これだけで解るの?

into-the-sky2008-02-11

 昨日は、日中暖かくなった。といっても、10℃には達さなかった。去年の冬は、10℃以上の日が連続していたから、まあ、それなりに真剣な冬である。
 夕方からは、図書館へ。勢い余って、5冊も借りた。
 Macintoshを、久しぶりに再起動した。ハングアップしたからではなくて、単に電源を一度おとした、ということ。ソフトウエアのアップロードによる再起動を除けば、年間に5回しか、起動画面を見ない。かなり安定いている。ちなみに、全体的な動作を遅くしていて、つまりMacintoshの足を引っ張っているのは、マイクロソフト社製のMacWordだ。それでもWindowsのWordよりかは、幾分使いやすい。
 6月頃に買うつもりでいた、MacintoshOS XのLeopardへのアップグレードを、前倒ししてやってしまおうと、ネットのAppleストアで注文した。メモリを足して、ハードディスクも増設して、動画編集ソフトを購入しようと計画しているので、OSだけを先にアップしておこうという目論み。この前の日記で書いた、Macノートは買っていない。多少、大人になったのかも。そうか、大人になるということは、つまらないことが増えるのだな、と、改めて実感(本当はそう思っていないが)。

 昨日、「どう思われようときにしない。けれど、テーマのように決められることには、多少の抵抗がある」と書いた。それは、この日記でも同じだ。周囲から観察される事項は、ごく一部であって、単純に、こういうこともするし、また違うこともする、ということ。考え方や道理とするものも同様であって、このケースに関してはこう考えるし、他のことに関しては、また違う考えも持っている、ということである。だからその一部を見て、「こういう人間なのだ」とは、決められないはずだろうと思う。この日記の文章が、僕の主義主張によってのみ書かれているとしたら、こんなに矛盾だらけの内容にはならないのだ。
 そもそも、ここを読んでいる、たとえば自分より若い人に、啓蒙しようとか教育しようとか、そんなつもりは、毛頭ない。また、自分が至誠でありこう考えるのが唯一で正しいという主張を、誰に対してもしているつもりはない。もちろん、自分の主義を強く訴えようという意志もない。ここを読んだ人の誰かが、「この文章は自分に対して書いているのか」と思うこともあるだろうと推測はしているけれど、それは単なる妄想である。具体的な“誰か”に対して、ここで書いたことは、今まで一度もない。実際に会って話をしても誤解は避けられないのに、ここで活字で訴えるなんて、そんな非効率で無駄なことはない。
 理解してもらおうなどという意志も目的もないから、「この前と違うことを書いていないか?」とか「ここの文章はわけ変わらない」というのも、幾分の感想としては、正解。「変なことばかり書いてある」とか「常識的じゃないな」でも、マル。ただ、「こういう人間なんだ」は、相応な答えではないはずだ。あっ、そうだ。「駄文だし長くて読みづらい」は、大正解かも。(合掌)
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