多数の眼、多数の視点

into-the-sky2008-06-08



多数の眼、多数の視点


一般的に、大人は子供に対して、「物事を客観視しなさい」と言い、「ものを見抜く力を養いなさい」とも言う。
見抜くという動作は見える事象を主観的に捉えるということだから、
一方では客観視を、一方では主観視を奨励している、ということ。
相対することを要求していて、矛盾しているといって良い。

「カメラやレンズは、物事を冷静に捉える」という言葉も、半ば常套句のように頻繁に聞かれる。
事実だけをありのままに伝える道具である、という定義に基づくものだ。
しかし、それを被写体に向けているのは人間だし、映し出される画像もまた、人間が見る。
人のために人が使う道具である以上、客観視なんぞできるはずはない。
大事なのは、主観視して客観を想像することだし、不特定多数の人が、さまざまな思惑で見るだろうことを想像して、レンズを向けることだ。そうなると、見る目の数は、天文学的なものになるだろう。

写真は、光を信号に替えるCCD。200万個から1000万個を越えるフォトダイオード、つまり“眼”の集合体である。