クロマが下げられたような

into-the-sky2009-02-09


1月31日
 雨雲の大部分は通り過ぎているが、それがあまりに強力だったために、余韻のような弱い雨が降っている朝。遠くの雨が強い風によって飛ばされてきているようにも見える。休日の土曜日。午後に少しだけ仕事があって、昼過ぎに出勤。
 昨年度に続いて、今年度の研究論文が論文集に掲載されることが決まった。今年は、それほど手間をかけなかったし、強いメッセージ性も含めなかったので、意外。ここの日記的ブログとは違って、多少意欲的なアウトプットをしているから、書くからには、掲載されないより掲載された方が効果的で良いとは思うが、まあ、それくらいにしか捉えていない。昨年の11月に提出した原稿を、改めて推敲して、若干の校正をして再提出するつもり。仕事を終えて、夕方、早々に帰宅。

 帰りに駅の近くの家電店に寄って、デジタルカメラを購入。今まで使ったことのないメーカーで、比較的広角側から、ズーム比1:7.1のレンズが搭載されている機種。液晶画面の画素数も高くて、メジャなクラスのデジカメにしては、低価格で高機能。交渉して店頭表示価格より随分と安い値段になったけれど、その後店員が商品を取りにいって欠品していることが解った。それを先に言わず値引きをするなんて、不思議である。たとえば、アマゾンは日によって、あるいは一日の中でも時間によって、価格が細かく変わる。2万円程度のものが、数時間で3000円も価格が振動することもあるくらいだ。基本的に、物の価値は、その瞬間でのものだから、何とも緩慢としているというかおっとりとしているというか、憤慨することもないけれど、それで良いのか、という感じ。
 参考までに展示品の金額を聞いたら、「同じ金額です」と言われた。「誰かが落としたりしているかも知れないのに?」と聞いても、答えは同じだった。考えようによっては、展示品と同じくらいの低価格、だし、不具合品と同じ価値しかない、だし、新品と同じくらいの高価格、ということになるか。なんとも、矛盾しているというか、なんというか、奇々怪々である。
夕食後は、映画を1本と、「刑事コロンボ」を観た。


2月1日
 風が強い朝。朝の早い時間から風が強いのは、少し珍しい。日中もほぼ緩慢なく強い風が吹き続けている。空気の透明度も高い。光は意欲的。それでも気温は10℃を少し超えた。冬の峠は越した、と感じる。
 高台にある自宅の周辺は、北から西にかけてシャッターするものが何もなく、北西の風向きだと、いわゆる吹きさらしになる。
 特に家のすぐ前の丘の上にある公園は、北西側はやや急な斜面になっていて、下からも勢いよく風が吹き上がってくる。それが家にも当たるから、一段と強い風を受ける。
 休日の今日は、朝食後に映画を2本観た。後は、観葉植物の手入れをしたり、掃除をしたり。名前を知らない小さな鉢に入っている観葉植物は、年末までほとんど枯れかかっていたが、栄養剤を与えて面倒を見てあげるようにしていたら、新しい葉を一ヶ月で18枚も出した。葉の色も、以前は黄緑色で意気を感じなかったものが、濃い緑になり艶も出て、ふた周りほど大きくなった。栄養剤の効果を実感している、今日のこの頃である。
 昼過ぎは散歩に出た。今日はおよそ3年ぶりのコース。駅の反対側の高台から街全体を見渡すことができる所へ。川崎市の中で、最も北に位置する、畑地。非常に対照的な東京側の開発街区とは、駅の近くを走る街道が境界となっている。その高台をさらに奥に進むと、今度は横浜側に開けた部分があって、その方面を一望できる。ちょっとした散歩でも、海抜差80メートルくらいを上り下りすることになるから、それなりに大変だが、その分、いろいろなものが沢山見えて、面白い。
 帰宅して、「刑事コロンボ」を観て、夕食。夕食後は、邦画を観た。3年くらい前に公開された、非常に知名度の高い作品。ホームシアターシステムのサラウンドで聞いているけれど、数多くある小声の台詞にボリュームを合わせると効果音は大き過ぎ、音量が高い部分に合わせると、小声がほとんど聞こえない。洋画は字幕で補完をして観ているのだな、と実感したしだい。11時過ぎにベッドへ。読書を始めて、4分くらいで意識がなくなった。


2月2日
 昨日の強い風は止み、穏やかな朝。家の屋根や車の上には、灰色の粉が沢山載っている。自宅の3階から立川の方を見ると、全体的に空気が白濁している。浅間山の噴火による、降灰。これほどの降灰を間近に見たことは、過去に記憶がない。出勤のために家を出ると、周囲の街路のアスファルトも、全体的にグレー。自転車のタイヤの跡が見えるくらい。屋外では、目で見えるものすべて、クロマが下げられたようなカラーリングになっていた。と、いうことで、消極的な晴れ、のように見える天候。
 たまにこうして、自然の威力や地球のメカニズムを目の当たりにすると、今まで忘れていたこと、あるいは、特に意識していなかったことを思い起こさせてくれるから、現実の再認識ということでは、非常に効果的だ。逆にいえば、そのような状況にならないと意識できない、ということでもある。何かが起こらないとアクションしない、実際に経験しないと意識できないというメカニズムは、我々の日常に沢山あることであって、いかに、前もって予測したり想像したりするかが、因果を遡るような、永遠のカオスというかジレンマということになるだろう。むしろ、その実体験のために、また、その解決のために生活しているといって、間違いないわけである。

 デジカメを注文していた家電店から連絡が入った。メーカーから納品されたらしい。店員の方の話によると、店内での在庫は常に1つで、1つ売れたらメーカーに注文して取り寄せる、というシステムらしい。広告に載らないようなマイナーな商品は、あまり在庫していないようだ。ちなみに、その家電店で値引きをしてもらった値段は、アマゾンの値段と数百円安い程度。店に出向く手間を考えると、ほぼ同じ金額である。一時は増えた大型家電量販店も、長い目で見れば徐々に淘汰されていく傾向にはあるだろう。
 夜7時過ぎに職場を出て、商品を受取って帰宅。試しに何枚か撮影してみた。特にマクロの機能が強く、被写体まで1センチの距離でもフォーカスが合うから便利。今までのようなCCDの画素数のアップではなく、液晶の高精細さやレンズの性能で、いわゆる商品力を競ってもらいたいと折に願う。