自動販売機今昔物語

into-the-sky2006-12-05


 昨日ほどではない、快晴。多少元気がない感じ。今朝の最低気温は、昨日とまったく同じだった。霜も降りていた。これを書いている今、夜の10時の気温の低さは、この冬の記録を更新中である。明朝は何度まで下がるだろうか。

 寒くなると、コーヒーの量が増えます。休日の多いときは、朝から晩までに10杯程度、出勤している日も、やはりそれぐらいは飲む。もちろん、これを書いている今も、コーヒーを飲みながらになっています。つい最近までは、職場で缶コーヒーを買って飲んでいました。多いときで、一日3本。当然だけれど、お金がかかるし、摂取するカロリィなども気になります。二ヶ月前に、きっぱりと飲むのをやめました。職場には、コーヒーメーカーで入れる、無料で飲めるコーヒーがありますからね。やめてみると、「今まで、なんで買っていたんだろう」と思ったりして。しかし、あの缶コーヒーは、コーヒーであってコーヒーでない、不思議な飲み物ですね。缶コーヒーも、ブラックは違和感持ちませんけれど、それに、若干のミルクと砂糖が入っただけで、何か別の飲み物に変貌を遂げます。なぜならば、自分でコーヒーを煎れて、ミルクと砂糖を入れても、あの味にはならない。今流行りのカフェに行って、“〜〜ラテ”を飲んでも、缶コーヒーとは違いますしね。何か、相当、違うものでも入っているのでしょうか。まあ、美味しいと感じるものもありますが(一応・・)。
 私が、缶コーヒーと出会ったのは、小学校一年生の頃だったでしょうか。母親が、当時卓球クラブに入っていて近くの体育館まで、一緒に連れられて行っていました。ある日、その体育館の前の自動販売機で、かなり、オネダリをして買ってもらったのです。コーラやファンタの隣に、一風変わった、薄茶色の濁った色の缶があり、それが目を引いたのです。「あの何とも言えないデザインの飲みものは何?」と。親は「苦いからやめなさい」と、しばらく言っていましたが、そのうち、私の好奇心と主体性の重要性を鑑み、買う決意をしてくれたのです(あれ?)。飲んでみたら、やっぱり苦かった。もちろん、美味しいとも思わず。内心は、もう飲みたくなかったのですが、オネダリをした以上、これは、飲まなければと、心配そうな顔で私を見守る親の前で、なんとか、全部飲みましたね。それ以来、飲まない期間が数年も続いたことは、言うまでもありません。
 
そういえば、当時の自動販売機は、ほとんどのものが、4〜5種類程度の選択しかできませんでしたね。ハイシーオレンジにスプライトにコーラにファンタオレンジ。少し横長の機種には、それに、ドクタペッパとファンタグレープが加わるという感じだったでしょうか。どの程度前から、缶コーヒーがメジャだったかは、そんな理由があって定かではないのですが、少なくとも、その当時のコカコーラ系の自動販売機には入っていませんでした。店の前に置いてあった自動販売機は、瓶のものが多くあった時代でしたし(歳がバレそうで・・)。そのうち、スポーツドリンクがそれに加わりました。ウーロン茶なんて、私が高校生ぐらいの頃からでしょうか(もう、歳が断定的・・)。
 出始めの頃のウーロン茶は、ショート缶しかありませんでしたね。色も味も今より濃かった、こんな記憶を留めているのは、自分だけでしょうか。まあ、ウーロン茶は、それまで、まったく口にしなかった、かなりマイナーな飲み物だったので、それほどでもないのですが、普通の緑茶が、そのラインナップに加わったときは、少々驚きでしたね。家で、無料でいくらでも好きなだけ飲んでいたものが、商品になったのですから。家で飲むものも、厳密には無料ではないのですが。当時、「これは、売れないだろう」と思っていたわけです。けれど、今は、たまに買って飲んでいますからね。
 水も、塩素の代わりに、多少のミネラルが含まれているだけで、単体の売り物として、成り立っている。そのうち、酸素も、街の方々の自動販売機で売られる時代が、きっと来るでしょう。吸うと多少気持ちが良くなる(これは駄目ですか)、朗らかになるガス混入済み、ぐらいにしておきましょうか。“綺麗な空の観賞券”付だったりして(少しブラックか)。少し逸れますが、いつでもどこでも誰にも邪魔されず“1時間だけ安眠できる券”というのも、個人的には売れそうな気がしますね。いかがでしょうか。
 ※以上、年齢が解かるような昔話的部分は、すべてフィクションです。