常識をもつな

into-the-sky2009-03-06


2月18日
 久しぶりに硬い寒さの水曜日。気温は氷点下1.7℃。先週の暖かい日には、職場の近くに手のひらと同じくらいの大きさのカエルが沢山居たけれど、また、冬眠に戻ったのではないだろうか。天気は今日も晴れ。降灰してから、まだまとまった雨が降っていない。車の上も隣家の屋根も、相変わらず、灰色の粉が残っている。「あ、あれから、一年経ったのだな」と実感する日。
 今日明日と、ちょっとした仕事があって、朝に出勤してからは、ずっと地下の人だった。曲違いでほぼ同じようなことを7回。夕方過ぎに今日の分は終了。みずからその中に関わったり、少し離れて全体を見たり、という仕事。
その後は、偶然僕の職場に来た、グループ内の他の職場のスタッフI氏と2人で、焼き鳥屋へ。各方面のいろいろな話。やはり同性で上司で2.3人での会合が最も好きだ。ゆっくりと沢山の話ができる。ただ、もう何度も同じような機会はあるし、行動を共にすることも多いわけだから、実際には、新しい何かや別の考えを聞く、というよりかは、確認作業に近いだろう。
 つぶさに観察していると新しい発見がある、とは頻繁に言われるけれど、今までに無かったり感じなかったりした何か、というふうな、自分に新しく加わるような直接的な要素ではなく、むしろ、どうしてそうなのか、という疑問や不理解な道理であることが多い。つまり、今まで知らなかったことに気がつく、あるいは、今までどうしてそれに気がつかなかったのだろうと思う、そういう要素である。
 いやしかし、新しいものがまったく見えていないわけではない。ありていにいえば、必ず見ている筈だ。ただ長く生きていくと、それを新しいもの、今までになかったことだとは感じにくくなる。従前の範疇に取り込むけれど、新規のフォルダにはならない。これが「歳をとると頭が硬くなる」という所以だしメカニズムだ。これはごく自然な衰えの一種である。けれど、自分に解らないことがある、未知の新しい何かがある、と想像することによって、それらのある程度は、回避できる筈である。すなわちこれが、好奇心というものだ。



2月19日
 やや寒い朝。天気も良い。経験則だが、夜景がもの凄く綺麗に見える日の次の朝は、空気の透明度は大抵悪くなる。シンチレーションによって、細かく揺れている光の粒は、風前の灯、である。
 今日も、昨日と同じ仕事。7回同じことを繰り返す日。職場では、あるテレビドラマのロケーション2つに場所貸しをしていて、前の通りには、ロケ車の行列ができていたり、スタッフや出演者が大勢行き来したり、それに地下のスタッフや出演者も加わって、一時は、結構な騒ぎになっていた。さすがに、職場の特性上、大勢の野次馬が邪魔をすることはないし、いきなり何かを頼まれても、大げさに対応することもない。これが撮影場所として好まれる理由かもしれない。いずれにしても、ロケ隊を邪魔だな、と思ったり、こちらが邪魔をしていないか、と思ったり、気を遣えよと思ったり、気を遣ったり、となる。結構、メジャなドラマらしいが、タイトルは書けない。
 社会的な常識は、その言葉通りに、常に求められる。賢明な人や冷静でいる人のことを常識人だという。そうでなければならない、そう居たいという理想から生まれる発想なのだろう。しかし、「その環境での常識をもつ」ということは、「朱に交わう」ということと、ほぼ同義ではないか、と散見される。たとえば、2つの常識があって、それらの中に互いに相反する要素が含まれれば、一方の常識をもつことによって、一方の常識の範囲から外れることもあるだろう。つまり、これが「赤くなった」という状態である。こうなると、常識をもつことが良いことだ、とは、単純に解釈できなくなる。そう考えれば、「どんな環境でも、常識をもつな」とか「どの常識も多くはもたないようにしよう」が適切な言い方かもしれない。
 けれどもしかし、赤くなって初めて朱に交わったことが解る、ということも多いから、注意が必要である。
 夜9時過ぎに帰宅。「夜は雪かもしれない」という予報だったが、自宅周囲の温度は、7.4℃もあった。少しして雨が降り出して、3℃くらい急に低下したけれど、房総半島には既に南よりの暖かい風が入っているので、雪にはならないだろう。


2月20日
 金曜日で、雨の朝。気温は1.2℃。地表の気温としては雪でも不思議ではないが、上空に暖気が入っているのだろう。大島から相模湾にかけて、やはり南よりの風が入っているのが、その証拠である。地表付近は北よりの風が吹いているが、0℃を割っても雪にはならないパターン。朝の予報では、東京の最高気温が17℃くらいとなっているが、果たしてそれほど上がるかどうか。房総半島の南部は、既に15℃以上あるけれど。
 今日は、特に大きな仕事がない日。来週の撮影の準備をしたり、そのためのメールをしたりという少々の雑務。比較的早い夜に帰宅。
 ネットで今日の天候を調べたら、東京ではやはり予報ほど上がらず、夕方に10℃を少し超えただけだったし、自宅の周辺では、8℃とかなり低かった。まとまった南風の流入もなく、上空の暖気の影響をあまり受けなかったのだろう。朝方、雪になっていた関東北部の群馬の平野部で15℃以上になったのとは、対照的。今回も、低気圧のコースがもう少し南を通っていたら、雪混じりや積雪になっているパターン。もう、今年のこのシーズンは、東京に雪は降らないだろう。年末にここに書いた予想通り、少なくとも、2週間くらいは、冬は早くに終わっている。今は例年の3月中旬くらいの天候かと観察される。3月の終わりには、桜の花は散っている筈だ。
 先日、久しぶりに雑誌を買ったので、それを持ってベッドに入った。本当は、見たい雑誌は沢山ある。月に14冊くらい。しかし、小説などと違って、増刷ということもないから、買ったものは捨てられない。だから、少し我慢をして、最小限の冊数に留めている。今の家に引っ越す時、思い切って何冊か捨てたけれど、今もまだ、中学生の頃にかった雑誌が数冊残っている。これでも、ネットに似たような情報も転がっていて、以前よりは買う数が少なく済んでいるのだが。
 極めて個人的な見解だが、ネットの中の専門的な情報の量は、2000年くらいがピークだった。WEBサイト自体はブログも含めて増えているから、相対的には、1/3程度に減っていると観察されるくらいだ。一時期、比較的簡単に見つけられたマイナーなコンテンツはかなり減って、それこそ雑誌でも見られるようなメジャなコンテンツが増えた。インターネットや、WEBサイト制作に対する新しさや珍しさ、そういうことへの興味の度合いの減少と、ほぼ比例しているのだろう。