人見知りタイプ(〜5/31)

into-the-sky2009-07-13



5月25日(月曜日)
 昨夜の雷雨の影響か、気温が下がり、空気もやや乾燥している朝。気温は、16.2℃。
 いつも通りの朝、いつものように出勤。8月頃までは、隙間無く仕事が並んでいて、職場で雑務をこなしたり、考え事をしたりする機会があまりない。金曜日を休めるようにしたけれど、仕事を休むというよりかは、出勤して、傍らの仕事をする時間に充てられる。
 僕は、どちらかというと、子供の頃から、常に人見知りタイプであって、それは基本的に今でも変わらない。ただ、今は、一応社会人おとして、それがあまり表面に出ないように装ってはいる。自分が平均的で社交的な人間だと見られたいがための背伸びではなく、仕事を進める上で、そうしたほうが、面倒でないからだ。
 少し違う話かも知れないけれど、お互いをたいして知りもしない他人から、馴れ馴れしくされるのも好きではない。性別も年齢、そして立場も関係なく、である。あえてこういう書き方をするけれど、少しでも隙を見せた途端に、異様に近づいてくる相手には、今後ずっと、シャッターする。一度でもシャッターを降ろせば、たまに脇の小窓から、あるいは、少しだけシャッターを上げて応対する、というくらい。もう二度と、完全に上げることはない、というくらい、それは徹底される。
 ある程度の親しさとは、時間の経過によって培われるものだ。行動を共にする中で、何かに対して共感したり意見を交換したりする。そうして、お互いの考え方が解ってから、場合によってはある程度の慣れ親しい間柄になっていく。これが、極自然な姿だと思う。ほとんど親交も会話もない、お互いを知りもしない状態での馴れ馴れしい言動は、僕がするのも嫌いだし、されたくもない。何のために接してくるのかが疑問だし、そもそも本質とは違う部分に、相手の欲する動機がある場合がほとんどだろうと、散見される。僕は、そういう疑念にエネルギーを使えるほどの能力もないし、向き合って応対するほどの余裕もない、ということ。だから、そういう相手に対しては、なるべく悟られないように、そっと静かに排除していく他にないわけである。


5月26日(火曜日)
 朝の気温、15.5℃。少しずつ、空気が冷やされていく感じ。けれど、ひとたび、雲に隙間ができると、すべての光がそこに収束されるように、強い陽射しと暑い空気を感じる。ベッドから出た時は、冷えて重たい空気も、家を出る頃には、軽く暖かい空気に変わっていることも、この時期、少なくない。着ていくものに、一番困る季節だろう。
 稀に意に反して、悩みを告白するように、その憂鬱さを書き記しているブログを目にすることがある。また、僕の知人(と書く程の知人でもないが)にも、そういう人が居る。最初に断っておくが、そのような投稿の内容や表現に対して、否定的な意見は、一切もたない。個人の自由だし、むしろ、そうして出力をしたほうが良いだろうとさえ思う。
 そのようなものを見たり、少々話を聞いている限りにおいては、その本人の強い拘りを感じるし、理想の世界への憧れを感じる。
 悩みや欲求とは、それらが1つ達成されると、より高次なものへと進行する。空腹が満たされると眠気が訪れ、多忙な状態から脱すれば、やがてやりたいことを模索するようになる。悩みを持つこと、不安を感じることが人間の常なので、絶えず、何かに対して不満を持つし、それが是正されることを期待する。そうして、衣食住、それにトータルでの生活環境が整うと、その悩みは、傍ら的なことに、シフトする。高次なものへと欲求が変移すればするほど、その実現が次第に難しくなっていく。既に整った環境は忘れられ、目先の困難に悩みは収束される。
 けれども、これまでは一般論であって、誰もが感じ、誰もが直面していることだろう。ただ、これらに強い拘りが加わると、逃げ場を失う。みずからが作る理想への、渋滞する道路からの回避が難しくなるわけである。すると、進んできたこれまでの道への否定が始まる。容易に後戻りできない環境に対して、不満が抑えきれなくなる。強引にぶつけようとして、跳ね返ってくる不満に影響され、さらに、自己への嫌悪感が増していく。そんな流れの中にある、と推測される。
 厚みや奥行きを持つ過去の記憶から、将来への理想と期待を背負う。人間として、当然の行為だ。しかし、すべてを背負いながら前進する能力もまた、人間にはない。だから、経年、それが大きく重たくなったら、保持するものの優先順位をつけて、どこかに大きく放置するしかない。
 ところで、周囲には、跳ね返ってきたものや、少々でも放置されたものが、辺り一面に散在している。足の踏み場もないくらいに、である。まずは、身の回りの掃除と、整理整頓から始めることが良いだろう。思い悩むあなたの部屋、物だらけで、汚くないですか。



5月27日(水曜日)
 昨日の日中の暑さの割に、比較的冷えている朝。17.3℃。気温を下げる風があまり吹かない、夏特有の温度変化みたいだ。
 昨夜は、ある先輩と、2人で会合。8時頃に職場を出て、いつもの焼き鳥屋へと向かった。今日こそは電車のある時間に・・・という、2人の決心は、時間と共に、崩れて消えて、無くなった。結局、深夜の1時過ぎに帰宅。
 こうして、2人での長時間に渡る会合の話をすると、だいたい驚かれる。まずは、男性同士であるということ、長時間であること、そして、何度も頻繁に、ということに対してだろう。けれど、僕は、そのような機会をもつ先輩は3名。職場内外や回数に拘らなければ、10名にはなる。もちろん、皆歳上である。これが多いのか少ないのかというのは解らないけれど、友人の数がごく少数だ、ということを加味し、職場の環境を考えると、相対的には多い、ということになるのだろう。
 いわゆる「酒の力を借りて・・・」ということもない。日頃から、会話をしたり行動を共にしている人がほとんどなので、そういう場だから、という理由で取り立てて話す必要性もないわけである。話の中で最も多いのは、雑談。次いで趣味の話、仕事に関わる事と続く。長時間になっても、この比率はほとんど変わらない。そして、話す順は、仕事・趣味・雑談となる。もちろん、酔った勢いで声を荒げるようなことにはならない。概ね、皆、酒が強いようだ。穏やかに、静かに、そしてゆっくりと話をするだけ。このようにして、流れる時間はゆっくりだけれど、刻む時間は、あっという間に進む。結果、終電が終わったかなり後に、帰宅することになるのだ。
 火曜日と水曜日は、ほぼ同じの、ほぼ一日仕事。人が入れ替わるだけ。この仕事が主軸となって、回数をこなしていくうちに、やがて、夏がやってくる。
 9時過ぎに帰宅。ハーゲンダッツだけの簡単な夕食を済ませ、11時過ぎに就寝。



5月28日(木曜日)
 昨日は、夜遅くになって、さらに雨の強さが増した。間断なく、同じ強さで降り続いているので、正しくチューニングされていないラジオのノイズを聞いているような感じ。空調の大きめな音、かもしれない。かなり大きな音だけれど、煩さにも気にならず、ベッドに入った。
 6時の気温は、18.1℃。これくらいの気温で、雨が降って湿度が高いと、晴れている朝に比べて、涼しく感じる。家を出る時間から、すでにやや強い雨
 最近、視力が落ちてきた。以前より遠くも見えなくなったし、昨年くらいからは、近くの見えなさも、だいぶ気になるようになってきた。どうやら、嗅覚も聴覚も良い方の部類に入る人間なようなのだが、比較、視力は弱い。ただ、今、かけている眼鏡は、遥か昔(たぶん15年以上前に検眼した時の、数値や仕様をそのまま引き継いで作ってもらっているレンズが入っているから、合っていないといえば、その通りなのだろう。随分と前から視力に合っていない眼鏡を使っているが、その見え方がデフォルトなので気にならないし、見えなくなってきたことに気はついても、替えようということには至らない。まあ、ありていにいえば、無精なのである。
 ただ、世の中、伝染病や風邪が流行るとすぐにマスクをしたり、体調が悪いとすぐに医者にかかったり、すぐに栄養剤を飲んだり薬を飲んだりする人が居る。どうも、早く、そして過剰に反応しているように散見される。いや、しかし、個人の対応策なんて、それこそ個人の自由だし、そういう動作が間違っているだなんて、まったく思わない。どうでも良いことである。ただ僕は、もう少し、周囲や自分自身を観察してから行動に起こそうと思う質の人間なのであって、もう少し、自然に任せようと思う気持ちが勝っている、ということ。 まあ、こう書くと多少聞こえは良いのだが、要するに、その方面にはあまり感心がなく、とにかく無精な人間だ、というわけである。



5月29日(金曜日)
 昨日に引き続き、真剣な雨。気温は15.2℃。これだけしっかりと雨が降っていると、気温はほとんど気にならない。
 これといった仕事はないけれど、ほぼ1週間分の雑務をこなすために出勤。メールのリプライをしたり、他のスタッフといろいろと相談をしたりという作業。こういう日が、1週間でもう一日くらいは欲しい。個人的に、休日に出勤すれば良いわけだが、それができない環境。夜は、若い人達のコンパのようなものに誘われていて、それに出席。騒がしくて耳と頭が疲れるので、最近特に、あまり気が進まない。

 歳を重ねるほど、物事を進めるスピードが緩くなる。早急に慌ててことを進めても、たいした効果は得られないし、粗末な結果を目にしては、考えが浅はかだった、慎重さが足らなかったと、後悔するからだ。長く生きていくと、必然的にその経験も繰り返されるので、慎重さが増していく。結果、スピードも緩くなっていく、というメカニズムである。
 ただ、経験は同様に、手段の効率化をもたらす。同じことは、回数を重ねるほど、早く済ませることができるようになっていく。手段の性急化と、目標までの鈍化が相殺されて、トータルでの経過時間は、それほど変わらなくなる。つまり、単位時間あたりの密度が増していくことになるから、客観的には、洗練されていく傾向になるわけだ。
 少し見方を変えると、一生の残り時間は、確実に短くなっていく。見え聞えるのことないカウントダウンは、生まれた瞬間からスタートする。ある程度歳を重ねると、終わりを気にするようになる。普通に考えれば、次第に焦りを増していくのが自然だと考えられるけれど、実際はむしろ、スローペースになっていると観察される。
 一番生き急ぎ、焦っている時期は、およそ15歳から20歳過ぎまでだろう。精神的にもっとも成長する頃から、それが終わって少し経つまでの期間である。短い期間に貪欲に経験しようと考える結果、いわゆる「多感な年頃」ということになる。


5月30日(土曜日)
 朝は雨が降っていたけれど、日中は小康状態。たまに薄日が射して、その間だけ、少し蒸すように暖かい。気圧配置は違うけれど、気分は梅雨。
 鉢替えしたパキラからは、この時期2度目の新しい芽が出始めた。今回は8組の新しい芽。例外なく1組5枚の葉で構成されているので、40枚が新作される。今年は先月も10組が新登場していて、この多さは、いわゆる自然のサイクルによるものか、鉢替えしたからなのか、解らない。上の方に新しい葉が増えて下の方の古い葉が落ちる、という動作が毎年繰り返されていて、確実に背丈は延びているし、葉の枚数も少しずつ増えているものの、遠目から見た葉の集団の形は変わらない。
 甥と姪が通う小学校の運動会が、雨天のために明日に雨天延期となった。姪が6年生で、今年が最後なので、見に来ることを強く勧められていたけれど、その予定もキャンセル。翌日の予定をすべて前倒し。ブルーレイのHDDに随分と録り貯まっている映画を2本見て、読書をして音楽を聴いて掃除をして・・・といつもの休日のメニュを消化。雨が止んだ夕方は、郵便ポストとドラッグストアに行くために少々の外出。久しぶりのドラッグストアでは、家のストック用に持ちきれないくらいの品物を買い込んだ。
 僕が子供の頃には、たとえばシャンプーの容器は大きくなかったし、詰め替え用も売っていなかった。他の売り物も、基本的には一つずつのばら売りだったから、今より、頻繁に買い物に行く必要があったのだ。頻繁に出向くので、より近くの商店街が反映した。今は、昔と比較して、まとめて大量に買う時代になったぶん、一度にいろいろな物がそして大量に買え、広い駐車場を持つ大型店が、持てはやされるようになったわけである。
 ネットで買おうとする物、まとめ買いをしようとする物、偶発的に買おうとする物、できるだけ近くで買いたいと思う物、大まかにこの4つに分けられるだろうか。もちろん、多少クロスオーバーするわけだが、これらの環境にあっていない商売というのは、今後さらに成り立たなくなるだろう。


5月31日(日曜日)
朝からどんよりの曇り空。決定的な雨も降らないけれど、風に乗ってくるような小雨がたまに。気温は17℃を下回っているが、勢いのある冷たい風が吹いているわけではない。こういう日は、日中、蒸し暑くなる。
 天候は昨日と大きな違いはないようだけれど、運動会は開催することになったらしい。姉家族の家は僕や両親の家から、歩いて8分くらいの所にあって、小学校も同様に近い。僕の両親は、開式の時間後すぐに家を出たが、僕は、映画を見てアウトプットをしてから11時頃に出た。甥がリレーで1位になったらしく、「肝心な時にいないんだから」と言われた。特に活躍ぶりを見に行こうと思っているわけではないので、少し困る。まあしかし、そう、比較的、そういう肝心な時には居ない傾向がある人間である。つまり、僕が肝心と思っているかどうか、ということ。それでも、雨が降り始めて運動会が打ち切りになる2時くらいまでは、居た。それなりにビデオカメラで撮影もしたし。
 父親の友人とその孫の1人が、カナダから来日している。夕方に、来宅するらしく、近くのレストランで、姉の家族と両親とそのゲストと僕の9名で、会食をすることに。僕は、図書館に本を返却しに行って、少し経ってからそれに合流した。父の友人は、以前は日本に居たので日本語が話せるけれど、その9歳(確か)の孫は、ごく僅かしか日本語が話せない。それでも、友人・姉のご主人・父・母の順で英語が解るので、何となくそれなりに会話は成立。姉のご主人は、日常会話程度であれば堪能らしい。僕もその順のどこかに一応入るとは思うけれど、喋らない。完全に解らない振りをして、理解できる少々を頭の中だけで楽しむ、という億病さである。幼く可愛い子供から、堪能な英語が飛び出してくるのが、とても面白い。一般的には、英語を喋る日本人は、もっぱら大人だから、そのギャップに面白さを感じるのだろう。当たりまえのことを書いているが。
 いろいろと楽しく話しをして、夜10時前に帰宅。父と甥は、新宿駅まで2人を送りに行った。非常にパワフル。