映画館的な今的な雰囲気的な

into-the-sky2007-02-18

  朝、強かった日差しは、どんどんマイルドになり、そして弱くなってきた、のんびりとした土曜日。明くる今日、日曜日の朝は、終えきれない焦りからか、大粒の雨が降り続いている。大きなマラソンも行われるし、「まずい、急がないと」、的な天候である。


 金曜日の夜は、映画館で映画を見た。大抵は自宅でDVDだから、たまに、足を運びたくなるわけである。やはり、あの雰囲気は何ものにも代えがたい。“独特の雰囲気”とは何かと考える。
 最近の映画館は音がいい。どちらかというと音質には多少うるさい方だけれど、映画館での音はほとんど気にならない。同じ環境で同じ映画を見れば、それは良い音に越したことはないが、そのような比較相対的な聴き方はしない。だから、自宅でDVDを見ていても音に不満を感じることはない。昔のモノラルテレビに比べれば、良いと思うが、今は、ホームシアターシステムも充実してきて、それに近い音は、コンパクトながら、聴くこともできる。自宅にも、一応サラウンドシステムを入れているので、ある程度音量を上げれば、それなりに聴こえる。たまに後ろからガラスの割れる音なんかがすると、驚いて後ろを見てしまうほどだ。スクリーンの大きさも、見ていて気にならない。集中して見ているときは、テレビだろうがスクリーンだろうが、大きさを感じていないからだ。
 僕が“映画館”と聞いて何をどのように想像するか、と考えてみると、客席の中間辺りに座った位置からの、“客ごしのスクリーン”になる。これが頭にまず浮かぶ。黒い頭や肩が沢山並んでいる奥にスクリーンが見えている、そんな構図だから、“不特定多数の人と見る”、ということに、映画館の雰囲気を感じているのだと思う。具体的には、何を意味しているのだろうか。大勢の中の緊張感か、それとも、同じ目的で行動を共にするという、一種の異質さからだろうか。
 昔の映画や映画館というと、まず、“並ぶ”というイメージは拭いきれない。どこかのやや遠くの駅まで行って見ていたから、映画鑑賞とは、比較的大きなイベントだったような気がする。だから、見る映画とは大人気なもので、客も沢山いたわけである。券を買うのにも並び、中に入るまでにも、また並ぶ。扉が開くと、できるだけ良い席に走って行った。もうそれは、現在でいうと、量販店の大安売りか福袋なみに、大騒ぎをしていたのだ。そのようだから、必然的に機会が少なくなるので、そのような人気映画ばかり見ていた。
 でも、今は違う。シネマコンプレックスという小さな小屋の集合体が、しかも、あちらこちらにある。自宅の最寄り駅から西に向かうと、一駅ごとに3つもある。だから、一大イベントは、物理的にも、各々が小さく軽いものになった。僕が行く時間や見るものによるのだろうが、「大丈夫なのか」と思えるほど、客が少ない。一時間以上も並び、小さな席で隣に当たりながら見ていた、映画館のイメージはない。そうなると、大勢で見るということの意識は当然薄くなる。それでも、見終われば、「やっぱり、映画館で映画はいい」と思える。大きなスクリーンをまるで独り占めするように見ることができる、これに変わったのだろうか。それとも、みずから足を運び、そして、見終えたのだ、という達成感や満足感から、映画館の雰囲気を感じているのだろうか。まあ、何でもよろしい。
 これで、自宅の最寄り駅にシネコンができれば、独りで、毎日のように行きそうである。
 「あ〜、映画館って、本当にイイモンですね」 合掌