一致団結ってあるのか

into-the-sky2009-05-03


4月20日(月曜日)
 外の気温は、昨日とほとんど変わらず。ただ、やや厚い雲に覆われている。5時半過ぎの、いつもより少しだけ早い時間に目が覚めた。近くの外から、綺麗な鳥の声が聞こえたため。残念ながら、鳥の名前は解らず。いかにも仲間の誰かと話をしているような声。しかも、一所懸命さも伝わってくる。やや遠くには、ウグイスの声も聴こえた。いくつかの窓を少しずつ開けて、その積極的な声を楽しんだ。ここに住んでいて良かった、と、思う瞬間である。
 ついでに、「聞く」と「聴く」は、前者は後天的な動作で、特に主体的でなくても音が耳に入ってきたときに使っていて、たとえば、目覚まし時計の音が聞こえてきたというふうに。後者は主体的な動作で、楽しむために聞きにいく、というときに使っていて、たとえば、聞きたい音楽を聴くというふうに。 今朝の場合、最初は聞こえてきただけなので、「鳥の声が聞こえた」。ウグイスの声は聴こうとして聞いたので、「ウグイスの声も聴こえた」と書いた。誤字やゆらぎではないし、辞書にどのような違いが載っているかは知らない。こうして、自分の中だけのルールをたまに記録しておく。ちなみに、今までに何回か書いている、「時」と「とき」、「物」と「もの」、「事」と「こと」「行く」と「いく」、「来る」と「くる」も、実際の動作や、実際に見える形であるかないか等で、使い分けているつもりではあるけれど、今ひとつ、明確でない部分もある。

 いつものように出勤。いつもと同じ電車内の位置、周囲にいる他の客もだいたい同じ人、していることも同じ、着く時間もいつも通り6分前後の遅延。職場に着いてからも、自分のデスクに行き、まずはPCを立ち上げて、ほぼ例外なく先に出勤している上司に挨拶をして、上着を脱いでトイレに行き、うがいをして席に戻り、PCにログインして給湯室に行き、コーヒーを二口分入れて、席に戻って・・・というパターン。これらの動作も順番も、変えることはない。変えないことの単純さと容易さのため。つまり、頭を使わなくて済むからである。これが、組織全体になると、それは「形骸化」というふうに、もっぱら悪い意味で使われることになる。


4月21日(火曜日)
 弱い南よりの風が吹く朝。横も上も白濁していて、面白くない。それでも、野鳥はいつものように、早朝からいろいろとお喋りをしているようだ。仲間同士、天候に関して話をすることはあるのだろうか。大勢の鳥達が、一度に喋りあうというよりかは、大勢の中の1羽か2羽くらいの鳥が、ずっと繰り返し喋り続けているように感じられる。人間の世界と同じ光景のような気がするが・・・。
 今朝は少し早く出勤して、早出の当番。2ヶ月に1度くらい、シフトでまわってくる。コーヒーをおとしたり、新聞を整理したり、麦茶を作ったり、というたいした事のない雑務。過去にも書いているが、年齢も履歴も関係なく、単純に当番制になっているこの職場は、とても健全である。仕事としては当然である、とは思いながらも、たとえば、僕よりも年輩である50歳近いスタッフが早く出勤して淹れたコーヒーを、時間の間際に出勤した二十歳過ぎの若いスタッフが飲む、という状況は、いささか不自然とは思う。
 それより、この時代になって、客用ならともかく、手前のスタッフが無料で飲むためのコーヒーを、誰かが準備する、ということ自体が、可笑しいと感じる。自動販売機が22台もある職場なのだから、飲みたい人は自分で買って飲めば良いのでは。そのほうが、経費削減に効果的なのは明確である。
 定常的な仕事を終えた後は、ある作品の編集作業。一応、ディレクターを担当しているので、映像にスーパーインポーズする文字情報の原稿を作った。もちろん、それほどたいした作業ではない。編集室にノートPCを持ち込み、WiFiでネットに繋げてリサーチをしたり、あらかじめ取材しておいたメモを参照したり、という、便利な世の中を闊歩するような作業。こうして、物質的に豊かな時代になったことを実感するわけである。
 ここからは一般論だけれど、「物質的に豊かになった反面、精神的な豊かさは欠乏の傾向にある」みたいな話をたまに目にし耳にするが、僕は、この両者の境界条件がよく解らない。前者は手段であって後者は目的や結果だと思うからだ。物質的に便利になって作業の効率も上がり、その分、自分の時間が増えてより有意義な生活を送ることができる、という解釈が成立するわけで、手段が豊かになって精神的にも豊かになっているわけである。そう感じることばかりであって、精神的に貧しくなったと思うことがほとんどない、のである。


4月22日(水曜日)
 今日も南よりの風。しかし、昨日より陽射しが強く、暖かさのボリュームが増している。暖かさの体積も増えて、体全体を包容する空気。
 今朝は、およそ20日ぶりにMacintoshをリスタート。概ね、2週間から3週間の間隔でリスタートしている。通常は、スリープにするだけ。眠りから起こしても、10秒間以下で立ち上がってすぐに使えるようになるので、テレビとほぼ同じ感覚で使用できる。いわゆる「カタマった」ことは、2年5ヶ月前に購入して以来、今までに一度もない。ちなみに、1つ前のWindowsPCでHDDがクラッシュして、数千枚の写真画像が一瞬にして消失した経験から、デジカメで撮影した画像は、外付けのHDDにバックアップしている。Mac用のブルーレイディスクドライブがもう少し安価になったら、それにもバックアップをする予定。
 定常的な仕事を終えた後は、懸案事項についていろいろと。基本的に、同じことを何人かで進めていくスタイルを採らない、というか、1人や2人でしか進めていくことができない仕事が多い。これは、僕が居る職場の特性の1つ。 経験のため、とか、体裁のため、というふうに、無用な人員が投入されるわけではないので、集中して仕事をすすめていくには、適した環境である。物理的な要件を満たしていれば、結局は、このほうが合理的。一般企業だと、たとえば10人くらいの会議だと、3人くらいが積極的にそれを進めて、2人くらいが足を引っ張ったり紛糾させたりして、あとの半分は、参加してもしなくとも、たいした影響のない人達、という構図だろうか。この状況が間違っている、というよりかは、まあ、そうなるだろうな、という程度の印象。ほとんどの場合、代表者1人の思惑が達成されれば十分であり、つまりは、その代表者を誰にするか、という判断のほうが大事。「ゼロの状態から一致団結して事を起こしていく」なんて、ドラマやアニメの世界の話である。
 4月から新たな段階に入ったこのプロジェクトだが、この段階での進捗率はおよそ5パーセント。5月終わりには、15パーセント、7月終わりには50パーセントが目標。来年の2月くらいまで、これに関わる打合せが、断続的に多数入る。