散歩のモード

into-the-sky2007-06-10

 布団の中のめざまし時計のように、こもった音で、雷鳴が聴こえる。今年のこの季節は、雷が多い。上空に寒気が入っているためだ。北や大陸からの高気圧や寒気が勝っている証拠である。夏の太平洋高気圧の弱さに、誰かがヤキモキしているのだろう。いつもの寒と暖がほぼ均衡している状況とは違っている。恐らく、この先10日間の天候によって、今年の夏がどうなるかが見えてくるだろう。例年通りの平均的な夏になる確率は、今のところ、低いだろうと推測される。

 休みの昨日は、午前中はのんびりと、ベッドやリビングのソファで読書をしたり、考えごとをしたり。午後はいつもの出力と散歩。昨日は片道45分の遠くの駅まで行って、スターバックスの外のテーブルでコーヒーと読書を30分ぐらい。もちろん、1人で、ですよ。近くに犬が何匹かいて、心の中でニヤニヤしたり周囲の人間を見たり。隣のテーブルからの、聞きたいとは思わない込み入った話声も聴こえてきて。「ここで話す内容?」なんて思いながら、静かにブラインドを下げる(笑)。どんな人がどんなことをしようとも、周囲に迷惑をかけない限り、自由であります。
 帰りにコーヒー豆を購入して、自宅へと徒歩。とにかく自宅を含めた周辺が、海抜の高い所に位置しているので、どこへ行くにも往路は下り、復路は上りになるのです。だから、その駅からも帰り道は、ひたすら登り坂。まあ、こうして、12キロ減量したのですけれど。ある音楽曲を聴きながら、それにテンポを併せて早歩きをするので、いきなり停まると足が膨張して重く感じるのです。だから、自宅に近づくと徐々に減速をして、あらかじめ足に停止を促します。合計1時間30分の散歩でした。昨日は、音楽を聴きながら無心になって歩きましたけれど、考えごとをしながら歩きたいときは、何も聴かずにのんびり歩きます。ブラインドモードで歩くときは、もう誰とも会いたくないし、人を見るのも嫌になる。脳を活性化させるために歩いているので、家で独りで考えごとにふけるのと変わらないのです。目に留まるものは、花とか緑とか光だけで十分。今は、BGMでウグイスの澄んだ声も聴こえて、シチュエーションとしては、贅沢。湧き出て考えて思うことも、少し高級になったりしてね。だから、今日の天候みたいに大粒の雨に雷付きの中を散歩すると、それは大変偏屈な卑屈な奇妙な発想になったり。まあ、こんなときは散歩しないので、心配なしなのであります<自分(自分の方が大きいじゃくて、自分に対してってことです)。

 今日は珍しく、写真のテーマを記録しておこう(独り言)。
 今日から13日前までのもの。テーマは、撮影時に80パーセントぐらいは、既に決まっているのです。つまり、そう感じながら、アングルやサイズを決めて撮影している、ということ。一部のそうではない写真は、その時も、今見ても、テーマは思い浮かばないのです。最近は、かなり減ってきましたが。今のデジタルカメラは、手ぶれ補正もついていて、カメラの機能としては、ほぼ完成されたといっても、良いでしょう。
 この時代、明らかにテクニックではなくて、コンテンツですね。


・少々フライングのアジサイ(自宅近く)
・火災にならないことを願う、ツバメの子供達(セブンイレブン
・廃墟の中の空虚(佃島
・手前と奥は実は違う(神奈川の街)
・太陽に意気歯向かう雲(自宅近く)
・太陽光と緑の緻密な関係(都立公園)
・新幹線の仲たがい(東京駅)
・本当は15階かもしれない(職場のエレベーター)
・緑の中の、影の川(自宅近く)
・家族のゴザの一人のアリ(某小学校)
・ガラス張りのスポーツジム(新しい明大前)
・実はめざまし時計たち(某飲食店にて)
・独りで作戦遂行中のハト(自宅近くの公園)

 あっ、今、11時14分、ほぼ真上に落雷しました(日記ぽいな)。
 さあ、こんな日は、窓を全開にして長風呂にでも入るかな。