幸せな二人、掃除の自分

into-the-sky2007-04-30

 一昨日の夕方は、雷雨だった。レーダーで雷雲の接近を知って、職場の最上階に行った。視界内降水と、稲光を撮影するためだ。今までで、二度、間近の建物への落雷を経験してから、その時のショックが忘れられない。言わば、病みつきになっているような感じである。確かに、その場では間違いなく驚き、恐怖を感じたはずではあるけれど、むしろ、それが“トラウマ”になって、また、あの経験をしたい、あの驚きを感じたいという観念にしばられている。雷雨が近づくと、妙に興奮してくる。
 昨日は、朝から晴天。昨日の雷雨で、汚い空気が一掃され、風も強く、透明度が高かった。白い光、濃く青い空。強い新緑。見えるものすべてに強い勢いを感じる。


 土曜日の帰宅は、日曜日の早朝5時過ぎ。つまり、午前様だった、ということ。7時過ぎに起床し、朝食。その後、珍しく2時間程度睡眠。起きると少しだけ掃除をして図書館へ。最近、本を借りるサイクルが母親と同じなので、一緒に行っている。それぞれ自分の借りる本を決めて、図書館の中にある、いつものカフェに。驚いたことに、僕が文庫で借りたある著者の本を、母親は単行本で借りてきていた。つまり、二人そろってサイズ違いの同じ本を借りたというわけ。うーん、やはり、親子である。今回は、ミステリ小説・エッセイ・対談もの・専門書の計4冊。ゴールデンウイークは8日間連休なので、多めに。
 帰宅して、家の掃除。夕方から自宅のデザイナーが、婚約相手の女性を連れて訪れる予定なので、親と僕の家の玄関を繋いでいる、屋内戸外階段のタイルの掃除。綺麗になりそうな洗剤も購入してきたので、親子共々、かなり張り切った。掃除はエスカレートして、外玄関から門へのアプローチまでに及んだ。周囲の住民の方々は、「何か起きたのか」と思って見ていたのだろう。汚れを落とせる洗剤を使うと、予定外に綺麗になる、ということ。オレンジ洗剤、恐るべし、である。
 その後はさらに、屋内の掃除を続けた。家の中のすべてを見てもらうためである。健気な話だ。ゲストが家に着く寸前で、都合良く掃除も終了。フルーツ入りのワインカクテルで、乾杯。その後、僕の家を見てもらった。と、いうより、良い機会に、少し変わった造りになっている僕の家を、デザイナー自身がフィアンセに説明してあげた、というわけである。僕は、二人を屋内に招き入れたら、遠慮して早々に親の家に戻った。2時間程度話をして、場所を変えて近くのやや高級なイタリアンレストランに。ゲスト二人に向かい合い、手前に僕の両親3人が座る。僕が言うのも、かなり可笑しいけれど、とても、お似合いの二人。幸せそうでなにより。出会ってから早いペースで結婚が決まったようだ。タイミングというか、きっかけが大事なのだろうか。僕は、遅いペース、どころか、相手もいないし、もちろん結婚する見通しもない。家持ちの独身男、6年目に突入である。こればかりは、どうしようもない。お二人には、資生堂パーラーのお菓子をいただいた。美味しゅうございました。おめでとうございます。羨ましい限りです。

 けれども、そのように結婚していく人々を見ると、なかなかそれに至らない自分との違いを、考えずにはいられない。それが、長期に渡ると、明らかに、“運”ではないと考えるようになるし、次第に自己嫌悪になっていくわけである。幸い、僕自身の中では、「結婚したいと言っていても、お前、実は、ナンダカンダ言って、その方向には強く進んでないよね」、と自問自答して、帰着させているわけである。そうすると、その一瞬は、非常に何か楽観的にはなるのだけれど、根本的な解決にはなっていないことも、また事実だ。
 この状況が長く続くと、そのうち、「僕の魅力は無いどころかマイナス100なのか」「自分では見えていない僕の何かが大変なことになっているのではないか」と思いはじめる。「もしかしたら、僕は人間でないのかも知れない」なんて言い出したら、もう、終わり、かも知れない。妄想である。