人と車と

 ある日の朝の出来事。出勤途中の電車の中、ある光景を目にした。踏み切りに閉ざされている、サイレンを鳴らしたパトカー3台。
 朝の定常的な遅延で、パトカーの行く手を阻むように電車は信号停止した。私はちょうどその前。特に朝の通勤時間帯は遮断されることが多いだろうに、天下の警察、大丈夫か??一層のこと、「踏み切りや鉄道線を意識した管轄域にすればいいのに」と、一見真面目でも身勝手な考えを巡らしたりしたのだった。しかし、すぐ、何だか笑えてきた(実際は笑ってないけれど)。
 7月公開のディズニー映画“カーズ”を連想したからだ。
 この映画、車が擬人化・・いや、人が擬車化が相応しいと私は思うのだが、いずれにしても、車が人間のような感情を持ち、豊かな表情を蓄える、車社会ならず車の世界を描いた3Dアニメーション映画である。
 それはさておき、車を人間が操る道具の一つとするならば、これほど、操る人の性格や意志を受け継ぐ道具が他にあるかって私は、声を大にして言いたい!(大臣口調風に)。言いたいか、言いたくないか解らないぐらい力説したいのだ。(自分で言ってて訳わからん)まあ、ツマラない長いのうがき話は今日はあえてせず、いや、いずれはしようと思うが、立ちはだかる電車をまだかまだかと急かすように、ウーンウーン唸っている。胸の、鼓動の高鳴りや焦る心を表しているように、頭の赤いランプを点滅させているのだ。
 しかし、いくら気ばかり急いでいても、なかなかその試練を乗り越えることが出来ない。
白と黒のメリハリがきいたパトカー君(略してパッ君)達は、“損・得”もあっさり分別し、その高いハードルを避けて、さっさと迂回していった。