どこからでも、見えるもの

into-the-sky2007-02-24

  晴れているが、風が強く冷たい。まるで冬のような天気である。それでも、窓の外に見える桜の木の枝は、徐々に重たくなっているようだ。黒く小さい粒が、沢山ついている。これから、さらに大きくなるだろう。
 昨日までの二日間は、ずっと地中の人だった。朝、降りて、昼頃一瞬地上に出てはすぐに戻り、夜遅くまで下に潜っていた。朝、人がいない職場を見て、夜戻ると、やはり人がいない。日中どうだったかも、何が起きていたかも、知らない。もしかしたら、日中も人はいなかったのではないだろうか。何か緊急事態が起きていた可能性もある。今日、僕は出勤しないで休んでいるから、明日、何が起きていたかが解る。まあ、普段と変わらない日々だったはずだけれど。

 水曜日の夜は、先週に続いて、また、職場の方々3人と共に、いつもの焼き鳥屋に。1時間ほどすると、隣の席に、5年ぐらい前、職場の仲間でありそして後輩だった、今は制作の仕事をしている男性のT田氏と、その方と同期で女性のH木氏、そして、両氏の後輩にあたる、カメラマンで大柄な女性のK村氏が来た。そのK村氏は、「僕と以前来たことを思い出しながら、店に入ったら、僕本人がいたので、驚いた」とおっしゃっていた。単に、僕がその店が好きで、それだけ沢山訪れている、ということなのだ。
 H木氏は、とにかく、声が大きい。酒が入ると一段とそれが増す。大きすぎる、かもしれない。しかし、反面、苦労の絶えない職場の環境下でも、活躍しているということには、本人の能力や意欲の他に、この声の大きさも、一因しているのだと、感じる。コミュニケーションあっての仕事なのだから、間違いなく、有利なのだ。酔いもかなりまわり、やがて、一段と大きな声と共に、隣に座っていた僕の足や方を、何度となく叩いていた。これも、そのような環境で生きぬいていくための、大事な要素だろう、きっと。うん、たぶん、そうである、に、違いない。
 一方、T田氏は、静かな男性である。いわゆる、“クールさ”が売りの人であり、非常に対照的である。柔らかく周囲の信頼を得て、着実に仕事を進めていくタイプである、と、思われる。けれども、両者の現在の職場の環境は、似通っているわけだから、それぞれ、違う“力”で活躍しているのだろう。同じ物を作るのに、使う道具が若干違う、ということに近いか。どちらも、良い道具であり、それを使いこなす力があれば、両者の差異はほとんどないわけである。
 カメラマンのK村氏は、両者の中間のタイプだろうか。僕は、共に仕事をしたことはないのだけれど、仕事に対する貪欲さでいえば、他の二人を凌いでいるように思われる。より、“職人”に近い存在であり、それは僕も、持っていない力である。異例な速さで、前に進み、有名な脚本家のドラマで活躍している人だ。かつて、何歳も年上の僕に、冗談で体当たりしてきて、数メートル僕を飛ばした、ということもあった。まさに、凄まじい女性である。そのような体当たり的仕事を、今でも、こなしているのだろう。
 僕ら、相対的年寄りの4人は、どうか、というと、外見こそ違うが、その若い方々と同じような話をして過ごしていたわけであり、もちろん、表現方法は違い、見方も多少違うはずだが、方向も力も、同じである。趣味の話、道具の話、人間の話・・・。皆、それぞれ、豪快であるし、元気であり、見ている“目”は鋭い。僕より皆、年上の人であり、先輩なのだけれども、その鋭さには、僕は、かなわない。

 今の職場を通り過ぎっていった人で、その先の進む道は、それぞれ、である。過酷ともいえる環境で仕事をしている人もいれば、主婦になり家族を持つ人もいる。しかし、そのほとんどの方に共通して僕が感じていることは、やはり“目の鋭さ”であり、“強い力”である。方向も道具も、各々異なるけれど、その先に見えているもの、あるいは、見ようとしているもの、は、同じものなのだろうと観察される。どんな角度から、どんな物を見ようとも、その物を突き抜ける先は、いずれ、地平線に到達し、いずれ、空に到達する。その場の位置や環境が違うだけで、見ようとする力があれば、地球上、どこでも、空は見えるわけである。
 そんなことを、その焼き鳥屋で、そして、今、自宅で、ゆっくりと考えていた。
 「あっ」「地中に潜っていては、空は見えない、か」
と、最後にオトしておいて・・・。