勝ち組になれない
某番組を見た。あえて抽象的に言うと、子育てに関する内容を扱った番組だ。
笑った。・・・と言っても、楽しい番組だったのではない。
その番組中の、幼児を持つある夫婦の話だ。
「自分の子が勝ち組になるために・・・」「教育・・・云々・・・」そんな趣旨の発言だった。
私には理解不能な、非常に不可思議な発言を聞き、あまりに驚いて、そして笑ってしまった。
マスコミで最近よく使われる軽漂とした超抽象的な“勝ち組”という言葉。
勝ち組ってなんだ?そもそも“勝つ”って何だ?
何に対して勝つことになるのか?何を持って“勝つ”とするのか?
勝つことが良いことなのか?負けることが悪いことなのか?
長い人生の中で、いつ勝つことを“勝ち組”と言えるのか?
察するところ、高収入を得ることを、得られる立場になることを勝ち組と言っているのだと思う。そういう風潮だからだ。
世の中“お金”。これは大事だ。人間が生きていくには、欠かせない要素だろう。
愛さえあれば・・・こんな奇妙奇天烈な理想論など、地球上の人間には意味は無い。言っておくが“愛”も大事だが。
でも、欠かせないことと、それを得られる立場になることと、勝つこととは全く関係ない。
子供の小遣い、毎月1000円は500円に比べると勝ち組。年収1000万は600万に比べると勝ち組。2000万は1000万に比べると勝ち組。二億円は一億円に比べると勝ち組。六本木ヒルズ内にオフィスを構える企業は、下町の企業に比べると勝ち組。大きな自社ビルを所有する会社は六本木ヒルズに比べると勝ち組。
子供の喧嘩、勝ったか負けたか。何を持って勝ったと言うのか。最初に泣いた方が負けなのか。相手を泣かして親に怒られ後悔してもそれが勝ったことになるのか。大事な何かを守るため、必死に絶えて表向き負けてしまった子供。本当に負けたのか。何かを守ることでその後絶大な信頼を受けることになったら、それは勝ったことにならないのか。
IT関連企業の代表。自家用航空機を有する高所得者だ。でも、今はいち被告人だ。勝ち組か?負け続けてその後勝つと勝ち組なのか。勝ち続けてその後負けると負け組みになるのか。
いくらでも書ける。しかし、抽象的でなく具体的にこのように書くと、どれだけコッケイだかよく解る。
所詮、勝ち・負けとはそんな程度のものだ。
勝ち負けは客観的に他人がそう認識しても、他人に依存するものでない。自分で主観的に、判断することだからだ。表面的な現象はどうであれ、自分にとって、勝ちなら勝ち、負けなら負けなのである。
それが、人生観や教育論や我が子に対する気持ちと、どう繋がるのか?
数年後の十数年後の将来に対して、子供であっても他人である一人の人間に対して、一人の人間でしかない親が、勝ちとか負けとか言えるのか。
勝つことは良いこととは限らない。
負けることは悪いこととは限らない。
負けない人間は、勝つことの素晴らしさを解らない。
勝ち続ける人間は、負けることの尊さを知らない。