Mac憧憬の日々(〜6/7)

into-the-sky2009-07-21



6月1日(月曜日)
 16.6℃の朝。薄い雲に覆われているけれど、空気の透明度もやや高くで、気持ちが良い。職場の周辺では、昼過ぎに一度にわか雨が降った。
 最近、突然、MacBook Proが欲しくなって、いろいろと調べものをしている。購入してから2年と半年が経つ今のiMacを、あと2年は使おうと決めているが、新しいものへとカットアウトのように交換するのではなく、ある程度は新しい機種とオーバーラップさせていこう、と考えを変えたからだ。OSの動作自体は、依然として購入時とほとんど変わらないレスポンスで快適だけれど、傍らのアプリケーションは、徐々にメモリーを多用する仕様へと変わる傾向にあるし、回転機構を持つHDDは、確実に寿命に近づいている。メモリーが不足すると、その分HDDも多用されることになるので、やはり、経年的な劣化は避けられない。まあ、そうして、以前のWindowsのHDDは破壊されたわけである。使用頻度にもよるが、使い始めてから概ね3年を過ぎると、寿命までの余生、というイメージを持っている。寿命の際まで使うよりかは、その手前で、仕様頻度を落とした方が、いろいろ無難で平和な気がする。
 そうなると、同じようなデザインのものを二つ使うというよりかは、目的と用途が多少違うものにしておいたほうが、それぞれの使用頻度が高まって、無駄にならないと思うからだ。これはもちろん、新しいものを買うための、みずからの理由付けではある。まあ、こうすれば、今のiMacの交換時期も、さらに1年以上は先延ばしにできるだろう、とさらに、正当化しておこう。買うとしたら、7月の終わり頃か、12月の終わり頃になるか。2台のMacintoshをどう使い分けていくが、がポイント。
 仕事を終えて、夜10時頃に帰宅。この帰宅時間は、最近3週間くらいのデフォルト。外からは、自宅近くの都道を道路清掃車が進む音が聞こえる。沢山の葉の奥に、僅かに黄色いボディが見えるくらい。一見、森の中を行く清掃車、である。いったい、何を掃除しているのか。いや、ただの比喩ではあるけれど・・・。



6月2日(火曜日)
 朝の気温は、13.7℃。ここ1週間では、比較的冷え込んだ。昨日、自宅の周辺では強い雷雨があったようだ。夜に入って、冷たい空気に完全に覆われたのだろう。
 駅前建設中のある商業施設には、外壁が取り付けられ始めた。今年の終わりには完成するようだ。その中には、ある有名なスポーツクラブがキーテナントとして入る。その他に、スポーツ用品店や飲食店もオープンするらしい。その隣には、小規模なホールが入る文化センター、奥には、高層マンションも建設中。駅からやや離れた所には、別のマンションとPCショップが建設中。駅の反対側にもマンションが建設中。着実に空き地は減り、そして街道沿いにある旧来からの民家も減りつつある。依然として成長中のシムシティみたい。何度か書いているけれど、引っ越してきた時は、駅前の広大な空き地に、コンビニと小さな銀行の建築物があるだけだった。その横には、沢山の土筆が伸び、キジも飛来していた。駅前の一等地は、雪が降れば、辺り一面の銀世界だった。 そんな頃から、まだ10年と経っていない。これらの工事が開始されて、これで、駅前からは、完全に空き地が無くなった。
 火曜日は、今週も晴天。このところ、週の後半に天気がぐずつく傾向。午前中の1時間弱は、屋上で日光浴。もちろん、結果的にそうなるのであって、あくまでも仕事中の話。
 結果的、といえば、たいした理由もなく、結果的にこの一ヶ月間ほとんど中断されている日記の投稿も、来週の初めには再開されるだろう。中断の理由がなければ、再開の理由もない。このところ続いたブラインドモードとも、あまり関係ない。仕事の量も関係ないし、病気をしていたわけでもない。
 今夜も、10時過ぎに帰宅。さすがにこの時間だと、映画を見る気にはなれない。テレビの電源さえ入れない。iTunesのラジオで音楽を聴きながら、一日遅れの日記を書いたり、本を読んだり。夕食代わりに、キリンの「氷結」500mlを飲みながら・・・なんて、たまに具体的な固有名詞を。



6月3日(水曜日)
 弱い南よりの風、18.4℃の朝。
 家を出て少し、いつもの芝生のゲレンデ。その途中は、遊歩道よりも2メートル以上の高さがある、なだらかな上りの傾斜地になっているので、普通だと目線よりはかなり下にあり、あるいは木の陰に隠れて見えないようなものが、よく観察できる。芝生のゲレンデといっても、一面に芝生が見られるのは、冬季の少々の期間以外は、除草作業の直後くらいなもので、だいたいは野草のゲレンデになっている。大胆に、専用の機械で一気に刈られているが、毎年見える範囲だけでも20種類以上の花が見られるし、毎年、必ず決まった位置に、彼岸花も咲く。除草されることによって見られる花たちであることは間違いないだろう。一挙に何度かリセットされないと、生息に強い植物だけが、繁栄することになる。
 ここへきて、たて続けにネットでいろいろと注文をしている。着々と届きつつあるけれど、どれもダンボールの梱包から開封していない。外玄関の中にある階段に放置されたままの状態。
 これくらいの頻度で、ネットで買い物をしていると、ダンボールの処理は切実な問題。たとえば、鉛筆ほどのアロマオイル1本が、電話帳2冊分くらいの段ポールに梱包されて届くくらいだから、空箱ばかりがたくさん溜っていくのだ。まったく仕方のないことではある。けれど、処分は億劫になるし、いつでも捨てられるわけでもないので、こうなると、処分できる日まで溜めらるダンボールの量で、注文する時期や注文するかどうかが、束縛される。このダンボールや梱包の問題が改善されれば、もっと、いろいろな品物を注文するかもしれない。
 仕事の後は、突然、ある上司と焼き鳥屋に行くことに。「今夜こそは電車のある時間に・・・」という大方の予想は、今夜も例外なく覆り、深夜2時前に帰宅。



6月4日(木曜日)
 昨日とほぼ同じ気温。ただ、風向きは少し違うみたいだ。朝、家を出ると、近くの森の中のいつもと同じ所でウグイスが歌っている。これがここ3週間くらい、ずっと続いている。家の前の緑も、周囲の森も、横にも上にも、その勢力を広げている。
 先日、ある上司から「君は全体を見ている」「他の部署も助かっている」というふうに言われた。その上司は、若干の褒めとして発言したらしかったが、僕はそういう認識ができず、「ああ、そうなんですか」とだけ、返した。特に自分だけ違ったことをしているつもりはないからだ。もしかして、何年も変わらぬ職場に籍をおいて、全体を見ないで、そういう観察眼を持たないで仕事をしているスタッフがいるのだろうか。もしそうであるならば、それはそれで凄いことだと思う。それで仕事に支障をきたしていないのであれば、天才、かもしれない。
 ここからは一般論だけれど、1つの職場において、自分の周囲の環境や直接関わる道理は、いわば日頃のルーチンワークの中に完全に取り込まれている。意欲的な観察眼を持たなくとも、進められるべき仕事である。ただ、経年、仕事の範囲が方々へ広がると、より強い観察眼が必要になる。けれど、直接関わる業務以外の部分に足を踏み入れる瞬間に、その対象に関わるものだけでなく、すべてを見渡すことができるような数段上の高い所からの観察眼が必要になるし、常にそれを意識したり想像しながら仕事を進める必要が生じる。今までの身近な「一点」から「他の一点」を見るということは、「線や面」ではなく、奥行きと広がり、つまり「3次元」的にイメージする能力が求められる。その結果、全体が見えてくるし、本意であるかないかに関わらず、そうなるのが必然だろうと考えられる。さらにありていにいえば、それが自身が仕事である、ということ。
 夜は、ある作品の編集作業。この製作に関しても、僕はディレクターみたいな仕事。最初の駆け出しから、軌道に乗ったところで、今日の作業は終わり。続きは明日。10時過ぎに職場を出て、帰路へ。


6月5日(金曜日)
 昨日の朝より、僅かに暖かい朝。18.9℃。週間予報を見ると、ここ数日で三日先の予報が二転三転している。雨が曇りになり、再び雨になりそして晴れ、みたいな。梅雨前線の振動の具合に、やや大きく左右されているようだ。僕の中では、先週から梅雨の季節に入っていると思っているので、特に、どうも思わない。
 帰宅がかなり遅くなるという予想をしていたので、昼頃出勤。昨日の編集作業の続きのため。メールのリプライをしたり、各種雑務をこなして、編集室入り。途中で調べものが必要になる筈なので、ノートPCを持ち込んだ。職場の1階から3階までは、無線LANが使える。載せる情報を得たり、固有名詞を確認したりするためには、現在はインターネットの環境が欠かせない。エディターが必要とするかしないかに関わらず、関係する情報を調べておくということも、当然なことながら必要な仕事となる。
 昼過ぎ2時から作業を開始。作業時間をできるだけ短縮するために、素材を見ながら、その話を聞きながら、抽出する部分を考えながら、作品のテイストを考慮しながら、テロップの原稿を起こしながら、検索をしながら、次の編集点を考慮しながら、というマルチタスク。僕が特別なことをしているのではなくて、編集に立ち会うディレクターだったら、必然だろう。これくらいは、ほぼ同時に考えないと時間ばかりが過ぎて、仕事にならない。
 いわゆるクリエイティブな分野、物作りの仕事には、それなりの才能が求められるというのは、間違いない。しかし、アーティスティックな発想が求められる、というよりも、むしろ、根気よく続けられるか、効率良く作業が進められるかが、必要なスキルだろう。その人なりの個性や才能とは、その先に少々加わるくらいだろうと散見される。
 概ね、夜中の1時過ぎには終わるだろうと予想していたが、ちょっとしたトラブルもあって、3時間オーバーして完パケ。すぐに2つのフォーマットにプリントして、終了。明るくなり始めた頃に、エディターとタクシーで帰宅。ベッドに入ったのは早朝の5時30分過ぎ。


6月6日(土曜日)
 結局、1時間半ほど寝て、起床。いつもより少しだけ遅い朝食。朝の気温は、17.6℃。そのまま出勤しても良かったのだが、昼過ぎからは営業的な仕事が控えていたので、大事をとって、さらに2時間ほどベッドに。3年程前までは、一睡もせず翌日の仕事に、ということも稀にあったから、そのあたりが歳をとった証しになるだろうか。まあ、こうして書いているほどは、考えていないけれど。
 営業的仕事といっても、僕の場合は、ありがちなセールストークではなく、問題点や困難を隠さないよう、ありのままを伝える。美辞麗句を並べることもしないし、宣伝が先行するような材料も伝えない。そもそも、営業的な活動にはむいていない、ということなのだろうけれど、綺麗ごとばかりを羅列して、不事実不本当でないことを伝えるよりかは、遥かに楽だし、それが伝えられた人達のためにも職場のためにもなる、と考える。結果的に、乗じる人が少なくなったとしても、それが組織にはプラスになるだろう。正直な話、そのようなありがちなセールストークに乗じるような人は、いらない。うん、やはり、営業は不向きなようだ。
 夕方に帰宅。家の窓ガラスにカマキリの子供がついていた。慌ててデジカメを持ってきて撮影。ハクモクレンを剪定してからは、タマゴを見なくなったので、やや心配していたけれど、どうやら、アジサイの枝にタマゴが産みつけられていたようだ。夕食後は、映画を2本、たて続けに観た。その後は、1週間分の録画予約をして、11時過ぎに就寝。明日は、久しぶりに日記をネットにアップする予定。こうしてここに書いておけば、恐らく、そうするだろう。


6月7日(日曜日)
 朝の気温、19.2℃。北西の風が、やや意欲的に吹いている。乾燥した空気が流入したせいか、透明度の高い空気によって、山の稜線が明瞭に見える。
朝食前から「刑事コロンボ」。朝食後は、洗濯をしたり掃除をしたり、雑誌を眺めたり音楽を聴いたり、そして、予定通り日記をネットにアップしたり、という、非常に意欲的な活動、休日日曜日。
 午後は、エスプレッソマシーンを石灰除去をして、Macintoshをリスタート。買おうかと迷っている、MacBook Proの調べものと考え事。2台のMacに役割分担をさせようとしても、結局は、ハイスペックで動作速度が高い、新しい機種を独占的に使うことになることは、避けられないだろうし。液晶画面の大きさは従来機種の方が大きくて見やすい、けれど使用頻度は新しい機種の方が上、というのも、自分のことながら、釈然としない。今までにないことなので、そのような環境を、リアルには想像できない。しばらくは、買わないような気がしてきた。夕方は図書館へ。今回は4冊。雑誌などを見ないですぐに帰宅。
 先月から、iPhoneに、メモ帳のAppをインストールして使っている。購入時から既に入っている純正のメモAppもあるけれど、背景色などのデザインが好みでなかったため。最近、ネットの専用サイトにアップでき、自動的にシンクロされることを知り、それを利用している。基本的にiPhoneは常に持ち歩いているので、それほど便利だとは感じないものの、メモの内容を使ってMacやpcで文章を起こすときには楽。そろそろ、新しいiPhoneが高速・高機能化されて発売されるようだけれど、現状、まったく不満はなく、買い替える予定も、まったくない。ちなみに、今まで、1年毎に機種変更をしていたドコモのケータイも、替える予定はない。どちらも、あと2年は使うことになるだろう。特にケータイはほとんど使わなくなっているので、興味がまったくない。 iPhoneは、新しいAppや新しいOSをインストールする度に、気分は新しいものへの機種変更と同じになる。物足りなさや高機能化を望んだり、不満に感じたりすることもないし。