自然が人間を

into-the-sky2006-06-21

 基本的に緑が多い自宅の周辺。敷いたばかりのアスファルトから、たんぽぽの葉がそれを盛り上げ破壊するように顔を出す。泥が溜まった小さな側溝には雑草が生え茂っている。
 また、自然災害によって被害を受け人が命をおとすと、我々人間は自然に無力だと言う。
 これらを見ると、人間が本当に自然環境を破壊しているのだろうかと思う。 
 一般的に言われているような影響を、本当に人間が地球や自然にもたらしているのかと思う。

 地球環境破壊というと連想するものは、木が倒され重機が整地し、煙突から煙が出て、川には変な液体が流れ出る。解りやすい。しかし、これらは人間の周囲の住環境の悪化である。これによって地球が弱っていって滅亡寸前になるというとは全くなく、そして、綺麗な空気の場所はいつまでも綺麗な空気に覆われ、綺麗な海水は綺麗なままである。
 また、温暖化によって砂漠化が進んでいると騒ぐ。でも砂漠もれっきとした自然の姿の一部であり、その姿を変えているだけである。砂漠は人間が住みにくい。これも住環境の悪化であり、地球全体の悪化にはならない。
 こう考えていくと、真の意味で地球環境を破壊してはいない。
 我々の毎日の営みの中で、地球のことをあまり配慮していないので、結果的に壊していると騒いでいるのだ。しかし、繰り返しになるが、破壊などできていない。一時的に人間にとって都合の良いように姿を変や形を変えさせている、人間が生きていくために、一時的に搾取しているだけにすぎないと思う。
 自然は自然に戻ろうとするし、増殖と減衰、反映と駆逐を繰り返している。例えば我々は雑草が生え増える努力をしていない。樹木が育ち増えるのは我々の作為ではない。枯れていく木は現在の周囲の環境に合わないからなのであって、それが無くなっても、朽ちた木を栄養源に別の草花が育ち、別の苗が据わりやがて木々に囲まれるようになる。恒久的に自然には返らないものも人間は創出しているが、それは我々の住環境に多少の影響をもたらすだけで、地球全体の環境が変わるものではない。
 では、我々の言うこの環境とは一体何か。

 “地球に優しい”という、まるで環境保護の常套句にように言われている言葉がある。しかし、地球にもし意思が存在するとすれば、別に人間に対して迷惑に感じているとは言わないだろうと思う。なぜなら、地球にとって人類の歴史なんて関係なく、46億年も前からある地球に対して、人類の歴史は諸説あるがせいぜい600万年程度だからだ。つまり地球は46億年も前から、地球自身のために色々と変貌を遂げながら生き抜いてきた。その長い歴史の中で通りすぎて行った生命は動物植物問わずいくらでもあっただろう。
 途轍もない長い歴史のなかで、ほんの数百年前から人間が勝手に地球上にいるだけであり、地球にとっては、通り過ぎていく生命体とその集いを眺め見ているだけなのではないか。そう考えると、地球にやさしいとは、人間が自分たちにとって都合の良い状況を保とうとする標語のようなものであって、そんなことは地球には何の関係もなく、いわば、地球にとって勝手に誕生して進化して自然の一部を搾取しながら生きてきた人間が、「いままではやりすぎました。自重しましょう」と勝手に騒いでいるだけなのだ。
 環境が変わり二酸化炭素が増え温暖化し森林破壊が進み砂漠化が広がっている、これらの事実は、人間である我々にとって悪い環境なだけの話であり、地球にとっては必然的な変化の一つに過ぎない。
 我々が、自分たちの住みよい環境でなくなりつつあると、騒いでいるだけなのだ。