変わるもの・変わらないこと

into-the-sky2007-01-09

 朝は冷え込んだ。出勤時の朝、駅までの道には霜柱が沢山出ていた。いや、霜柱を見つけながら、歩いているという方が正しいかもしれない。霜柱という言葉の通り、細かく細い糸の集まりのように見えるのは、毛細管現象によるためだ。この現象自体が、霜柱ができるメカニズムになっているといった方が良いだろうか。
 冷やされた表面から、下に向かって成長していくのではなく、凍り始めた表面から、上に盛り上がるように成長していく。凍るから吸い上げられ、そしてまた凍り、吸い上げられる、これが繰り返される。放射冷却が強く発生する無風の晴天時に多く発生するので、寒くても雪が降っていたり、強風で蒸発や昇華が早かったりすると、成長はしない。堅い土は、毛細管現象をもたらす微細な穴ができず、砂地は粒子が大きく粗いので、毛細管にならない。また、晴天が続き、土が乾燥しきっていると、やはりできない。現在の都市部では、貴重な現象になった。見るたびに写真に撮りたくなって仕方がない。許されるならば、地面に寝転んで、ずっと眺めていたくなる。
 普通では見られない“光り”を感じるからだ。通過時点では透明な光も、水や水蒸気が変化することで、光りが反射しそして屈折もする。そこに見えない光りが、始まる。だから、雲も好きだしそれがない空も好きだ。特に山に当たって上昇し、断熱膨張を繰り返して雲が湧き上がる姿は、最高だ。見えない光りが、突如として、そこに、表れる。光りに変わる瞬間が、変わる境界が、常に見られている。「もう、たまらない」、そんな想いになる。

 今日は、仕事初めで雑務をこなした。前にも書いたけれど、休み明けでの職場では、口数が多くなる。溜まっていた何かを、吐き出す感じである。ストレスが溜まってそれを発散させているのではない。職場だから、そのような環境だから、同僚や先輩後輩だからこそと、話すこともあり、それが溜まっていた、ということ。休み明けの学校の授業が、友達同士の話でうるさいのと、同じメカニズムだろうか。学期の初日に、一日授業をしないのは、そのためなのかも知れないとも思ったり。いや、もしそうであれば、三日間ぐらいはそんな日が続いた方が、メリハリができて良いのだろう。ちなみに、学校時代の私は静かで、うるさい友達に対して、「よくも、まあ、そんなに話すことがあるな」と、思っていた方だけれど。いつ変わったのだろうか。いや、実は、本当は、変わっていないのかもしれない。


 子供の頃、幼少にさかのぼるほど、静かな人間だった。喋るという動作より、周囲を観察し考えることが多かった。その方が面白い、と、子供心に考えていたのだと思う。クラスメイトや先生、そして親戚や近所の大人たちに、何回「オトナシイね」と言われたか、数えきれない。そして、その“オトナシイ”と発言する主旨は、単純に「静かだ」という意味で言う人と、「もう少し話しをしたら?」という意味を込めて言う人の二つが、それぞれが半々だっただろうと思われる。推測の域を出ないはずだけれど、少なくとも当時私はそう考え、そのような受け止め方をしていたし、その時の状況や前後の流れで、両者のどちらかを判断していた。そんな中で、「なぜ喋らなければならないのか」をずっと考え、さらに喋らなかった。もちろん、必要があれば、状況に関わらず話をしていた。単に暗い子供でもなく、頑固に口をつぐんでいたわけでもなかったからだ。
 とにかく、ただ単に陽気な性格の持ち主で、がむしゃらに話好きである、そんなキャラクタの人も、確率的に言ってクラスに数人はいただろう。けれども、その人を取り囲む数人は、その人に引かれ同じように振る舞っているだけだと考えていた。それを見て、「無理をしているな」と感じていた。
 意味もなく喋るということは、そのような雰囲気の周囲に合わせるという道理に近い。そのような考えのもとで、“あえて話す”ということは、一つのサービスだとしても間違いない、と考える。私はそのサービスをしたいとは思わなかった。それは今も基本的には変わらない。自分を持ち自分を表現することと、周囲に合わせ協調することとは、意味も手段も、互いにそれぞれが乖離(かいり)していて一致していない。学校という世界の中でそれを一致させ、迎合したりアピールすることに必要性を感じない。その考えは当時も今も変わらない。
 けれども、いわゆる社会において、誰かと共に仕事をしたり、自分の今や将来に関わる環境の中で生活したりするには、自分を表現するということはむしろ必要なのであって、そうした方が、自然であり合理的であることも多い。
 いずれにしても、比較的静かな当時も、息せき切ったように話をする今も、何らの無理なくそうしているということは、どちらも自分自身の自然な振る舞いであり、つまり、変わっていないと言えるのである。