12月3日までの、表像


12月1日
 夜は雨が降っていたみたいですが、意外にも朝家を出ると、道路はすでに乾いていて、何だか得をした気分。しかし、気温は結構下がっていて、この冬初めてダウンジャケットを着て出勤。
 例年に比べると、今年は12月的気分になっていない、というか、12月らしい行動をしていないな、と思ったり。クリスマスのイルミネーションも、飾り付けはおろか、いつに飾ろうかとも考えていないのです。1月1日といっても、年が1つ増えるというだけのことで、7月16日も11月8日も、1年に一回しかないし、次にくるのは1年後なわけ。1人で冷静でいると、つまりは、毎日が12月31日でもあり、1月1日でもあるのだな、と考えて、どうして特定の日だけ大晦日といったり元日だといったりして騒ぐのか、と不思議に思うのです。それでも、日本の場合は、寒さの頂点とほぼ一致していて、何となく、1つのメリハリが生じる時期という印象があるのですが、これが梅雨の真っただ中だったり秋雨の時期だったりすると、また少し印象が変わるのでしょうか。あ、こういうことを書いているのが、師走的心情の現れなのかも・・・。
 出勤すると、会議への参加依頼があって、正直、多少憂鬱。内容がというより、その時間中、身柄を拘束されるのが嫌なのです。僕の場合、だいたい1時間が限度。それを過ぎると、一刻も終えたい、開放されたいと願い始めます。1つのことだけに集中して、それ以外ができないという環境なのだな、と分析。唯一会議の時間だけが、一切他のことを考えなくても済む時間ともいえるでしょうか。ただ、1つのことに集中できるという嬉しさではなく、1つのことしかできないという拘束される環境が嫌です。まあ、これも仕事なので仕方がないのですけれど。


12月2日
 火曜日の今日は、いつもより早い朝でした。といっても、起きる時間はいつも通り、朝食を食べないで、1時間20分早く家を出ました。しかし、いつもは朝食にこんなに時間はかけていないわけで、では日頃は何をやっているのか、と少しだけ自問自答しますね。こういう時だけですが。ということで、朝食は、職場の近くの駅で、朝マック。もう、ビニールの手提げ袋はくれませんでした。不便だ、というよりかは、昔に戻った、を感じます。歳がバレるでしょうか。
 子供の頃は、スーパーに行くと、紙袋を貰えて、それに品物を入れて家に帰っていたわけです。高級なスーパーでないと、手提げ袋を貰えないので、大きな紙袋を胸の前に抱くようにして、持ち運んでいました。年に一度くらいは、昔のテレビドラマとか写真とかイラストで、主婦が紙袋を抱いて・・なんていう場面を目にすると思いますが、若い人はちょっと疑問に思っていたのだろうな、と散見されますね。それがそのうち、手で持つ部分がついている白いビニール袋に変わったのです。恐らく、コンビニが増え始めた頃だった筈。その頃は、随分便利になったものだな、と感じていたものです。軽くて薄いビニールになったことで、確か、「資源にやさしい」とか、若干意味不明なフレコミつきだったものと記憶しています。今は、逆をいっているわけですね。・・とかなんとか考えながら職場へと歩いていました。
 今、思い出しましたけれど、指定ゴミ袋も、昔は紙でできていたのだよな・・(しみじみ)。
地下での仕事を終えて、夕方過ぎは、グループ内の別の職場へ行って、それがきっかけで、いつもの焼き鳥屋で、S氏とI氏とで会合。帰宅は、深夜の2時。


12月3日
 昨日と同じシフトで、7時前の電車で出勤。そして今朝も朝マックでした。今月は、あと3回は朝マックがあるでしょう。
 そういえば、先週、職場近くの駅の改札を出た所から、30メートルの距離の間に、40人くらいの中学生と数名の大人達が募金活動をしていました。なんでも、内蔵に障害を持つ子供の手術費がどうの・・・というテーマでした。前にも似たようなことは書きましたけれど、僕はこの手の募金活動というのがあまり好きではありません。複雑な想いの方が勝って、素直に募金してあげようという気持ちになれないのです。だって、生きるためにお金を必要としている人は、他にも沢山いるのでしょう。生きるのに理由も違いもない。ただそれが特異な病気だからとか、子供だからとか、海外で手術をするからとか、そのような、つまりは目立つ理由であるというだけで、募金援助の対象になるということに、首を傾げてしまいます。だったら、誰かに対する特定の募金援助ではなくて、資金援助をしないと生きられない人に対して、というテーマで募るべきでは、と思いますね。ただ、それは、常日頃、税金という形で間接的に援助している筈なのですが。それでは足らないというのであれば、消費税でも上げれば良いと思います。気持ちより実質的な、そういうシステムを作るべきなのでは。
 募金といえば、テレビでやっている「24時間・・・」での募金活動も、不思議。子供の頃から、その程度の募金額だったら、数社の企業だけで容易に集められるのでは? なぜ、1年に一回だけなのか、なんて思っていましたね。最近では、莫大な制作費はどうなの? とか、他の放送局で長時間のテレビ番組を放送していて、そこでは、なぜ募金活動を行わないのか、などという疑問も。そのような看板番組に乗じて募金をしているのか、募金活動に乗じて看板番組を制作しているのか、さて、どちらでしょう。