11月30日までの、爽快


11月27日
 朝から、暗い曇り。非常に消極的な夜明け。いつ雨が降り出しても不思議ではない朝とは、だいたい、家を出る頃に、タイミング悪く雨が降り出すことを意味する。今朝も例外ではない。
 定常的な仕事の合間を縫って、上司からプロジェクトの進め方について、相談されたり相談したり。1つの職場に長く居れば居るほど、考えを求められることが増える。しかし、上司からの相談とは、既にその本人にとっては自明なことであり、部下への確認作業であることがほとんどだし、どちらかといえば、質疑応答に近い。だから、懇切丁寧に長く詳しい返答は、必ずしも求められていないことが多いので、理路整然と短く簡潔に主張したほうが、お互い無駄な時間を省ける。もちろん、答えは1つでもないし、最適なものであるべきとも限らないけれど、これまでの経験、あるいは、まず上司がどういう人なのかを知ることによって、適切な返答はできる。ありていにいえば、どのような答え方を望んでいるかを考える、ということ。もの凄く、当たりまえなことを書いているが。
 定常的な仕事を終えた後は、メールをしたりリプライをしたり、雑務をこなした。抱えている比較的大きな仕事より、こうした細々とした雑務のほうが、終えたときの爽快感が強いような気がするし、仕事をした気持ちになれる。仕事自体も蓄積されていることも身近にあるから観察しやすいし、終えたことも観察しやすく解りやすいからだろう。
 雨のやみ間をぬって、珍しく早めの帰宅。夜7時前には家に着いた。両親の家で、珍しい平日の夕食。自分の家に戻って、両親にあげる年末プレゼントをネットで注文。僕の家より1年くらい早くHDの大きな液晶テレビにしたのに、いまだにVHSで録画しているから、ブルーレイディスクレコーダーを買ってあげることに。使い方を教えてあげなければならないので、SONYのほぼ同じ製品にした。寝る前に、映画を1本観た。


11月28日
 雨の音で目覚めた。大粒の雨が窓に叩き付けていた。前日の天気予報通り。雨雲レーダーを見ると、ちょうど家を出る時間を前後して止みそうなペースで動いていた。案の定、家を出て駅に着くと、明るくなり雨は小降りに。職場に近い駅に着くと、雨はあがっていた。金曜日は、夕方まで地下にいる。合間に地上に昇ると、テレビドラマの場面転換のように、外の天気が変わる。昼過ぎには陽がさして、晴れていた。
 今週は、来年度の予算申請ウイーク。申請したものがそのまま認められる時代ではないので、一度、申請したものに対して、優先順位をつけていくという作業。僕の職場の場合は、たとえば導入した設備が直接利潤を生むものばかりではない。つまり、なくてはならないもの、経年劣化で更新しなければならないもの、将来に備えて投資するもの、これらのすべてが、ほぼ同列で存在している。基本的には、どれもなくても困らないもの、という大きな集合の中には入っているというわけである。このような状況に困惑することなないけれど、一個人としては必要に感じないが、ある位置に自分を置くと、なくてはならないものになる、というふうに、180度くらいに見解が異なるような、矛盾に近いものはある。
 夜9時過ぎに職場を出て、帰宅。映画を1本観た。この時間に見始めても、ほとんどの作品が1時間40分から50分前後なので、夜半前にはベッドに入ることができる。読書に次ぐ、この映画鑑賞主軸的生活は、恐らく来年2月頃までは続くだろう。


11月29日
 土曜日。意欲的な晴れ、というよりかは、雨の後の晴れ、というふうな天候。それでも空気の透明度は高く、遠くの山並みも近くに見える。
 一応、シフト的には休み扱いにしておいたが、午後に2時間半くらいの仕事があるため、昼過ぎにゆっくりとした出勤。淡々と考えごとをするのには、最適な環境。急ぐわけでも時間つぶしでもなく、ただ歩くことに、ただ電車に乗ることに集中できる。他に特に頭を使う必要がないからこそ、考えたいことに没頭できる、というわけである。考えていると、いつの間にか周囲の光景を見ている、考えていると、いつの間にか車窓の景色に意識が移っている。これくらいの集中度が、とても心地よい、と感じる。
 京王線の途中を地下化する工事が、かなり進んできた。地下を掘るため、従来、地平や地下にあった途中駅の駅舎は、いったん橋上構造に仮改築された。これを今後も使用する新しい設備だと思っている利用客も多いだろうと思われるくらいの、立派な仮駅舎になっている。保安上の問題から、仮だからといって、手が抜けないということだが、考えようによっては、もの凄い無駄ではある。一方、調布駅では、線路のすぐ脇がかなり掘り進められていて、随分と下がった所にユンボがいる。プロが設計しプロが施行するのだから、素人が思うほど難しくはないのだろうけれど、狭い建設面積で、1編成で300トン以上ある重さを支えながらの工事は、その手法に興味津々である。
 帰宅して、映画を1本視聴。その後は、珍しく1時くらいまで、音楽を聴いていた。


11月30日
 休日の日曜日。昨日よりは力を感じる朝。朝食後は、まず映画を1本。その後は、HDDからブルーレイディスクにダビングをかけながら、洗濯機をまわして細々とした掃除。昼過ぎには、リビングにある家具の配置換えをして、観葉植物の手入れをして、音楽を聴いて、さらに映画を1本観て、Macintoshのリスタートをして・・・という、ずっと常に何かをしていた、という日中。夕方は、急遽、両親と姉の家族と外食することになって、家を出た。帰宅してブログを書き、音楽を聴き、奥さまは魔女を観て、就寝。次の休日は当分先になる。
 ところで、その外食をした先のファミリーレストランの店員が、無礼だった。コップを持ってくるように頼んだが、いっこうに持ってこない。催促しても変わらず。3回目にようやく持ってきた。また、注文以外のものを持ってきたので、「頼んでないですよ」と言ったのに、何やらぶつぶつを訳のわからないことを言って、こちらに非があるようなことを言うし、あんかけ風の大盤の料理を頼んでも、取り皿もスプーンも持ってこない。催促をすると、隣のテーブルにあるものをぞんざいにテーブルの上に置き、デザート用のスプーンを持ってきた。これだけ、無作法な店員が沢山いる店も珍しい。
 実は、オープンしたての半年くらい前にも来店した。その時も要領は悪かったが、まだ慣れていないのだから仕方がない、と思った。無礼な3名の店員は、当時も居たのだ。半年経つ、ということは、向き不向き、慣れ不慣れなんか関係なく、社員教育も関係がない。誰に何かを教わることがなくても、最善な方法も、合理的な手段も、自ら考え習得してしかるべきだ。だた、もちろん、単純にその店員がすべて悪いということではなくて、そういう店員の存在を許している企業に、責任の根本があるわけだが。値段と比較して美味しいので、残念だ。きっと、たまたま店員の機嫌が悪かった、いや、僕の機嫌が悪かった、と思いたい。こうして不満を書きながらも、半年後くらいに、また行くことになるだろう。