静止している、勢い

into-the-sky2007-09-24

 昨日は、涼しい夜。11時の気温は21℃を少し割っていた。窓を開けては寝られない温度。いわゆる熱帯夜というと、1日の最低気温が25℃以下にならない日のことであって、寝苦しい夜という表現がしばしば用いられる。エアコンをつけて寝る人も多い。そう考えると、この3℃から4℃の気温差に、数字以上の違いを感じるけれど、そもそも、摂氏(℃)とは、水の凝固点を0とし、沸点を100として、その範囲を等分したものなので、人の温感の変化度と一致したものではない。1気圧で、空気があって感じる温度なので、その条件が変わるだけで、気温の感じ方は、大きく変わってくる。その3〜4℃程度の気温差に、大きな違いを感じるのも、当然なのかもしれない。

 昨日の出勤途中、家の近くの丘の上の高台では、少し大きな鳥が、風に乗るように遊んでいた。羽ばたきもせず、飛ぶのでもなく、移動するでもなく、羽を大きく広げて、同じ場所を滞空していた。力の均衡は、重力も、そのもの重さも、感じさせない。地球は、高速で移動しているし、日本付近の緯度では時速1400キロで自転しているから、ありていに言えば、静止して見える、ということ。中空に浮かび静止しているように見える鳥も、宇宙空間を地球と等速度で周回している静止衛星と、同じようなものである。
 人は、自分の視点をいうものを持つ。「自分の立場」なんていう言葉も常套句である。とかく、歳を重ねると、自分の位置というものが明確化して、その範囲で思考し物事を捉える。けれど、それでは支障をきたすということも認識していて、可能な限り、客観視したり想像力を働かせて、それらが固執したものならないように配慮したり努力したりするものだ。
 また、少し角度を変えた表現として、「あの人は落ち着いている」とか「自分の位置を確保している」と言う。ほとんどの場合、相対する「常に動き回っている人」や「活発な人」よりも、大人しく消極的なイメージが付きまとっている。そのような一般論の中で、ことさら、「自分はそうではない」「動き続け、走り続けていることが大事だ」と主張し、あえて世間と対自させ、反感を持ち、他と異なることを強調し、世間と違う視点を持とうする人もいる。その状況下だからこそ、生まれるものがあり、それが自分の価値観だ、としているのだろう。

 先週、代官山のあるスペースで行われた、サマーソニックの懇親パーティに足を運んだ。今年のサマソニは、東京(千葉県の幕張)会場だけでも12万人を集めた巨大なイベントであった。つまり、そのパーティに参加したのは、2日間で12万人を動かした人達である。主催する会社の社長を始め、各セクション各会場での中心的な役割を負った、その世界では言わばトップの人材が揃っていた。外見は、やはり表面的には、個性的な人ばかりで、高価なスーツに身を包む人もいれば、普段着のようなラフな格好できている人もいた。
 その人達を見ていて感じるのは、強烈な落ち着きであり、そこから出る強烈な勢いである。誰に何と言われようと、決して動じることがない、音がするほどの安定感といってもよい。異文化への価値観、世間への反感、体勢からの浮き足立ちなど、微塵も感じない。そのような意味では、超文化人であり超一般人ともいえる。 

 みずからの物理的な動きや振動は、脳の中の前庭感覚によって認識されるけれど、他の動きに対するものは、視覚によるものであって、つまり相対的なものだ。世の中の動きを見て、世情を繁栄し、それに併せたものを創りだそうという意識や力が、一般に受け入れられるベクトルに作用する。その動きや、方向の定義や認識は、自らが静止して観察する、ということによって得られる。
 違う発想を追い求め、自分の居場所を変えるのではなく、常に、定点から、つぶさに観察し、見えないものを想像することが大事だろう。それによって、今を知ることができ、これからを予見することできる。そこから生まれたものに対して、人々は共感し、それを受け入れようとするわけである。