似合わないシチュエーション

into-the-sky2007-06-08

 昨日は、昼前に雨が降ったらしい。その前も後も晴れている天気しか見ていない。レーダーを調べると、静岡・埼玉・栃木の一部やその周辺で大雨が降っている。7時間ぐらいに渡ってその位置が変わっていなかった。今日も、関東北部を中心に同じような状況だった。降る場所と降らない場所がはっきり分かれ、その場所が動かないときは、ほとんどの場合、地形的な要因によるものだろう。潜在的に雨を降らせる要素は、周囲に沢山ある。地形による風向きなどによって、境界しているから、多少でもそれが変わると、移動したり無くなったりする。巨大な棒のようなものを立てると、その周辺だけいきなり雨が降り出すかも知れない。川の流れに足を突っ込むと、渦を巻きだし、生まれる泡のように。

 最近の吊り革は痛い。日ごろ利用している電車は、吊り革の交換をしていて、以前は少し高い位置に丸い輪になっているものが、窓と平行に取り付けられていたのが、最近、導入される新型車輌も含めて高さが下に降りて、三角形に近い頑丈なものが、窓と垂直に垂れているのです。低いから額に当たりやすいし、角の部分ができて当たると痛いし、質量も増したので、さらに痛い。席を立つときも、吊り革目掛けて頭が当たるし。三角形だけに、痛いの三拍子がお揃いなのです。本を読んでいるので、掴んだり放したりを繰り返していて、自分が放した吊り革が、自分の額目掛けて飛んできたりして。まあ、お年寄りや子供が掴みやすいように、と配慮したものだろうから、仕方ないのかな。改善は要求しません。

 最近、自宅近くの駅前に、大型家電量販店を建設していて、それが7月の一週目に開店するのです。もう内装も終わり、受電もしていて、明かりがついています。しかし、どうも似合わない。駅からは遠い、車でしか行けないような郊外型店舗が、駅前にできる。そのような店舗は主要道路沿いに作られて、車での客を当て込んでいるのですが、その店は、主要道路からは見えない距離。
 ところで、似合うか似合わないかとは、いかにもインスピレーションによるものと思いがちですが、普段そのシチュエーションを見慣れているかどうか、というむしろ、かなり実質的なものなのですね。つまり、そのような様子をあまり見ないので、違和感がある眺めに対して、似合わないと思うわけです。けれど、よくあるシチュエーションというものには意味があって、意味があるからこそ、そうなる。必然ですね。たとえば、信号機は、道路があって交差点があって、利用量が増えるから必要になる。人も車もほとんど通らない場所には設置されないし、大草原の真ん中にいきなり信号機はないのです。そう考えると、似合わないシチュエーションというのはその必然性が薄いとことになりますから、とかく、それが商売になると、成功するのかと心配になるのです。あ、本当は心配していないですね。ちなみに、同じ量販店は、車で10分程度のところに昨年開店したばかりだったり。さて、何か買うかな・・・。何か壊さないと、需要が生まれません。テレビもまだ早いしね。2010年ぐらいから買い替え需要が増えて値段が上がりそうだから、一層のこと、アナログ放送が停波になる2011年を過ぎて、13年にしようか、と思案中。見られなくなっても問題なさそう。職場はテレビだらけなのです。

 何日か前、職場のテレビのスピーカーから聞こえた声によると、「高校野球はスポーツでなく、教育の一環」なのだそう。たぶん、高校野球の偉い人の話なのでしょう。そうか、教育なんだ・・・(しみじみ)。だから、見た目があんなに古臭いのですね。旧態依然とした教育の体制をそのまま引きずっているのでしょう。頭も丸刈りだしね。深く納得。けれど、教育だとしたらあんな非効率なことはないですね。授業も休んで遊びもせずに、部員達は野球という教育に熱心に打ち込んでいるわけです。野球部出身の若い人って、優秀・・・? その苦労によって、野球部でない人と比べて、何を身につけているのでしょうか(答え:野球部出身という過去)。僕は、野球は高校もプロもまったく興味なし。特待生云々も関心なし。主張も他意もありません。