憧れが滞りを

into-the-sky2009-01-19

1月13日
 再び、強い冷え込み。朝の気温は氷点下2.8℃。これでも自宅は丘の上にあるから、少し暖かい。5分くらい歩くと40メートルくらい海抜が下がるが、そこはさらに1℃ほど低くなる。風が弱く、相対的に放射冷却が強まっている日の深夜や早朝ほど、違いが大きい。ちなみに、雪は、海抜が高い分、周囲より積もりやすい。
 今日から久しぶりの出勤。12月23日以来。いわゆる生活のリズムは変えなかったので、起床や朝食の時間は変わらない。実際はともかくとして、朝食後映画を見られないのが大きな違い、という印象。この20日間の休みは、映画鑑賞が生活の主軸のようになっていたけれど、当面、2月の初めくらいまでは、休日にしか映画は見られなくなる。次の冬の長期休暇では何をすることになるのだろうか。たぶん、今まであまりしていなかった、ある事をしているに違いない。

 およそ3週間ぶりの仕事だと、普段と何が変わるかといえば、ろれつが回らない、ということ。頭の回転に口の動きが合わない。休みの間、会話は両親の家に食事に行く時くらいだった。しかも当然のことながら食事中なので、それほど多言になるわけではないから、いつもの1/10くらいの会話の量、というイメージである。
 話をするという仕事をしていると、それを聞いている人からは、喋るのが好きで得意なのだな、と思われるのだろうな、とは認識しているけれど、僕はそんなことはない。好きでも得意でもないし、大勢の前に立つこともどちらかというと避けたい、と思う質。さすがに、長い間、繰り返していると慣れてはくるので、あまり緊張はしなくなったが。
 特に、物を作る仕事、創造する仕事だとその傾向は強い。たとえば、写真も陶芸も盆栽も、好きで趣味でやっている人がいるが、一般事務や営業を趣味でやっている人はいない。だからそれを仕事にしている人を見ると、同様に感じるのだろう。無理もないことだとは思う。けれど、すべては仕事としてやっていることに、得意不得意・好き嫌いは関係ない。むしろ、趣味にしたいほど好きなことは、仕事としては成立しないようにも思える。


1月14日
 引き続き氷点下の朝。しかし、ゆっくりとした寒さ。この時期の職場が、年間で最も寒い。短くとも10日間くらいは、職場に人が誰も入らないから、暖房もかからない。外も寒い時期にあたるから、壁や床の放射温度が下がっているためだろう、机も冷えているので、座ると足下がとても寒い。
 夜10時頃に帰宅して、Macをリスタート。電源を落とすのは3週間に1度程度で、使わないときはスリープにしているだけ。再起動をかけないことによって動作が重くなる、というストレスはほとんど感じない。ほぼ購入時のままのレスポンスを維持しているようだ。インターネットのブラウザは、標準の『Safari』を使っているが、僕が見ているサイトの中ではIEを使わないと見られないというものはない。また、IEのように、いきなりハングアップして強制終了ということもなく、非常に安定的。一応、別のもう1つのブラウザとして『Firefox』も入れているけれど、使わなくて済んでいる。そして、まず、Windows特有の、いわゆるウイルスの影響を受けたことは一度もない。無縁である。メールソフトも標準についていたものをそのまま使っているが、ソネットの古いアカウントに来る迷惑メールは自動的にゴミ箱行きになるし、新しいMacのアカウントには、まだ一度も迷惑メールが届いていない。Windowsに比べてMacintoshがマイナーだから狙われにくいという理由もあるだろうから、単純に比較できないが、とにかく全体的にWindowsのような煩わしさを感じることはない。

 試用期間の末、結局、MSWORDに変わるNisus Writer Proというワープロソフトを購入することにした。アマゾンで正式版を注文。明日には届くだろう。あくまでも、印象として、ということではあるが、WORDのように、「これだけ高機能なんだから」という横柄さがなくて、シンプルで使いやすい。試用していた14日間、やはり、動作を重たく感じることは一度もなかった。まあとにかく、WORDに比べれば非常にマイナーなアプリケーションではあるので、今後無くならなければ良いとは思うが。


1月15日
 久しぶりに強い冷え込み。日中も6℃くらいにしか上がらなかったようだ。日陰だと、朝できた霜柱が完全には融けないという寒さ。
 夕方に職場を出て6時過ぎに帰宅。これから週に一度は早く帰る日をつくるつもり。とはいっても、ルーチンワーク的な業務は、あと一ヶ月も続かないが。作戦とか拘りというほど、強い決心のようなものではないけれど、これからは、今までよりは休む日や早く帰宅する日を増やすようにしようと何となく考えている。増やそう、ではなく、増やすようにしようが、現実的な表現。あくまでも努力目標である。
 夕食後に映画を1本観た。見終わったら眠くなってきたので、支度をしてベッドに入った。振り返ってみると、多少、体調が良くなかったのかもしれない。僕の場合、眠くなって寝ることは、年に数えるほどしかない。大抵はベッドに入って本を読み始めてからすぐに眠くなる。それまでは眠くならない。自分の体をコントロールすることに長けている、のではなく、眠くなることを見越して、先にベッドに入るようにしているというわけ。

 倒産だの赤字だの合併だのというニュースを毎日のように見る。急激な円高は、確かに業種によっては大きな打撃になることは、容易に理解ができるけれど、そんな企業は、元々その程度の力しかなかったのではないか、と観察される。もう何年も前から、物が沢山売れる時代ではない。大量生産大量消費なんて、今となっては昔の話だ。たとえば、一時期の携帯電話のように、新しいものが生まれれば、ある程度の需要を満たすまでは売れ続け、シェアも拡大し続けるが、限界は最初から存在しているもので、いずれは頭打ちになることは目に見えている。物やサービスは、技術の革新や効率化がそれをしばらく支え続けてきが、それも普遍的でもないし定量的でもない。これ以上の急激な需要増も見込めず、技術の進歩も効率化も、そろそろ限界に来ているというときに、追い打ちをかけるようなきっかけが生じたに過ぎない。慌てふためいて、更なる人員削減や契約解除などと騒いでいるけれど、いわゆるバブルが崩壊した以降、そしてこれからも半永久的に、経済成長は鈍化したままである。
 作れば沢山売れる時代、売れば儲かる時代なんてもうない、そう考えていれば、少々経済が混迷しても、全体が急激に不景気になるということはない。なぜならば、買い控えに代表されるように、大きな憧れが、大きな滞りを生むからだ。