道理よりもテクニック

into-the-sky2007-06-16

 遠くの山々が青く濃く見える。透明度が高く、乾燥した空気。入梅と発表された二日後の抜けるような快晴。青空は鮮やかで、薄めずに塗った水彩画の様。日差しを浴びない緑の葉にも、青が混ざって見える。
 通勤途中には、飼い主に連れられて、赤茶色のミニチュアダックスが、ひたひたと歩く。長い毛が、透き通りながら吹く風に踊らされて、愉快に揺れている。その横に続く芝生と共に生きている雑草は、少ない雨のせいか、横に薄く広がっている。そこに写る木の陰も、絵に描いたように平面的に見える。オウトツも少なく、重たく包み込むものも少ない、軽くて薄い、静かな土曜日である。


 さて、昨日は、退勤後、21時前に電車に乗りました。金曜日のその時間は比較的空いてる。自分の周りの人が、2人ずつぐらい少ない感じ。飲食店に寄っている人が多いからですね。だから、22時を過ぎると込み始める。運行される本数が朝のラッシュ時間よりも少ないので、23時過ぎは、朝よりも混んでいます。僕は23時を過ぎると、タクシーで帰宅してしまうのですが、たまに金曜日のその時間に利用すると、その混雑ぶりには、異常さを感じる。これは人権侵害かなって思うこともあります(大げさ)。解っていてダイヤを変えず増やさないということは、鉄道会社は、きっと、その時間帯で儲けているのだろうと、推測。昼間の閑散時の元を、取っているのでしょう。朝利用している人は、夜も利用するのですからね。もちろん、帰宅時間が分散している、ということはありますけれど。

 空いていると、塾帰りの子供たちの姿が目立ちます。今は、塾で専用のカバンを持たせていて、見える位置に大きくアルファベットが書いてあります。宣伝も兼ねているのでしょう。帰宅が集中する時間だと、友達同士なのか。10人ぐらい固まっています。車内でふざけて歩き回っている。子供らしいですね(しみじみ)。僕は立って読書に集中しているので、大して気にならず。けれど、昨日は、遠くに見える優先席に5人ぐらいの子供達が、占領して座っていて、煩くハシャイでいました。立っている大人達もいたのですが。それで、途中駅で多くの人が降りて、他の席も空くと、その席に移動していました。うーん、さすが、賢いですね。車内では静かに過ごすべきだとか、混んでいるときに優先席に座ることは遠慮する、ということは教わらず、他の席が空いたらそちらに移動するべきだ、ということは、教わっているわけです。道理より、手段や方法、つまりテクニックなんですね。家族と過ごす時間に、熱心に塾に通っている小学生らしい。
 よく、このような光景を目にすると、「塾に通っているくせに、常識を知らない」なんて、少々目くじら立てたりする大人がいます。でも、所詮、子供なのだし、もちろん、昔から、そのような常識知らずの子供たちは、沢山いたのです。それに塾は、明らかに、試験をクリアするためのテクニックだけを教えているのであります。ものの道理とか道徳とかマナーとかは、関係なし。たとえば、私立中学校に合格さえすれば良いのです。どちらかといえば、親や家庭で教えることでしょう。言うまでもありませんね。まあ、誰が悪いとか、こうするべきだとか、そういう短絡的な発想は、僕にはない・・・。
 ただし、バランスというものは大事であって、それを考えないと、それぞれの境界条件が強まり、そこには順番的要素が強くなる。すると、今棚上げしていることは、後でしなくてはいけない、ということになる。ただ、僕が感じていることは、テクニックは後からでも、いくらでも、どうにかなる。目的が明確であれば、自ずとそうなる、という部分は大きい。でも、そうではない、道理とか道徳とか、周囲や環境と一人の人間との関係性みたいなものは、早いうちに子供に考えさせたほうが良い、そう思いますね。だから、あれもやり、これもやる、というのが、理想の1つでしょう。
 そう考えると、今の子供は、必然的に忙しくなるわけですね。いじめという形で、フラストレーションを放つのも、仕方がないのかもしれません。社会が豊かになり、流れが穏やかになると、子供達の忙しさが際立って浮いて見えるな〜(感嘆)。やっぱり、何かが違うかな。高校受験をさせない、ということには、僕は意味を感じますね。その頃は、受験勉強なんてしないほうが良い。うーん、ちょっと矛盾しているかな。まあ、つまり、人によって個々に違うわけで、周囲がこうだから、こうするべきだ、というものではない、ということは確かです。