笑点と呼び水、サザエさんと朗らか

 今日は日曜日。私は日曜日もたまに仕事に就くことがある。今日がそれだ。
 時間を計算して帰ってきたつもりだったのだが、間に合わないことがあった。
 テレビ番組“笑点”のテーマ曲だ。大喜利の前に流れるあの有名な音楽。知らない大人の方はいないだろうと断言できてしまうだろう。この曲は私の子供の頃から変わらない。せいぜい、テレビの音声多重ステレオ放送が始まって、音源がステレオになったぐらい。
 なぜ帰ってきたのか。この曲を聴きたいと思ったからだ。別に私は笑点のヘビーファンなのではない(だいいち私はまだそんな歳でなない・・・はず)。さすがに見ると面白く見入ってはしまうが、大喜利自体が見られなくとも残念に思うことはない。そんな程度の受け入れ方でしかないのだ。
 これを聴かないと、日曜日と言う感じがしないからだ。そう、私にとっては、まさに、笑点どころか、日曜日のテーマ曲なのである。笑点以外にももう一つ日曜日のテーマ曲がある。サザエさんだ。笑点のそれと同様、聴かないと気が済まない。なんて偉大な楽曲なのだろう。すばらしい!

 さて、ここでそろそろ本題に。
 日曜日と言う感じがしないと言った。確かに言った。しかし、そもそもこの番組いや、この音楽、日曜日に流れなければどうなるのか?つまり、番組自体、別の曜日だったらどう思うのだろうかと。
 でも、ここで軽く思慮すると、まず、日曜日以外だったら果たしてそれらを見てあるいは聴くことが出来るのかどうか。私は普通の標準的な一般的な何の変哲もない地味な・・・(これぐらいにしておいて・・)社会人である(と、言う事にしておく)。日曜日もたまに仕事だが、平日ももちろん大抵の場合仕事である。帰宅時間も一般的なはずなので、見て聴くことはできない。これだと、話は、お笑いコントの終演のように、拍手と共に会釈して終わって早々に引き上げるほど、あるいは、つまらないオチで観客からの大ブーイングのなか、投げられる座布団(そんなこと実際はないだろうが)を掻い潜るように去っていくように、突如として終わってしまう。
なので、この話、おしまい。
・・・
 いや、そうじゃなくて、ここでは、見られると仮定しての話とする。(話進まないし・・)
 そして、改めて、日曜日以外だったら、どうだろうか。
 おそらく、そうは思はないだろうと。なぜか?
 やはり日曜日である必要があるのだ。日曜日のその番組その曲だからこそ、そのように思うに違いない。
 では、なぜ、日曜日なのか?
 音楽の魅力を考えてみたい。なぜ、人は“音楽”を聴きたいと思うのか。一度聴いた音楽をなぜまた聴きたいと思うのか。
 音楽に対する思いとは、オーバーラップだと思う(身振り手振りのあのラップでなくてね・・笑)。その楽曲に何かを重ね合わせている。歌詞に、あるいは、そのメロディラインに。
ただ音楽を聴いているのでない。そこに自分なりの思い入れをしている。それは、自分の今までの経験や形でない想いでもあるだろう。つまり、この曲を聴くと、過去のアレを思い出す、あの時のあの想いを呼び起こす。何か積極的な過去の想いかもしれない、消極的な平穏としたものかもしれない、激しい動揺かもしれない、楽しい朗らかな経験かもしれない。つまり、音楽とは、自分の心を呼び覚ます、『呼び水』と言えるのではないか。
 聴いても共感することなく、興味を抱くことが無い楽曲とは、それはつまり、呼び水にならない音楽なのだ。