まるくなってかたくなる

into-the-sky2009-03-26


3月17日
 都心部との気温差は、およそ6℃。昨日より、さらに差が増している、火曜日の朝。桜の木の枝には、明確に「つぼみ」だと解る固まりがついている。この辺りは、10日後くらいには開花するだろう。黄砂の影響で、空が汚い。
 今日も、仕事は、昨日の引き続き。夕方過ぎにそれを終えた後は、他の残務をこなした。4月以降のいろいろな仕事の準備も。概ね、8月終わりまでのスケジュールは、すでに埋まりつつある。今年は、重なっている日程もあって、昨年ほど、綺麗に並んでいない。昨年よりも仕事自体が増えることも、すでに確定的。まあ、いずれにしても、なるようにしかならない。
 昨夜の、職場近くから自宅までのタクシーは、トヨタのハイブリット車だった。乗った瞬間に新しい臭いがしたので、走行距離を見た。まだ、600キロメートルくらいだった。タクシーの600キロメートルといえば、まだ、使い始めて1週間も経っていないだろう。運転手の方と雑談を少々。やはり、まだ納車になって間もないらしく、操作に慣れないとおっしゃっていた。
 エンジンかモーターか蓄電中なのかを表示システムがあって、それを見ていると、どのようなメカニズムで、それぞれが切り替わっているのかが、解る。家までの20分くらいの道中、音と振動を感じながら、ずっとそのモニターを見ていた。もう少し、単純なシステムかと予想していたのだが、一連の加速にも、それぞれが匠に切り替わっていて、モーター〜エンジン〜モーター〜蓄電〜エンジン・・・というふうに、複雑に頻繁に動作を繰り返している。かなり振動に集中しないと、切り替わっていることには気がつかない。シリンダを沢山持つ高級車のエンジンのように静かだ。非常に完成されたメカニズムだし、もっと、爆発的に普及しても不思議ではないと感じた。今後、乗用車の主流になっていくことは、間違いないだろう。僕も、トヨタでなく、ヨーロッパの車だったら、すぐにでも買うことになると思う。
 夕食は、職場で購入した、おにぎりとサンドイッチ。9時過ぎに帰宅。


3月18日
 北西の風が弱く吹き、少しだけ寒い朝。大手町との気温差は、3℃。日中は、かなり暖かくなるという予想。けれど、今日も日中はずっと地下の人なので、ほとんど関係ない。空気の透明度さえ高ければ、年間で一番素敵な日、になるだろう。
 平日は、定常的に3分前後は遅れているいつもの朝の電車も、この頃は、ほとんどダイヤ通り。けれど、客が少ないとはあまり感じないのは、僕がいつも乗車している時間のせいか。だとすれば、ピーク時の客が減っているのだろうな、ということは、時間的に通学客が少ないから、つまり大学が休みになっている影響だろうな・・・、と考えたり。至極、当然なことを反芻しているわけである。
 以前から僕の職場と、仕事として関係のあった人が転職し、保険の営業マンになったらしい。もちろん、僕はまったく面識がない人。最近、しょっちゅう、職場に来ていろいろなスタッフと話をしているな、と思っていたら、要するに営業活動をしていたのだ。そのことを、僕はやはり最近になって知った。他のスタッフに紹介されたので、仕方なく名刺交換したら、ケータイに電話をしてくるし、職場のアドレスにメールをしてきた。もの凄く無礼だと思う。はっきりいって、手抜きの営業だと思うし、それまでの互いの信用もなにもかも、思い切り捨てられるような行為だと感じる。僕は、そんな人のために、1秒でも時間を預ける気持ちはない。僕は今後何があっても、その営業マンの前職の会社とは一切やりとりしないし、その保険会社とも契約をしない。
 仕事上の関係とは、人同士ではなく、組織や会社とのことだ。当然だと思う。だから、僕は、そういう不躾なスタッフの存在を許している会社は、相手にしない。結果的に、当人の行動は、逆効果だったわけだ。こう考える人間が居ることを、彼はどれほど想像しただろうか。嫌がれても、結果的に1人でもプラスになれは良い、きっとそう考えているのか。しかし、そういう旧態依然とした手法でも存続し業績を伸ばしていけるような企業は、今の時代、もうないだろう。安定的な需要がない以上、プラスに作用しない動作は、直接的に、リスクと同義になる、そういう時代だからだ。


3月19日
 昨日の暖かさが、まだ残っている。今年に入って、初めて暖房をいれないで済んでいる、木曜日の朝。桜のつぼみの存在が、大きくなっている。
 仕事は、昨日に引き続き。僕はほとんど見ているだけ、である。昨日、職場のある若い人から、「怒らないんですね」と言われた。「これはそういう主旨でやっていないから」とだけ答えておいた。「そうか、日頃、そういうふうに思われているのだな」と心の中で、微笑んだ。いずれにしても、仕事としてやっていることだし、仕事としてのスタンスなのだから、人の性格とか好みとかは関係ないわけで、機嫌が悪くて怒っているわけでもないのだけれど、まあ、少なくとも、短絡的に「優しい人だ」と思われるより、イメージ的には100倍宜しい。ちなみに、僕にとっては、怒らず優しく居るほうが、簡単だし便利だ。他人が僕をどう思おうと、ほとんど気にならないし。
 一般的に、「歳をとると、人は丸くなる」とは言うけれど、人が内面的に変わる、ということはほとんどない。ただ、長く生きていくと、次第に周囲からの目線を気にしなくなる。つまり、どう思われようと、あまり関係ないと思うように変化する、ということ。そうなると、自分の考えや信念というものを、周囲に対して表現する必要性が乏しくなる。そもそも、怒る、という動作は、「怒っている」ということをアピールする目的が多く含まれていて、アピールしようと思わなくなると、怒ることも減る、というメカニズムによるものだろう。結果、周囲は「丸くなる」というふうに観察することになるのだ。
 ただ、自分が周囲に対して表現をあまりしなくなると、自分に対しての刺激も減る。すると、自分自身の考え方のようなものは、古く硬く固まりやすくなる。こうして頑固にもなっていくのだ。すなわち、丸くなるということは、頑固になることと、ほぼ同義である。だから、自分の中で刺激を与え、沈着していかないように努力する必要がでてくる。
 夕方は、ある業者と、夏の大きなイベントに関しての、打合せ。その後は、職場のスタッフ3名と会合。深夜2時頃に帰宅。