停電でも焼き鳥(〜7/19)

into-the-sky2009-08-18


7月13日(月曜日)
 22.0℃。体を動かさないでいると、ちょうど良い天候。週間予報を見ると、平均的には、曇り時々晴れベースの天気になっている。気圧配置を見ると、梅雨前線は、日本海まで押し上げられている。これが7月の終わりから8月の初めの天候だったら、「梅雨明けしたとみられる」と発表されるだろう。
 今日もMacBook Proをカバンに入れての出勤。今日で3回目。例の2月プロに関して、大まかに300点、細かくは500点以上の機器・機材数があり、それを個々にチェックする必要があるので、職場の内外問わず、有効。頻繁にある打合せに紙を沢山持参しなくても済むのが良い。たまたま、時期が重なっているだけで、そのために最速の仕様にさらに高速化するカスタマイズまでしてMacBook Proを購入したわけではない。そもそもは、まったく違う所に理由がある。ちょっと気の毒な感じ。だから、スコブる快適なヤツ、と賞賛しておこう。
 いつものように出勤して、午後は、かなりな上司と、ある事に関して1時間ほど話をした。かなり乱暴に分ければ、ある程度予測していたこと3/4、まったく予測できなかったこと1/4、という印象。前者に関しては、比較的容易に対応できるが、後者に関しては、対応のしようがない。どういう内容だったかは、100枚くらいオブラートに包んで、50キロメートルくらい遠回しにして、今後ここに書くかもしれない、という可能性が25パーセントに達するかどうか、という気がするでもしないでもないような・・・。極めて真剣な話ではある。
 職場を届け先にしていた本3冊のうちの1冊が、早くも到着。新品時の定価よりも安い中古本の買い物だったが、まるで新品同様だった。文庫サイズであるにも関わらず、600ページ以上もある、分厚い本。
 トラブルでかなり遅延していたが、いつもの私鉄線は、比較的順調に運行。平常時よりも、所要時間は短かった。帰宅してメッセージのリプライをして、音楽を聴いて就寝。


7月14日(火曜日)
 ベッドから出た直後は、まだ、涼しい空気が流れていたが、少し時間が経つと、強い陽射しで、思い切り気温が上がった。昨日よりも、さらに雲が少ない。白濁した重さを感じる空気ではなく、夏らしい、突き抜けるような空気。これが8月12日だったら、梅雨明け後の真夏である(しつこい)。
 そうこうしているうちに、「梅雨明けしたと思われる」という発表が出た。随分と思い切りが良いなと思う。確かに梅雨前線は押し上がってはいるけれど、関東地方にとっては、北上した前線の遥か南側というよりかは、弱まった前線の下、というのが正しい。週間予報も、向こう6日間はずっと晴れベースになっているものの、次の前線の南下振動によっては、梅雨らしい天候に逆戻りするだろう。その時の雨の量や期間によっては、修正されるか、そのまま押し切られるか、という選択になるのでは。
 いつもの火曜日仕事を終えてから、会合の誘いを受けたので、ある上司と共にタクシーで15分くらいの店に向かった。その後、ある巨大繁華街の近くの中華料理店に移動。僅かに4人の我々に、12人用の大きな円卓を用意してくれた。まだ、火曜日だということもあって、その繁華街の前の通りは、人が少ない。深夜1時過ぎに帰宅。



7月15日(水曜日)
 やや弱いながらも、陽射しが照りつけている朝。気温も25℃以上あって、夏が始まってしまったという感。憂鬱な日々が、1ヶ月くらいは続くだろうか。早朝からラジオ体操をして、早々に汗をかいていた子供の頃が、懐かしい。大した意味も理解できずに、強制的に体操をさせられる、あの不快感は、今でも明確に覚えている。夏休みの読書感想文、冬休みの書き初めと同様、子供の頃に強く感じていた、七不思議の1つ。実際には7つに収まらないわけだが。
 仕事をしていて感じることは、自分に対する誤解である。これは能力の評価ではなく、どういう人間なのか、ということ。もちろん、それをしている、つまり、その手段を選択しているのはあくまでも自分自身なので、それらは、自分がしていることではない、とか、それらが不本意だ、とも思わない。けれど、様々なことを考えて、その都度、適した態度やあるべき姿のようなものを想像しながら選択しているのであって、そこに本来の自分らしさがどの程度加味されているのか、といえば、1/5程度かそれ以下になっているのだろうな、とは推測される。
 だから、たとえば、ある1つの事に関して、「あれは良いことだと思う」あるいは、「あれは適切でないと思う」と、自分自身の行為を、それを象徴に捉えて、「そういう人間」みたいに十把一絡げ的に言われても、「それはそうですよね」「それもそうですよね」としか返すことができない。
 もちろん、各々に対して理想の姿というのは持っているわけだけれど、それをあえて外している場合もあるし、それに近い手段を採ることもある。そのように、環境の違いによって変えている選択肢を、総じて「良い」とか「悪い」と言われても、「そんなに良いでしょうか」だし「そんなに悪いでしょうか」となる。一般論としては、善し悪しを客観的に、そしてある程度正確に判断するには、少なくとも、その環境を知る必要があるし、それぞれの環境を比較する必要はあるとは思う。




7月16日(木曜日)
 雨の予報に変わり、そして、朝から雨。梅雨明けを発表する前は、雨のマークが着いていた日。3日前の予報の通りになった。24℃を割っていて、少しだけ涼しい朝。
 あまり立ち止まって考える時間や余裕がなく、惰性で動いているような日。まあ、こういう時期があっても、それほど不自然ではないだろうな、と淡々と。対内的には、機嫌が悪い日が続いている。外向けには、ほとんど影響ない。他人に向けてのアウトプットを減らしているからだ。
 先日、どこかで目にしたブログに関わる記事に、「自分の意見を発信したいから」「読んでもらいたいから」という意思の男性が多い、というのがあった。そのような思惑で、よく続いているな、と感心する。男女関わらず、他人のブログは、最初から最後まで、しっかりと読んでいる人は少ないだろう。タイトルを見て、写真があれば写真を少し眺め見て、目に留まるような言葉がなければ、それで終わり、という見方が圧倒的多数では。女性が書く内容であれば、もう少ししっかりと読んでコメントできる内容を探す、という男性は、居るだろうけれど。あまり知らない異性への、興味本位的行動の象徴だろうな、と観察される。僕の場合は、実際に会ったり、同じ仕事をしていたりした人の、つまりは、詳しく知っている人の文章しか、読まない。そもそも、あまり他人に興味がない質なので、知りもしない人には、もっと感心が湧かない、ということ。当然、知らない人に自分の文章を読んでもらいたい、という気持ちもない。
 少し話しは変わるけれど、プロの作家であれば、少なくとも、ある一定数の読書を意識して書いているのだし、読み手も、プロの作家だから読む、ということになる。一般的には、その辺りに境界線がある。だから、本という形になっているとか、書店で売られている、とか、そういうツールに拘らなければ、常に一定数の読者が存在して、それを意識して書いている人は、特に今の時代は、「プロの作家だ」としても、そう大きな違いはないだろう。ツールの自由度が増す、簡単になる、一般化する、という動作は、立場の境界を曖昧化する方向性に作用する。




7月17日(金曜日)
 四捨五入すると、25℃の朝。時折、雨粒も落ちてくる。週間予報を見ると、やはり、それまでの晴れベースのものから、曇りベースのものに変わっている。良いタイミングに梅雨明けを発表したと思う。関東以外の地方は、今後の梅雨明けの発表に苦慮するのだろうな、と想像。「梅雨明け十日」というような教科書的な梅雨明けを狙っているとそのタイミングがなかなかない、近年、そのような傾向にあるようだ。
 昨夜は、僕の前職の先輩を招いての会合。いつもの焼き鳥屋へ。しかし、店に入ってから30分くらいで、店の半分のブレーカが落ちて、半分が暗くなった。幸い、僕たちが座っていた方は、灯りはついていたが、エアコンは停止の状態。初めの頃は、余っていた涼しさでそれほど不快ではなかったけれど、次第に、我慢が必要な状況に。仕事柄、ブレーカを見にいってアドバイスをしたけれど、古い店舗の構造で、原因が解らず。1時間ほどして、修理の人が到着して、およそ、10分間、完全に店内が真っ暗になって、回復。我慢して、お店を変えないでいた甲斐があった。5時間ほど居て、お開き。
 今日は、昼頃に家を出て職場に向かおうと思っていたが、ある業者の方からケータイに電話が入り、その懸案事項を片付けるために、予定よりも早めに支度をして出勤。その後は、メールチェックとそのリプライを何件か。夕方過ぎから、数名での会合の予定が入っていたので、それに向けて、雑務を片付けた。している事自体は、大したことはないが、隙間はほとんどない。予定通りに職場を出て、タクシーで東の方向へと移動。わざと、待ち合わせの店の遠くで降りて、都心部の街中を少しだけ歩いた。予定の時間に4人全員が揃い、会合。僕が提案しての、初めての組み合わせ。もちろん、いろいろと理由があってのこと。その中の1名は、最近、世間で有名になったある人の、元同僚だったりする。僕がいる組織の中では、上から2番目の人でもある。4時間ほど、様々な話をして、お開き。僕と、頻繁に会合をしている人2名で、次の店へ。 夜半過ぎに店を出てタクシーで帰宅。最近、タクシーでの帰宅が多いが、8月から9月にかけては、そのような機会はほとんどないだろう。
 家に着いて、観葉植物に水をあげた。どれも葉を増やしているので、水の消費が速いみたいだ。パキラの落葉も、落ち着きつつある。新しい葉も、出始めている。出すのだったら落とさないようにすれば良いのに、という発想は、極めて人間的であり、また、人間らしい動作。どちらが自然かは、明らかではある。こう書いても、哲学的な大きな意味合いはないのだけれど・・・。




7月18日(土曜日)
 最高気温がそれほど上がらないわりに、朝の気温も下がらない。なかなか移動しない雲によってフタをされいる、容器の中に居るみたいだ。25.3℃の朝。
 いつもより早くに家を出て、職場へ。日曜日にすることが多い仕事が、今週は土曜日にある。電車中から見える多摩川の河川敷には、テントやいろいろな道具が沢山並べられている。花火大会の当日だったことを思い出した。
 仕事を終えて、最寄り駅に行くと、既に、いつもの雰囲気とは違う。浴衣を着ている女性や子供連れの大人が多い。平日の夕方並みに込んでいる電車は、ダイヤも乱れていた。先頭車両の最前部に乗り、迫ってくる景色を眺めた。特急に乗っていたが、いつもよりゆっくりと走る車中からは、どの駅にも沢山の人が待っている光景が見られた。それもやはり、いつもよりもカラフルに見える。定刻の倍近い時間をかけて、途中の大きな駅に到着。花火大会方面の電車は、既に満員。同じように少しだけ空きがある先頭車両の最前部に乗り換えた。開場の河川敷には、もの凄い人。僕なんかは、この、人の多さを目にするだけで、間近で見物しようという気が完全になくなる。辛抱強い人が沢山いるものだな、としみじみ。
 実は、自宅のすぐ近くに、小さいながらも花火を見物できるスポットが沢山あるが、体調が少し悪かったので家を出ず、音だけを聴いた。映画も見られず、10時にはベッドに入った。少しだけ本を眺めて、就寝。



7月19日(日曜日)
 久しぶりの7時間以上睡眠。いつもより少しでも長く寝ると、やはり体調は良い気がする。朝6時の気温がすでに25℃以上。朝らしい涼しい空気は期待できない。日中は、雲が多いわりに、気温はかなり上がった。空の面積だけが、夏本番らしくない。
 朝食後は映画を続けて2本観た。シリーズものの有名な作品を1つと、そうでないものを1つ。1本目はBDにダビング(移動)し、2本目は見終わった直後に消去した。それ以外に、貯まっていた作品70GB分をBDにダビングした。この連休中に150GBくらいの容量を空けておかないと、明後日以降の3週間は、ゆっくり映画を観ている時間がないからだ。昼過ぎには図書館へ。文庫サイズの本は、最近ネットで購入しているので、新書や単行本サイズの本ばかりを借りた。久しぶりに図書館に隣接するカフェで簡単な昼食。数ヶ月ぶりに入店したら、改装されていていた。それほど大きな店ではないが、中央に大きな仕切りがあって、図書館側は、借りる手続きをせずに利用できるスペース、その反対側は、隣接する施設を利用する人が入るスペースになっている。ここにも何度か書いたと思うが、静かな利用を促す掲示がされているにも関わらず、その施設の利用者が、かなり大声で話をしている傾向にある。やはり、図書館の利用者からクレームがあったらしく、背の低いパーテションがあるだけの開放的な感じだったが、方々がガラスに覆われ、話し声が図書館側に漏れないようなデザインに変わった。
 ルールを守らない、周囲に配慮をしない人によって、本来の目的、本来のデザインが大きく変えられていく、というのは、社会全体で散見されることではある。理想ばかりを並べて、そればかりを追求することも限界はあるけれど、個人が自分自身に関わる権利だけを、過度にいろいろと主張しはじめると、結局は、自由は束縛されていく。とりわけ、自由であることに価値がある事項である場合、その価値も失われていくわけである。
 夕食後は、再び映画を1本。30年程前の作品のリメイク。まあ、リメイクだな、という作品。