慣れと慣習、世間擦れ

into-the-sky2007-07-06

 静かに晴れている。消極的な日差しに消極的な青空。何かから隠れているみたいだ。空気も、昨日の朝より乾燥している。今週に入り、夏の虫の声が聞こえ始めた。昨日の夕方は、ヒグラシも何かを喋っていた。次の晴天には、セミの声も聞こえ始めるだろう。

 休みの昨日は、午前中に音楽を聞きながら日記を書いて、読書と掃除。書き始めの頃は、1時間ほどかかっていたけれど、今は、20分ぐらいで書いています。ただ、何か他のことをしながらの合間に書くことが多いので、もう少し長めの時間経過。間があくと、その後のテンションが変わったりして、言い回しも変わる、なんてことも。8割を書き終えて、再度PCの前に座ったら、嫌になって全部消した、ということもあります。昨日も日記の話だったから、この辺りでお終い。
 それで、午後は美容室。久しぶりの平日の入店で、貸切りで空いていました。最後に、「今日の色が似合いますね」「お解りになります?」と美容師さんがおっしゃっていました。でも、僕には正直解らない。信用しているので、細かくオーダーすることもないし、元来無頓着なのです。だから、毎回、色は違うし、「今回は、黒で」と言われても、それに従うでしょう。よくタレントの顔写真を見せて、「こんな髪型に」なんて言っているひとを見ますけれど、僕にはとても言えない。その前に、まず、写真持って整形外科に行く必要があるでしょう。だから、それが言える人が羨ましい(本当か)。

 今日は、いつもの仕事の後、夜にビデオクリップの仕事が入りましたが、いきなりキャンセル。昨日、急に依頼されて、詳細も解らぬままだったのです。経験的に、直前に入る仕事って、直前にキャンセルされることが多い。このような環境にいると、少しぐらい常識を逸脱していても、驚くことも拒否することもなくなりますね。慣れてしまうのでしょう。まあ、慣れるということは、同じ環境の相手には、好都合。面倒でないからですね。つまり、同じ環境内での人間の間では、それはむしろ、常識の範囲内になるわけです。無理を頼むこともあるから、無理を聞いてあげよう、というもの。けれど、その環境外にそれが及ぶと、それは極めて一般的な常識の範囲内で処理されて、その頼もうとした相手には、嫌な顔をされ、拒否されるわけです。当たりまえですね。
 たとえば、“世間ずれ”というと、世間の一般的な指向や道理からズレる。つまり、それらから逸脱する、という意味で使われることが多いのですが、本来の意味では、その環境にどっぷりと浸ることで、その内外の境界線が見えなくなり一般的でなくなる、という意味。世間から外れている状況を表現する言葉なのです。少し外れた状態の“ずれ”でなく、“擦れ”が正しい。先ほどの慣れてしまう状態が、“業界擦れ”ということになるわけ。しかし、一方では、“慣用に従う”なんて言葉もあって、それも道理の1つとして、否定できない。“豪に入れば豪に従え”なんて言葉もあるのです。まあ、大事なのは、バランス感覚ですね。加えて、それを達成するための、客観性と想像力なのでしょう。

 最近、北海道(詳細知らず)の方で、食肉材料の偽装疑惑なるものが騒がれているようですが、典型的な、そして極端な例ですね。問題なのは、そのような〜〜擦れに含まれる慣例というものは、どこにでもあるし、1つが明るみになると、とてもそれだけではないのだろうと、散見されるわけです。つまり、氷山の一角。
 何かのどこかの一部に関して発覚すると、マスコミを中心とする世間では、その表層の一部を中心に取り上げる。それも疑惑としては事実なのでしょうが、過剰になると、他が見えなくなる。もっと、大きい問題や事実が、闇に消えるということも考えれるのです。これは、そんなにレアケースではないでしょう。それを逆手にとって利用しようとする人も出てくると推測されますね。だから、疑惑が浮上したら、そのバックにも何かがある、と考えた方が、自然なのだろうと思うわけです。