12月30日 読まれなくても

into-the-sky2008-12-31

 晴れの良い天気。冷え込み具合も昨日と同じで、面白い寒さではない。このところ毎日霜が降りてはいる。昼間も風がなく、木々の枝は微動だりしない。写真を見ているみたい。
 朝食後は、映画を1本。ディズニー映画で101。この作品を観るのは3回目。犬が好きなので、何度観ても飽きない。ストーリーの細かい部分を忘れた頃に再度観る映画は、結構沢山ある。夜は102を観るつもり。これは初見。
 昼過ぎまでは、映画を観たり音楽を聴いたり、という自分勝手な時間。その後は、親の家とを繋いでいる階段と、親の家の玄関から外玄関にかけての掃除。タイルが敷いてあるので、それに洗剤をかけて汚れを取っていく作業。土足で上り下りする階段なのだけれど、屋内にあるので威勢良く水を流しながらというわけにはいかないので、少し面倒になる。父親と2人で掃除をしていた4時頃、姉と姪と甥で出かけていた母親が帰宅。乾いてから破水剤を塗り5時くらいに終了。夜は予定通りに102を観た。いわゆるpart2的なテイストではあるが、犬が見られれば良い、ただそれだけ。

 かつてのブログ人気というものは、だいぶ冷めている。それでも、飲み屋に行くと、周囲の席からは「ミクシィが〜〜」という言葉を無意識に聞くことになるが、「誰それの日記には〜〜と書いてあった」というような話が多いような気も。言わずもがな、「自分はこう書いた」というのは話題にはなりにくいわけだが、頻繁に書いている1人に対して、その周囲で見る専門の人間が数人、という構図では、当然なのかもしれない。断っておくが、もちろん、客観的な想像事項として書いているだけで、僕の周囲がどうの、という話ではない。ミクシィの他にも会員制のブログにも投稿しているし。
 最初のうちは書ける。これまで、そのような環境がなかったからだ。少なくとも1年間は短文でも断続的でもスムーズに書けただろう。また、もの珍しさも手伝って、自分がそうするように他人も近寄ってくるし、リアクションされると一層張り切ったに違いない。けれど、日常の行動録のようなものだけ、詩のようななものを書いている人で、人に読んでもらうことを前提にしている人は、前回と違うことを書こうとすればするほど、ネタに困り書けなくなってしまうのだろう。ただ、そもそもが日記なのだから、たとえば昨日とまったく同じになっても構わないのだし、何週間も詩が思い浮かばなくても、それが自然である。すなわち、書くか書かないか、書けるか書けないかの境界条件は、書く内容ではなく、書いている人自身の意識にある。ここに書かれているような独り言文章だったら、きっと誰でも毎日書けるでしょ。

瞳がほほえむから by 今井美樹