エアコンの戦い

into-the-sky2006-07-16

 昨夜はジャスミン氏と共に映画“カーズ”を見た。お互いに見たいと思ってである。このあたり、趣味というか志向というか、方向性が合うと、ストレスが溜まらず、実にスムーズに事が運んで、嬉しい。
 曜日なのか時間が原因なのかどうか解らないが、ワンスクリーン殆ど貸切に近い状態。でも見ると大変面白い映画でした(あえて丁寧語で)。予想に反して結構ノスタルジな感じで。ディズニー映画らしいパターンと言うか雰囲気だったが、ストーリーというよりかは、“キャラ”を楽しく可愛く見るのがディズニー映画だと勝手に思っている私にとっては、十分に面白く見ることができた。
 もちろん、日本語吹き替え版なのだけれど、中に登場してくる主にストーリーそのものに関する看板などの表記(寝たバレになるのであえて抽象的に)も、日本語で描かれているのは、単に解りやすくて「いいな」と思った。
 昨夜から今日の日中にかけては蒸し暑い。おまけに早朝まで断続的に雨も降ったらしく、不快指数上昇には完璧なシチュエーション。
 このような日には、職場に雨が降る。築80年の社屋は、まるで生き物の様。季節を感じ天気を感じ、暑さも寒さも感じる。人並みに感情も持ち、機嫌によっては、扉が開かないこともあるぐらいだ。歳をとると、感情の起伏が柔らかくなるが、流石に今日の蒸し暑さは耐えなれなかったのだろう。普段は、我々社員を優しく包容してくれている天井から汗が染み出し、やがてそれは、我々の気持ちの宥め、時に感化させるかの如く、一つ二つと下に下りてくるのだ。
 ・・・と、言うわけではない(長かった〜(笑))。
 私の職場はその特性的に人の出入りも多く、建物の構造的に風通りも多い。その影響か、職場の面積に比べてエアコンの性能というか威力過多の状態。風量が多くそして強いので、噴出し口に後付けするタイプのフィンを取り付け、直接風が下に降りないようにしている。今日の様に気温も高く飽和量の多い多湿な日は、風が当たり冷やされたその“フィン”に空気が触れると凝結し、大きな水滴になって下に垂れてくるのだ。結構俊敏に拭き取らないと下にあるものが濡れるぐらいの量。近代的な職場(一応そう言っておかないと(笑))なのにも関わらず、少し情けない状態。私のスペースの頭上にも噴出し口があるが、幸い、私のデスクには、パソコンとニュービートル(1/18スケールのモデルだけれど)が乗っているだけなので、影響はなし。

 ついでに、もう一つエアコン話。(何だか最近エアコン話が多いけれど・・)
 職場のエアコンはセパレートで三式天井についているのだけれど、それぞれ個別にコントロールパネルがある。
 同じスペースの中で、決め細やかな制御が可能な優れものと言えば優れもの。けれど、稀にちょっとした問題が起こる。誰かが三式それぞれを自動運転にしているのだ。
 自動運転とは、温度設定をしておくとエアコンが自動的に強弱や冷房〜暖房〜送風を切り替えて温度制御してくれるものだ。これがクセモノ。人の動きや気圧の変化などにより、三式のうち一式の周辺に冷たい風が収束すると、エアコンが「下がり過ぎてしまいました」と判断し送風に切り替える。これは問題ない。でもその状態で更に他のエアコンから出ている冷気が送風運転の機器に収束すると、エアコンが「まだ私の努力が足りませんでした」「ご指示を忠実に履行するために暖房運転にします」と言って(実際には言わないけれど)暖房運転にしてしまうのである。こうなると、冷房運転のエアコンは「私は努力が足らないようです」「さらに頑張ります」と言って俄然張り切ることになる。
 つまり、同じスペース内で、数メートルしか離れていないエアコン同士で、冷房運転で頑張り暖房運転で頑張ってしまう。もうこうなると、両者二人だけの戦い。その下で、快適な室温環境を望む人間なんて、どうでもよくなってしまうのだ。
 もう、こうなると、“一大事”である。
 当然、冬でも、この両者の戦いが時として起こる。困ったものだ。
 二人と戦わせるべく自動運転にしてしまう人は、もちろん悪気もないだろうし、“稀に”のことだし、その人に私は文句もないのだけれど、「うーん、何とかしないとな・・」と思っている今日この頃である。