立派な絵画になる

into-the-sky2009-06-14


5月14日(木曜日)
 朝6時の気温は、およそ14℃。久しぶりにヒンヤリとした空気に包まれている。今朝も、野鳥の独り言のような声が聴こえてくる。聴こえると慌てて窓を開けて、その声を楽しむ。
 最寄りの駅までのほとんどは、平成11年に新しく開いた街の中を歩くことになる。今、こうして、ここに書くまで気がつかなかったのだが、先月で、ちょうど10年が経った。旧来からの街道沿いに区画整理を施した、宅地造成地ではない。それまで、人独りも入らなかった広大な敷地に、街全体を新たに作り上げた街。だから、そこにあるもののほぼすべてが、10年前に作られたものだし、置かれたものだし、新しく生まれたもの、である。
 その時間の経過を最も感じるのは、木々の影の大きさ。10年前は日陰がなく、夏になると、全体が黄色い光だけに包まれていた歩道には、今は、大きく成長した影がある。コントラストがなく、凹凸も奥行きも感じづらかった芝生のゲレンデにも、今は、大きな青い影が落ちている。その影を作っている木々の膨張した部分には、野鳥が隠れるようにとまっているし、そこからの枯れ葉が増えるとこによって、虫が増えたり、違う植物が繁栄を始めたりしている。 絵の具であれば、一色で簡単に描かれていた風景には、グラデーションが増え、違う色も混じりだし、その形もボリュームも変わった。つまり、多彩で複雑な、立派な絵画になってきたのである。


5月15日(金曜日)
 昨日より、さらに冷え込んだ朝。気温は12℃。
駅から職場への道の途中に、小さな金物店がある。駅近くの繁華街から少し離れたところによくある、親子2代で経営しているような、店。
 電器スタンドというか、卓上マイクというか、それらのようなフレキシブルな構造を持つ扇風機が1つだけ、店頭に展示されていた。歩きながら流し見をして、一旦は通り過ぎたのだが、30メートルほど歩いてもう一度見てみよう、ということになり、引き返してゆっくり観察した。アルミとスチールで作られた4枚羽。もちろん、首振り機構も風量切り替えもタイマーもないけれど、そのデザインと羽の枚数が気に入った。さらに、自宅でも夏の仕事でも使えるな、と思い、1分くらいいろいろと考えて、結局購入することに。確か、値段は1500円くらい。
 帰宅して、早速、Macintoshの隣に置いた。1メートルくらい離れて、上半身全体に軟らかな風を受けるという具合の性能。少し気にしていた音も、ほとんど気にならず、合格。なにしろ、安物のプラスティッキーな印象もなく、値段のわりに、デザインもかわいい。
 定常的な仕事は一切なく、細かい雑務をこなした。夜10時頃に帰宅。
 このところ、ややブラインドモード。悩みがあるわけでもなく、明確な忙しさも感じないが、薄い雲が空一面に広がるように、頭も体もいろいろと。ということで、日記の量が減っている。投稿は、再び遅れるだろう。


5月16日(土曜日)
 暖かい朝の盛り返し。14℃と少し。土曜日の朝は、食事の時間は平日とたいして変わらないけれど、家を出る時間は30分程度遅くてすむ。帰宅後や休日の30分とは大きく違い、随分とゆっくり過ごせる、気分になれる。コーヒーをもう1杯多く淹れて、音楽を聴きながらMacintoshに向かって、ゆっくりと前日の日記を書く。言わずもがな、出勤する平日もさらに早く起きて、ゆっくりすれば良いわけだし、この30分がデフォルトになれば、この気持ちの良さもなくなる。過去の記憶に奥行きを持ち、それぞれの個別の環境での思考を得意とする、人間ならではの、気持ちの変化である。依然として、ブラインドモード。
 出勤して、午前中は、定例の会議。いつもより倍近い、長い時間だった。イレギュラーな会議と違って、流れも終わりも想像できるので、退屈はしないし、窮屈な感じもしない。それぞれのスタッフが、必要に応じて話をしている、ということ。
 昼過ぎは、いろいろと雑務をこなし、日が暮れた夕方からは、職場の中の屋根のないスペースで、懇親を兼ねたバーベキュー。職場が職場だけに、食材以外、特に用意することもなく、必要な道具も必要な照明も、すべて自前のもので、事が足りる。配電盤から仮設電源を引っ張るスタッフがいるし、良い具合に照明をあててくれるスタッフもいる。いわゆる「仕切り屋」(言葉が乱暴だが)みたいなスタッフや、もの凄く気を利かせてくれる若いスタッフばかりなので、こういった催事が、いつでも簡単に行える。事ある毎に、「あ、こういう職場なのだな」と再認識するわけである。
 9時を過ぎたあたりで場所を移動して、三々五々、大半のスタッフが帰宅していったが、僕を含めた4名は、夜半を過ぎた最後まで、会合を続けた。僕はもっぱら、聞き役に。そういう場で、積極的に主張したり、他の意見に対して反応してみたり、ということはしないようにしようと、決めているからである。いろいろと発言する人が悪いとは、まったく思わない。個人の自由だ。けれど、僕は、もう、そういうことにエネルギーを使うのをやめようと、決めている。ただ、それだけのことだ。


5月17日(日曜日)
 朝の気温は、15.3℃。昨日と比較して、広いリビングルームに電器ストープ、ほどの暖まり具合。好天ではないけれど、雨は前日の予報ほど降らず。午前中は、やや久しぶりの映画鑑賞。ある女性2人が、年末に住まいを交換して・・・という、少し変わったストーリーだだった。もちろん、例によって、見るまで内容は知らず。
 午後は、「刑事コロンボ」を見て、家の掃除をして、夕方前に図書館へ。専門書などを4冊借りた。そのうちの1冊は、都内の川についての専門書、とたまに記しておこう。
 連休中、4日違いまで縮まった、日記のアウトプットと、ここへの投稿日との差が、また2週間弱に広がっている、だろう。この文章を投稿する時点での、話。今、ここに「久しぶりの投稿」と書いても、この文章が投稿される時は、そんなことないのかも知れない。
 そろそろ、「騒ぎ過ぎではないか」という意見が出てくる頃だろうな、と思っていたら、やはり、案の定、そんな雰囲気になってきたみたいだ。実際、広まらないということが前提の対応策だから、本当に増えて広まってしまったら、それほどの対応ができなくなる、という、ごく必然的な流れの中の話、である。これが、感染者は増える一方、事態は沈静化に向かう、という、一見、矛盾した実際のメカニズムである。インフルエンザの話。
 夜は、本を3冊、ベッドに持ち込んでの読書。多少、まどろみながらの読書は、日中のそれとは違った楽しさがある。読書を始めた数年前から、ベッドに常に2冊以上の本が無いと、気が済まなくなった。大抵、専門書とノンフィクションものが、3冊置かれているが、読みたいと思う本の傾向で、その日の気分が解る。僕の場合、特に考えていることがない場合は、専門書を読む傾向にある。このところは、しばらくノンフィクションを読んでいる。
 ブラインドモード、浅いながらも進行中。