団結の束縛

into-the-sky2006-12-23

 朝から穏やかに晴れている。空は静かで、時間の流れをゆっくりと感じさせる。この頃の地上の時間の速さとは違うようだ。風も弱く、あまり寒くもない。去年の12月は随分と寒かったように記憶している。今年は、まだ、一日も氷点下を記録していないし。暖冬だの温暖化だのと言われているが、この程度の寒さがちょうど良い。毎年、冬の厳しい寒さに覆われる国や地方に住む人々は、もっと、さらなる温暖化を願っているのではないかと推測するが。どうだろうか。


 今日から、長い休みの始まりである。不規則な不定常な仕事も終わった。仕事おさめは、ドンと一発、打ち上げ花火の様だった。実際には、打ち上げもしていないし花火でもないのだけれど。クリスマスとチャリティがキーワードのイベントだった。どのように開催を告知しているのか、入場料がいくらなのかはまったく把握もしていないし感心もないのだけれど、随分とお客さんが入っていた。確かに、内容もさまざまなジャンルの歌手が登場して、皆上手だったし、有意義なものだった。年配の方が多く、落ち着いたものだった。派手な告知もあまりしないし、実際に訪れ見ると面白いと感じる内容。そう、NHKの番組のようなものか。
 今回は、本番中はあえて、特に大した仕事をしなかったので、私自身も無料でそれを堪能できたし、クリスマスの雰囲気を味わえた、のかも知れない。場内を見渡せる色々な位置に移動し、違った見方ができ、満足。積極的でなくとも、色々な出来事と出会え、様々を見て聴いて感じ、また、経験できるのは、今の仕事の醍醐味の一つだろう。
 最後に宿泊券などのプレゼント抽選会があった。お客さんは、1000円一口で抽選券を買うというもの。結構多数の商品があった。それが終わると、最後の締めくくりとして、司会者が再度、チャリティや基金に関する話をしていたが、お客さんはその話しにほとんど耳を傾けず、“我先に”と席を立って帰っていくしだい。司会者の話が終わるまで聞いて、拍手をしていたのは数人だった。早々に出口に向かって歩き始めた、客の大半であり女性を中心とする比較的裕福な人達であろう、そんな方々に対して、特に意見は持たず思うことも無いが、「日本って平和なのだな」と、しみじみと一言。
 そのような姿を見て、テレビの評論家などは、そのような人々に対し、「所詮、そんな程度なのだ」と、「意識が低い」などと、決して良くは言わないだろうと推察される。けれど、ある一つの事象に対して、どのような意見を持とうと、あるいはどのような行動を取ろうと、自由なのが現代であり、そのような自由な価値観そのものを目指してきたはずだ。誰かの何某かの言動に対して強く言及して束縛するのは、かつてのファシズム的発想であり、カルト宗教的である。不自然であり、健全でもない。
 急進力が重んじられ、または、そうすることが求められ、そのボリュームも大きなものであるべきだった過去においては、統率という名の価値観や手段の一致や制限は、むしろ必要だったのだろう。これらは“一致団結”という言葉に代表される精神である。けれども、しかし、全体的にスローであり、緩やかな時代である今、とりわけ、今の“日本”という国では、同じ信念を、同じモチベーションを持つ必要性は、ない。感じ方も取り組み方も千差万別で、自由であるべきである。 “価値観”という言葉自体が不相応なほど、明確でなく形にならないのが、現代であり、これが、今における自然な姿だろう。


 一昨日は、この年末のスケジュールの間を抜けて図書館に行った。今まで断続的に借りて読んでいた本を一度すべてリセットして返却。建築の専門書・小説・エッセイ2冊の計4冊。今回は、時間がなく、ゆっくりと選ぶこともできずに、まさに手当たりしだい5分程度で借りる本を決めた。実は何日か前に古本屋でも3冊購入。今日から“読書三昧”・・・といくかどうか。楽しみである。
 今日はこれから美容室に行く予定。前回から2ヶ月以上は経っただろうか。長いうっとうしさから、やっと開放される。
長いといえば、このブログも文章も最近、目標の字数を300字以上もオーバーしていることが多い。短くしよう。1716字。