ホタルとハクビシン(〜6/14)

into-the-sky2009-08-02


6月8日(月曜日)
 朝の気温、17.4℃。昨日より少し涼しいが、空気の透明度は一挙に低くなった。芝生のゲレンデの雑草たちは、急速に高さを増している。周囲の木々の緑より、新鮮で鮮やかで健気。たいてい、こういうふうに日記に書くと、1週間程度で刈られる。現況を気にしだすとその事態が変わる、というのは、電車の窓の外を気にしだして見ようとすると、逆方向を進む電車に遮られて見えなくなる、ということと同じメカニズムだろう。
 出勤してから、ほぼ隙間のない仕事が夜まで。このおよそ11時間の中で、自分のためだけに使える時間は、僅か30分くらい。特に不満はない。けれど、消化しなければならない打合せの予定がなかか入れられない。これは少し困る。夜10時前に帰宅。
 朝のNHKニュースで、頻繁に「リサイクル術」「節約術」というのを目にする。民放ではきっと、夕方の番組で取り上げているのだろう。それを眺め見する度に、非常に微笑ましい気持ちになる。それらをすることに、何か無理しているように散見されるし、そうすることに、エネルギーを消費しているように観察されるからだ。本末転倒、とまでは思わないが、それに近い不思議さというのはあるでは。
 そもそも、身の回りの一見されるリサイクルや節約は、昔に比べればかなり一般化している。そうすることが、ごく当たり前になっているものばかりである。だから、既に、テレビで暇つぶし的に紹介するような効果的な手段は、出尽くしているという感がある。だから、少し我慢したり減らしたりすれば、ずっとリサイクルだし節約になるようなものに、時間と手間をかけている、そういう「一見リサイクル」「一見節約術」が格好のネタとして紹介されることになるわけである。
 特に、そのような工夫が間違っている、と言いたいわけではない。けれど、そこまで手間をかけてやる、それだけの真剣な姿勢があるのだったら、最初から買わなければ良いし、使わなければ良い、と思う。


6月9日(火曜日)
 昨日より、少し暖かい朝。けれど、風はあるし空気は乾燥していて気持ちが良い。それまでは、比較的遠くに見えた雑草的植物たちも、ここ数日で、だいぶ遊歩道に近づいてきた。芝生のゲレンデを作るときの土が違ったのか芝の種類が違ったのかは解らないが、雑草の生育分布には、かなりのムラがあって、その境界も直線的な部分がある。あまり雑草が生育していない域、ピンクの花の域、黄色い花の域、クローバーの域・・・というふうに。毎年、定点的に撮影しておくと、面白いだろう。
 先日、職場に居る若い人と話をしていたら、かつての月面着陸の話題になった。若い人は「月面着陸は虚偽だ」と言う。僕は正直なところ、それについては感心がない、というか、どちらでも良いと思っている。当時の虚偽が、今に及ぼす影響はほとんどない、と考えられるからだ。ただ、「合理性を考えれば、嘘か真かは明白なのでは」とは言っておいた。嘘の情報を流すエネルギー、事実を伏せる手間を推測すれば、「行ったことにする」必然性は乏しいだろう。どちらかといえば、実際には月面着陸をしたにも関わらず、失敗に終わったと嘘を公表することの方が、明らかに簡単だし、利点が多いように思う。
 決して、そう言った本人を卑下するものではない。むしろ、蔓延している一般化された情報を、そのまま鵜呑みにしないということの方が自然だと思う。十把一絡的に、皆が本当だと信じて、皆が嘘だと言い張るようなかつての時代に比べると、明らかに健全だし、正しい姿なのである。
 仕事を終えた夜8時過ぎに職場を出て、ある上司と2人でいつもの焼き鳥屋へ。1時間くらいして、珍しく、職場の若い人2名も合流。例外なく、いろいろと有意義な話をした。深夜3時頃に帰宅。MacBook Proを買うかどうか、依然として検討中。


6月10日(水曜日)
 雲の量は同じに見えるが、明らかに湿度が高い。ほぼ無風の20.3℃。真夏の涼しい朝、といった感じ。
 今日も、朝食前の時間や、職場の僅かな休憩時間を利用して、新しいMacintoshに関していろいろと。新しく購入するMacを最も利用したり、新製品のスペックを享受したりするには、iMacを更新するのが宜しいのではないか、と考え、Appleストアで見積もりを作って検討。しかし、今のiMacが壊れているわけでもないし、だいいち、自宅にiMacを2台並べて使うというのも、ちょっと想像がつかない。そんな思考の最中、あっさりとMacBook Proのラインアップが一新され、同時にスペックアップし値下げされた。まさに「嬉しい悲鳴」というか、「ひょうたんから駒」である。候補に上がっていた仕様の機種は、およそ4万円程度安くなったこともあって、結局、MacBook Proの購入を決定。早速、Appleストアで注文した。ハードウエアを若干カスタマイズして、あるソフトウエアをプリインストールしてもらう特別な仕様にした。これによって、海外からの取り寄せになるらしく、配送予定日が今月の26日となっていた。大抵、最大の日数が提示されるから、実際には、もう少し早く届くことになるだろう。
 仕事を終えた夜8時過ぎ、今回は、昨夜の上司に加えてもう1人の上司も加わり、3名で再び焼き鳥屋へ。仕事の内容でも、卑猥な内容でもない、ある種の話で盛り上がった。例によって、愚痴も陰口もない、非常に健全な会合だった。6時間くらい居て、深夜の3時前に帰宅。


6月11日(木曜日)
 朝から、真剣な雨。しっかりとした雨音、しっかりとした湿り気。気温は17℃と少し。 そういえば、昨日か今日、梅雨入りしたと思われる、という発表があったらしい。こういう一種の儀式のようなものには、年々、感心がなくなる傾向にある。
 儀式といえば、今日は、職場全体による、屋外でのあるイベントの日だったが、雨天中止になった。定常的な仕事も一切入っていなかったので、そのまま出勤しないことに。中止の内容がどうであれ、土壇場のオールキャンセルは嬉しい、と素直に書いておこう。
 ということで、朝から映画鑑賞。まずは午前中に2本。雨がすっかりあがった午後は、いつもの休日のコース。映画はさらに1本見て、親の買い物に付き合い出た。夕食後も映画鑑賞。今日の一日で4本の映画を消化。
 先日、久しぶりにログインした、あるブログサイトのデザインが、オレンジから淡いブルーに変わっていた。随分と思い切った行動にでたものだな、と思ったしだい。そのデザインが、人気を博する要因になったと思っているからだ。しかし、どこにもニューリリースの情報がないから、一時的なものなのかもしれない。実際には、こうして書いているほど、気にしていないけれど。
 しばらくの間は、短い日記の日が多くなるだろう。ちなみに、毎日同じ字数を書く、という拘りのようなものは、4月の終わりに既にやめている。字数が多い日や少ない日、あるいは、そのような期間の存在が自然だからだ。実行してこなかったが、ブログを始めた4年3ヶ月前から変わらぬ考え方ではある。


6月12日(金曜日)
 晴れて気持ちが良い。湿度もやや低め。今年のこの時期は、このような天気の出現率が、少し高いような気がする。あまり梅雨らしくない天候が、断続的に出現している。下旬には、元をとるように、雨天が続くのだろうか。
 幼少の頃から、どうして運動会なんてやるのだろう、と思っていた。今は関心がなくなっているが、基本的には同じ考え。小学校も低学年だと、どちらかといえば個人プレーの要素が強かったが、学年が上がると、やがて何人かで、あるいは、クラス全員や学年全員で何かをするようになると、一段とその思いは強くなっていったものだ、と記憶している。とにかく「やらされている」という意識ばかりが強まり、自分の何かのため、とは到底考えられなかったからだ。運動会が近づいてくると、他のクラスとの合同体育となって、グラウンドや体育館で、先生たちのかなり積極的な指導となる。こうなると、もう、壊滅的な気持ちになった。5年生になると、上半身裸で裸足になって、組体操なんてやるわけだから、まさしく、かつての軍隊みたいだと思った。そういうものを見ていると、運動会の意義とは、きっと、「一致団結の精神」なのだろうな、と勝手に想像していたわけである。
 今の運動会とは、まさに保護者に見せるため、という要素がかなり先行している。それぞれの競技や演目で、子供が居る場所が教えられる。見たり撮影したりするためだ。壇上で笛を吹き指示を出すだけ、というかつての光景から、方々に職員が付き添い、事故を防いだりフォローをしたりしている、そういう運動会に変わっている。いわゆる、今風な光景だし、現代としては、このほうが自然な姿である。ただ、一方では、なぜここまでして運動会をするのか、という子供達も多いだろう。またこれも、現代ならでは、といえる。
 今は、まだ残っている、誰かが下になりその上に誰かが乗る、という競技も、風前の灯火のように感じる。不平等だ、みたいなクレームを防ぐためた。しかしこれも、善し悪しではなく、ごく必然的なことだろう。今後もさらに、危険な競技や不平等な演目はなくなり、ただ走るだけただ踊るだけ、というものばかりになる。
 いずれにしても、実施することでのリスクや苦労を考えると、学校の運動会は、そう遠くない将来には、なくなるだろう。見に来る保護者が沢山居る小学校以外は。そのうち、保護者による撮影のために、同じ演目を2回やる、なんていう学校も出てくるかもしれない。


6月13日(土曜日)
 雷雨の予報が出ていたけれど、結局、一日中、穏やかな天候。もちろん、雨も降らず。
 昨夜は、若い人達と新宿駅近くで会合。これは、まったくの予定外。その人達の話を聞いていて、以前と比較して考え方が随分と大人になった、とまでは思わないけれど、かつてとは、少し違う発想になっているとは感じる。誰かに教えられたり指示されたりするよりかは、自らの経験やその蓄積によって、自然に変えていったり変わっていったりすることの方が、圧倒的に多い。先に生きる人は、そのあたりの想像力を持つ必要がある。無駄で過度なアドバイスをしないために、である。
 出勤の土曜日。定常的な仕事も、個人的な雑務のほとんどないけれど、1時間程の定例の会議があるため。スタッフそれぞれのスケジュールの影響とはいえ、このために出勤するとは、いかがなものか、と思うが、まあ仕様がないだろう。恐らく、全員が同じことを考えている筈。なかなか排除できない、どうにもならないことがある社会、である。
 このところ、夜9時前に帰宅することが、ほとんどなくなっているので、会議を終えた午後は、少しだけ雑務をこなして、早々に帰宅。久しぶりに駅から家までの間を、歩いた。ただ、歩くというより、登るというイメージのほうが近い。大げさに書くと、登る一大決心が必要になる、ということ。家に着いて、映画を観て、簡単な掃除をした。
 夜は、両親と3人で、家から歩いて15分程のホタル鑑賞スポットへ。僕が行くのは2年ぶり。昨年から、大々的に鑑賞を宣伝したり、それに併せたイベントを開催したりしているから、沢山の人が来ているのだろうな、と思いながら、8時頃に家を出た。そのスポットに近づくと、往来する人の数が次第に増えていった。誘導員も立ち、順路を示す看板も立てられていた。やはり予想通り、かなり本格的なホタル鑑賞になっている様子。ホタルの前に、まず、近くの電線の上を歩いている、ハクビシンが見えた。噂には聞いていたか、実際に見たのはこれが初めて。
 鑑賞スポットの街灯は、ボランティアの方々によって、黒い布が被せられていて、一段と暗い。近くの人の顔も見られないくらいの暗さに、夏の夜祭り程の、沢山の人や列ができている。なんとも不思議な光景。もちろん、ホタルの光も沢山見られたけれど、その傍らの人の多さの、奇妙な印象が勝る、という感じ。来年は、少なくとも、この時期には、見に来ないだろう。人の多さに対して、その起因の1人になりたくないし・・・。10時前に帰宅。


6月14日(日曜日)
 出勤の日曜日。いつもより少し早く起きて、刑事コロンボを視聴。7時過ぎに家を出た。普通のペースで歩いている分には、気にならない天候。白濁した空気が、鬱陶しい。日曜日の営業的仕事を終えて、夕方6時前に帰宅。年間で、もっとも夕方というタイトルが不相応な時期。さらに、曇ったり雨が降ったりしていると、オレンジの光には見えないから、どちらかと言うと、少し暗い日中である。
 Appleのwebサイトで、MacBook Proの注文状況を見たら、昨日、荷物受付がなされ、今日、海外発送された。やなり当初の予想通り、注文時に提示された日付よりも、かなり早く到着することになりそうだ。自宅に配送されるのは、16日の予定となっていた。10日間マキ。
 今回は、3つのカスタマイズ項目があったけれど、そのためにオリジナル製品のフタを開けて、中の部品を交換したり、アプリケーションをインストールしたり、ということは、この日数ではせず、あらかじめ、カスタマイズのいくつかのパターンを想定して、それぞれをいくつか在庫しているのだろう。極めてレアケースだったり、在庫をしていないときには半月ほど時間を必要とするが、そうでなければ、倉庫にそのパターンの製品を探しに、あるいは取りに行くくらいの作業で発送される、というシステムなのだろうなと推測。
 夕食後は、体調があまり良くなく、早めにベッドへ。しかし、雑誌をずっと眺めていて、結局寝たのは、いつもと同じ時間。日記は溜まる一方で、なかなか投稿できない。実際には、なかなかする気にならない、が真。