーも知らなかったし、出演者に興味があったわけでもないが、監督とカメラマンが、よく知る人だったため。
 今回も、「女子高生」「屋上」「自殺願望」「恋愛」「友情」といった、邦画にありがちなものが内容のキーワード。話題になった小説を原作とすると、必然的にこのようになるのだろうか。見方を変えれば、そのような内容の小説ほど売れる傾向にあるし、さらにもう少し言い方を変えれば、小説を好んで読む人に、そういうテーマを求める傾向があるのだろう。全体を観察すると、最も人気のあるミステリーはテレビドラマが担当し、恋愛に的を絞った明るめのものもテレビドラマが担当し、ごった煮的なストーリーと、あるいは、極端で深刻で、比較的暗いテイストのものを映画が担当する、という分担が散見される。これに、興行収入や話題性を加味すると、似たような映画ばかりがテレビで再放映される、ということになるのだろう。自分の好み云々ではなくて、まあ、自然な状況だとは思う。
 映画を見終わった昼前、外は依然として雨が降り続いている。強さは増している感じ。ここの日記を書いて掃除を少しだけして、音楽鑑賞。夕方前には再び映画を観た。「クローズドノート」と、たまにタイトルを記しておく。3年前、ちょうど、もの凄い勢いで読書を始めた頃に、単行本で原作を読んだ。それまで本を読まない人生を歩んできた僕にとっては、斬新なアイデアだな、と思った作品。今回観た映画版も、比較的原作に忠実で、原作を読んだ時の自分の想像というか映像とほぼ一致したものだった。主役を演じていた女性は、有名なタレントだったらしいが、やはり興味もないし知らない。そもそも、男性のほうが主役だと僕は感じて、観ていたのだが。実は、この映画の監督も、よく知る人だった。と、いうことで、今日は日本映画の一日。


4月26日(日曜日)
 朝方はまだ曇っていたけれど、日中に向かって、もの凄い晴れ。雨量も多かったし風も強いので、空気の透明度がもの凄く高い。日中はほとんど地下の人だったので、それをあまり観察できないのが残念。
 まだ明るいうちに職場を出て電車に乗って帰宅。こういう日だけあって、車窓からの横に流れる風景も、やはり面白い。電車の速度に関係なく、いつもより激しく強く沢山動いているように見える。こういう環境だと、3時間でも4時間でも、ずっと乗っていたいと思う。観ていて飽きない。
 夕食後は、「刑事コロンボ」を観た。コロンボに登場する悲劇の惨状や犯人の家も、ほとんどが豪邸。今までに観た30本近い作品の中で、例外はない。 ほとんどが、ハリウッドやマリブにある高級住宅街にある、非常に豪華で非常に大きな屋敷のような家々が、舞台となっている。どの家にも、大きくて長い玄関までのアプローチがあるしプールも広大な芝生もある。リビングには必ずミニバーがあるし、ホテルのロビーのような大きなガラスが部屋を覆っている。
 アメリカでは、そんな家々が数えきれないほど連なっている。航空写真を見ても、敷地の広さが、日本とは比べものにならない。その広さに関わらず、日本で同じような場所はないし、そんな個々の家もない。スケールが違うのである。「奥さまは魔女」の1960年代のキッチンにある食洗機や大きなオーブンレンジと同様、日本にはない住居や周囲の環境への憧れが、日本でのヒットの要因になったとも言える。
 また、コロンボの場合、殺人者も被害者も、我がままな富豪だったり著名人だったりするし、残虐なシーンを見せないような工夫が必ずされていて、残酷な悲劇を見たくなくても見なければならない、という印象がない。それに対し、同年代の日本の作品だと、大抵、貧しさが原因での悲劇やその惨状が前面に出るものが多かった。あえて残虐なカットを、まるで強調するように入れる作品も少なくない。やや乱暴に分析すると、前者は視聴者への配慮、後者は作り手の強い主張、が感じられる。ここに、必然的で大きな境界条件が存在する。