客体が特技なのか

into-the-sky2008-03-02

 気がつけば3月。今年も、あと10ヶ月を残すばかりとなった。窓から見える桜の木の枝には、マッチ棒のような小さな枝が沢山ついている。隅々まで、新しさのプレッシャが行き届いている感じ。静かに膨張しているように見える。その力は、つぼみを膨らまし、やがて花びらへと浸透していく。

 例のMP3・iTunes化計画は、485曲まで進んだ。まだ、未収録のカセットテープは半分以上残っている。タイトルの書き込みは、200曲までしか進んでいない。先が思いやられる。それでも、長年探していた曲や、もう無くなったと思っていた曲が見つかるので、嬉しい。CDも廃盤になって、もう手に入らないと諦めていたら、しっかりと録音されていたものが残っていたりするから、我ながら天晴れである。
 いつ録ったのか解らないが、NHK大河ドラマのテーマ曲が、5つ入っているテープがあった。タイトルも解らないし詳細は知らないけれど、だいたい、30年くらい前の大河ドラマのテーマ曲に使われていたものらしい。毎週見ていたわけではないけれど、半分くらいは、メロディラインが記憶に残っている。醤油バター風味の懐石料理に、ラザニアがメインディッシュみたいな、そんな音楽。ポップスのような楽曲の構造になっていないし、沢山の楽器でいろいろなものを表現しようとしているので、若干ごった煮みたいなメロディではある。批判ではなく、むしろ、面白いし頭に刻まれるものもある。長さを考えると、クラッシックでもないジャズでもないポップスでもない、タイガドラマという1つの音楽のジャンルとしても良いかと思う。ストーリーの時代考証上、軽いものにはできないし、1年間飽きさせないようにする必要があるし、長くも短くもできない。多分、作るのにはもの凄く手間がかかる、難しいジャンルだろうと推察される。

 何ヶ月か前に、NHKテレビを眺め見していたら、あるメジャな作家の紹介をする番組があった。自分の作品を読んで涙を流すシーンが紹介されていた。それをその作家の特技みたいに誇張するような内容だったのだ。僕はもの凄く驚いた。たいしたテクニックだと思ったのではなくて、それが当たり前だし、必然的にそうなるだろうと思っていたからだ。
 作家の、とくにフィクションを書く、創造の仕事とは、頭に想像し、また、映像化されたものを文章にする作業なのだろうと推測している。それを初めてテキスト化するときは主体だろうけれど、それを推敲したりゲラの校正をしたりするときは、客体の見地であるはずだ。一読者として読む、つまりは、書いたものを口に出して読み、再映像化をしないと、文章の客観性は加味されないと思う。だから、自分の書いたストーリーであっても、自分自身が感動できないと、作家の仕事は勤まらないだろう。いったいどのような思惑で、それをその作家たる故の特技のように取り上げたのだろうか。不思議である。
 ちなみに、ここの文章は、客体化ばかりか、その内容において、拙く、誤植も多く、読みづらいというわけ。再読して気がついたら、数日後、修正していますが・・・。