たとえば早くくること

into-the-sky2009-04-01


3月23日
 6時前に起床。今年度のラストスパート的な週の始まり、月曜日。昨日、ほぼ終日に渡って吹いていた強い南風から、今朝は、やや静かな北よりの風に変わっている。風向きの履歴を調べたら、昨夜の11時頃に前線が通過したことが解った。7時前、親の家に行って朝食を食べていたら、風に煽られて着陸を失敗した航空機の映像が、テレビのニュースから流れた。
 特に、放送業界において、技術が進歩し機材の質が高水準になっていくにつれて、物事のメカニズムが見やすく解りやすくなった。それまでの、文字ばかりだったニュースには、映像がつくようになったし、中継の技術が進歩したら、リアルタイムで事の顛末を見られるようになった。フィルムからVTRへと変化したら、記録してから放送されるまでのタイムラグが縮まったし、それが小型化すると、些細なものも含むあらゆるソースが、ニュース映像として流されるようになった。カメラが高性能高精細になると、事態の詳細を伝えやすくなったし、映像の圧縮技術が高まると、長時間記録や記録し続けることが可能になった。さらに機材がコンパクトになり相対的に安価になると、捉えるレンズの眼が増えた。
 こららの恩恵を最大に享受したのは、報道系の番組であることは間違いないけれど、人の真意や事の真実が、それに比例して、伝えやすく伝わりやすく変化してきたわけではない。むしろ、非常なまでに解りやすくなったことと言えば、物理や力学といった、その瞬間を捉えないと解明しづらく解りづらい領域の諸事である。
 今回の映像がそれを象徴としているものであって、風に煽られ着陸して逆さになるメカニズムと、大破し炎上したという事実は解るけれど、どうしてそこに至ったのかという操縦者の真意は解らず、それはせいぜい、垣間見られる程度でしかない、ということ。

 出勤して、この時期特有の雑事などを幾つかこなした。作業が多岐に渡れば、そのボリュームに関係なく、分単位で仕事を並べる必要が生じる。こうなると、もの凄く沢山の仕事をしているように錯覚してしまいそうで、あまり宜しくない。



3月24日
 気団もすっかり入れ替わって、寒い朝。聞こえないし見えない程度の、弱い風が吹いている、火曜日。
 この時期のスーツ着用3回のうちの2回目の日。肩が凝らないようにと、いつもの80パーセントくらいのライトなセーフモードになる。たまにスーツを着ると、身軽にバリバリと仕事をこなせる気持ちになれる人もいるようだけれど、僕は、その逆。この動きづらいユニフォームを、社会人男性の定常としたのは、どこの誰なのか、と、子供のように真剣に考えてみたり・・・。無駄なことをしているな、と感じてしまうのだが。
 ここ最近は、日記へのアウトプットとブログへの投稿とのタイムラグを、縮める作戦を遂行中。一時は、16日間の差があったが、今日の段階で、10日間あまりとなった。しかし、タイムラグがある限り、今日のこの文章が投稿される頃には、どの程度の差になっているかどうかは、解らない。

 あまりにも、奇抜な番組だったので、すっかり書くのを忘れていたけれど、この前の土曜日の夜に、ある番組が放送されていた。「何を今さら・・・」という内容であって、しかも最初の10分くらいで、番組の方向性というか顛末が解ったが、仕事と相通じることでもあったので、最後まで仕方なく見た。相対する立場の人達と、ほぼ中立にいる人達との議論が内容のほとんどだった。思ったことをすべて書くと、ここの20日分くらいの字数になってしまうので、ここにはそれを書かない。まあ、今後、徐々に小出ししていくことにはなるのかもしれない。今日、ここに一言だけ書くと、「議論が成立していない」である。

 夕方前からは、やはり、この時期特有の仕事。ありていにいえば、接待のようなもの。初めは事務的に、次に少し中に入り込み、やがて腹を割って話そう、みたいな感じ。今日は、最終的に、いつもの焼き鳥屋での会合になった。いろいろな方が参加し、とても有意義な時間。夜、10時過ぎに帰宅。会合のわりには、比較的速い帰宅だった。その中の1人は、もう何年も同じ職場で仕事を依頼していた方だったけれど、話をしているうちに、実は、僕の自宅から、歩いて5分くらいの所に住んでいる、ということが解った。散歩のコース近くに住まいがあり、何度も家の前を通っていた、というわけである。


3月25日
 時折り、薄日が差すが、全体的には曇り。先週のような暖かさはない。予報では、昼頃から雨。朝、窓の外の桜の木を見ると、全体としては、まだ小さく硬そうなつぼみだが、所々に数厘、花を咲かせている。今週末には、開花した、と言えるくらいの数になるだろうか。どうやら、今年は、土筆のあたり年のようで、方々で、土筆の群生地を目にする。電車の窓からも見つけられるくらいだし、職場の近くの空き地にも、やはり群生地があった。
 いつも通りの出勤。僕が職場に着く頃は、まだ、出勤時間の40分前なので、まだ全スタッフの1/9くらいの人しかいない。5分くらい経つと、2名前後がそこに加わり、その後は、出勤時間の10分前まで、ほとんど変化がない。それを過ぎると、一斉に出勤してくる。就業規則には、「ギリギリの出勤をしてはいけない」とは記されていないわけだから、問題ない。けれど、その一方では、「できるだけ早く出勤したほうが宜しい」なんて言っていて、そこには解りやすい少々の矛盾がある。これもしかし、「矛盾があってはいけない」という就業規則もないわけだから、それも問題ないのである。

 改行して、ここからは一般論。
 たとえば、間際に来る人は、他人に対してはやや厳しく、礼儀を他人に細かく主張する、そういうふうな傾向にあるようだ。「あの人は挨拶してくれない」という人に限って、その本人が実はあまり挨拶をしていなかったり、先陣きって「誰々が陰口をたたいている」という人が、実は、もっとも陰口をたたく人だったりするのと同じであって、自覚していることだからこそ、目立つし気になる、ということなのだろうか。自分にできないことは他人に強制しない、他人に求めることがあるのならば、まずは自分から、というスタンスでいる方が、結局、自分自身が楽できることになると思うが、いかがだろうか。
 業種や仕事の形態にもよるが、早く来ることが決して偉くもないし、それが真面目であることの象徴にもならないし、仕事熱心かどうかを決める、直接的な要素にはならない。単純な精神論のように、「新人は早く来るべきだ」と主張することも、今の時代としは明らかに古い考え方である。ただ、環境に慣れない人は、できるだけ長く多く、いろいろなことを観察したほうが良いのであって、この観点いえば、結果として、早く来たほうが得をすることにはなるだろう。