真実は騒がない

into-the-sky2006-05-30

 日曜日、小学校の運動会に行った。小学生以来のこと。私の子供の運動会ではない。(結婚してないし) 甥と姪の運動会のビデオカメラマンとして行ったのだ。(一応プロなんで)

 懐かしい!とにかく懐かしかった。見る側としては初めての経験だったので、その懐かしさとは、児童側の、運動会に対する悲喜こもごもな気持ち、色々な思いを呼び起こされて感じたものだった。玉入れ・綱引き・遊戯・応援合戦・リレー・・・。当然なことながら、今となっては、どれも運動会の一つのプログラムでしかないのだけれど、児童にとって見れば、どれもビックイベント。緊張もしていたし、力んでもいただろう。フィールド内は“舞台”であり、お客さんに“家族”がいたのだから。

 昨今、運動会で、危険で怪我をするプログラムが減ったとマスコミで騒がれている。私には理解できない。理由も騒がれていることもだ。子供が怪我をする場面は他にいくらでもある。むしろ、怪我をしないと断定できる安全な状況など、子供の時代には存在しない。それが、なぜ、運動会はそれを嫌うのか、避けなければいけないのか。運動会で怪我をする児童は、きっとそれ以外でも怪我をするだろう。怪我をすると、痛い思いをするから、そうならないように気をつけなければいけないと思うのだ。色々に配慮することが必要だと学ぶのだろう。
 大人になってからの怪我は結構影響が強い。度合いによっては、仕事も休まなければいけない。家事にも困るだろう。周囲に対する注意や配慮、判断力、バランス感覚や自分の限界を子供のうちに知るから、それが将来役に立つ。免疫と言ってもいいだろう。子供の時の様々な免疫の多さ、これはかなり大事で、そのために子供の時代がある。

 運動会での親子昼食もそうだ。これも、親家族が来られない子供が可愛そうだから、児童は全員教室で、親家族だけが、校庭で食べる学校が多いのだと聞く。これも全く理解できない。家族大勢で食べられる児童に比べればそれは確かに可愛そうだろう。でもそれの何が悪いのか。淋しい思いをさせてなぜ悪い。そう思える感じられるシチュエーションがあるから、家族や親の尊さを知るのではないのか。緊張していても、一時的にでもそれが和らぐそんな思いを通して、その大事さを知るのではないか。淋しさを感じることも免疫の一つだろう。一緒に食べられること食べられないことは、良悪でも損得でもないからだ。

 ・・・と、ここまで話をして、見に行った運動会はどうだったかと言うと、危険だと言われている綱引きも騎馬戦も組み体操遊戯も親子昼食も、その小学校では健在であった。
 実際に、学生に聞いたところ、危険な遊戯を実施しない運動会、親子昼食を実施しない運動会の経験者は、全体の一割にも満たない。上記のような話をすると、「へっ?」というリアクションをするぐらいだ。
 騒いでいたのは、テレビを中心とするマスコミ、それに反応した若干の学校に過ぎなかった。実態やそれらの意識とかけ離れた報道がなされていたのだろう。

 意気揚々とした、楽しい運動会だった。