難しくもあり、難しくもなし

into-the-sky2007-11-28

 寝室の出窓から見える木の葉は、このところ急に黄色くなり、葉落ちが進んできました。大きな影で覆われていた日差しも、その面積を広げています。今年は、去年より色が鮮やかな紅葉。残る緑と青空とのコントラストが、面白い。

 先日提出して手を離れた論文のようなものは、早くも期待以上のリアクションがあって、幸い。ただ、期待というのは、褒められることとイコールではありません。「よく書けている」とか「素晴らしい内容だ」という言葉も、期待してはいなかったわけです。ただ、それを眺め見てもらって「こう思われると狙い通り」というのはあって、何となくそれは意識して書いた、ということ。既成認識の固まりの中で書く、または、自分がその中にいる、と表現することの方が、ある部分では簡単だし、ある部分では難しい。一方、既成のそれを超えた表現をすることは、やはり、ある部分では簡単だし、ある部分では難しいのです。つまり、どちらでも、能力としては相殺されて、変わりありません。どちらも自分ではあるのだけれど、持ち上げて見ると今までとは違ったものが見えた、ということは多いわけです。自分がたまにそうしているように、自らも、そのような表現をしても良いのかな、という感じ。ちょっと、抽象的でしょうか。わざと、ですけれど・・・。

 昨日は、午後から表参道に行き、とくに積極的にしない、という仕事。たまには、こういうのもあるんだよなあ・・・(しみじみ)。暇な時間を見つけて、近くの青山ブックセンターへ。さすがに大きい店舗だけあって、面白そうな本を見つけました。いろいろ吟味して、ノンフィクションものを3冊購入。年末年始家の完全OFFのために、寝かせておきましょう(笑)。終わった後は、渋谷まで散歩しながら、風景を眺め見。渋谷=若者みたいなイメージをつくる要素は、最近多方へ分散しつつあるのか、というところ。渋谷というブランドでもっているのでしょう。人が人を呼ぶ、とは、渋谷の街のためにあるような言葉ですね。街の全体の定常が、一種のフェスティバルみたい。まあ、そのような見方をすると文化という一言で片付くものですね。だから否定もしません。

 さて、次の日曜日は、渋谷での外の仕事が急に入ったり、来年2月も初めにも、神宮の方で3日間連続の外の仕事が入ったりして。外に出るということは、言わば客観の環境でもあるわけで、仕事自体の内容や目的は別にしても、かなり有意義。この点、恵まれているなあ、と楽観。しかし、外に出ないと、客観視できないと決め付けると、恐らく外に出ても客観視できないですね。そのような観察眼を持つかどうか。たとえ、家の中にコモロウとも、それは同じ。だから、傍らや外や対面に行くと、それがし易い環境になる、ということでしょうか。